他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

袖を擦り合って、で、

友人に教えてもらったので、卒業制作を見に、卒展を見に行っていた。ナメくさって適当な時間に出発したら、や、これでも多少の余裕を見た時間に出たのだけれど、初めて訪れそして二度と訪れないかもしれない場所だったためなかなか危ない到着となった。道中、遅れたら入場用のQRコードが失効するのでやべーぞとの危機感を胸に小走りを挟んだりしていたが、別に必要なかったかもしれない。そもそも友人がどの学科に所属しているのかを覚えていなかったため、適当な建物に入ってそれらしいものを探していた。入場の時にパンフレットがもらえたはずらしいのだが、私は持っていなかった。素通りしたのか、バックヤードから出している丁度間隙に入場してしまったのか。迷っていたら、向こうからメールが来たので助かった。友人の卒業制作は、すごくよかった。私生活の断片ポートレートみたいな感じだったのだが、そこに添えてある文章がというか、そこに文章が添えてあるのがよかった。私は、結局、どこまで行っても文章の人間であるという自覚とも諦めともつかない感情が避け難くなり、作品のトーンと文章のトーンとが、同じ方向にあって融和している事がすごくよかった。あるいは、言葉には寄与する力があるとした友人について嬉しかったのかもしれない。で、知り合いのライターであるとか、そういう人がたまたま来ているから、話してみれば、と勧めてくれた。未だにふにゃふにゃしてよく分からないままよく分からなくなっている私に、手助けの一つにでもなれば、と思ってくれたのだろうか。もしかしなくても、私なんかにはもったいない友人なのではないか。いつも通りと言えばいつも通り、人と話す話題がないんだよもにょもにょと言ってはみたが、私の上長が人と人との繋がりという概念を体現したような人である事を思い出し、もしかしてこういう機会につながりって増えていくのかしらねという殊勝な考えを起こし、引き合わせをお願いしてみた。話をしてみると、二人のうち、一人の人とはある意味話があった。他の二人を置いてけぼりにして、私らだけの会話が盛り上がるというのをそう評するのであれば。私が普通の人にとってはエイリアンであるその方向性の一つに、偶然その人が被っていたからかもしれないが。連絡先を友人経由で交換してもらえる事になったので、また会うのだろう。会って、どうするのだ? 連絡先という言葉に、私は意味がついてこない。なんというか。こんな事を言う自分が大変アレだというのは分かっているのだが。人生を豊かにするのは人と人との繋がりであって、そして、私は、生き物に対する愛というか興味がほとんどないんだな、とうっすら気付いてどうしようもなかった。もう、人には向き不向きがあるのだという事にする。