他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

瓶詰めあんこ

黒田龍之助『その他の外国語 エトセトラ』を読み終わった。これもまた、すごく面白い本だった。色んな言語を学んでいる人で、母語以外に近づいていくという、外国語の勉強についての意識が独特だが普遍的で、義務教育で英語をやらせる前に、こういう本を読んで、「外国語を知ろうとするとはどういう事か」との自覚を形成させる方がいいのではないかと思う。特に欠けているのが、相手の立場になって、相手側の言語で説明するという観点なので。これは、この本ではなく、私の恩師が昔からずっと言っていた言葉だけども。他者、あるいは、自分が属している文化圏ではない文化圏の人間と向き合うというのがどういう事か、言語と取っ組み合う事で自分なりの答えを出すのが、ひとつの言語学習における成果であり目的である、というのが私の考えだ。ここまでこじれた考えをしなくとも、言語というとっつきにくさ(とっつきにくいのか? 分からん)は抜きにして、エッセイとして面白いので、そういう読み方もいいかもしれない。物事への姿勢は、ゼロかクソ真面目にかの二極しかないわけではないのだから。それはそれとして、私が抱える、言語の向こう側に対する根本的な興味の欠落をより一層自覚して落ち込んだりした。興味というか、愛というか。何かが好きであるという明確な方向性が、本当に分からない。何なんだろうな。「推し」という言葉が内臓をぶち撒けそうになるほど嫌いで、関係があるのかもしれない。全てのものに、Daseinの段階で満足している気がする。感情の総量が乏しいのかな。ともかく、「推し」という言葉は本当に嫌いだ。なくなればいいのにとずっと思っている。今日、役に立たない発見をした。発見というか、概念上の遊びに過ぎない作業をした。「『酔っ払った相手に絡まれてそのまま流されてSEXしてしまう』という展開について、実際そこまで理性が減退した相手に絡まれると酒臭くて性欲の自覚を抱くのも難しいのではないかと思うが、実際どうなのだろう。あるいは、酔っ払った側のアルコールが、迫られる側にも作用していて、結果的に相互通行的酔姦になっていると解釈するのがよいのだろうか。」以上です。そんなに頻繁に見るわけではないけれど、決して少なくないシチュエーションについて考えながら晩飯を作っている時、頭の中で思いついた。普段はいつもこんな事ばかり考えていて、我ながらアホだと思っているのだが、思考のOSレベルまで食い込んでいるのでどうしようもない。食い込むからすぐにパンツを連想するし。