他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

青虫吐息

『筒井漫画讀本ふたたび』を読んだら、記憶にあった、強烈なイメージの証拠がそこにあった。ずっとずっとこびりついていた、「傷ついたのは誰の心」で目ん玉をカミソリで横に切られるやつ、あれは筒井康隆自身による漫画のものだった。今、横にあるのでもう一回見返してみたが、やっぱりそうだった。ほとんど動かない心が、感動する音がした。じくじくと喜びが沁み出してくる音がした。やはり、私は、思春期あたりに読んだり見たりしたものの亡霊を追いかけ続けているだけなのかもしれない。本当にいい。心の中にいる小さい自分が咽び泣いている気がする。あと、この漫画にある特徴も思い出した。人物が人物として連景なのではなく、イメージとして連景なのである。家の中に突然教会のステンドグラスみたいなものがあったりする。この辺は、化物語のアニメに近しいものがある。あれも、物語として連綿としているのではなく、イメージが巧みに繋ぎ合わされている事で他にはない魅力がある。実業之日本社文庫から出ているから、興味があれば買って損はしないと思う。私は、記憶の化石を復元できただけで満足した。高校の図書館にあったのは、これが底本にしたという90年代初版の方だろう。時間が経つごとに、なんで図書館にあれだけ筒井康隆の文庫が完備されていたのか分からない。思春期の多感なお年頃にあんなもんを読んだら、たとえば私のような人間ができてしまったわけだが、少なからず影響があるのは分かりそうなもんだが。それとも、図書館に入れた当時司書の先生は、ただただ面白いから入れたのだろうか。もしそうなら、その先生とはとても仲良くできた気がする。図書委員会が発行する図書便り的なやつに、筒井康隆の本を一冊、紹介する記事を書いた覚えがあるが、どれを取り上げたのだったか。他は平和な本ばかりだったので、当時からひねていた私は面白くなかったのであろう。かわいくね〜〜〜。ゴミ捨ての日を、種類曜日問わず忘れてすっぽかし続けているので、特に瓶ゴミが溜まってきた。いつだったかそもそも覚えていないので元から払う注意もないわけだけども。燃えるゴミが溜まる速度が早い。なぜか。花粉症と闘うティッシュのせいか。闘う、などという言葉を使ったが、鼻水が出てそれに意識を取られるのが嫌だから鼻をかんでいる時点で負けている。今週は、帰りの時間の都合で、外で買ったものを持って帰る事も多かったからな。チキンフィレオのパティ倍は、コメダ味噌カツサンドみたいになったのだけは覚えている。