他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

おはぎ

通帳の記入に行ったら、残高がかなりギリギリだったので危なかった。家にあったいくらかと、財布の中に余分に入れておいた紙幣を突っ込んで、月初の引き落とし諸々はまあ大丈夫だろうと思われる額にしておいた。そもそも、毎月口座から落ちているあれそれの金額のどれがガスとか水道なのかとか、区別が一切ついていないので、月初に落ちるものがなんなのか把握していない。何も考えなくていいのであればそこに思考エネルギーをかけたくないからであるが、エネルギーをspareないしφέιδομαιしたところで費やす先がないのだから意味がないとも言える。身体に溜め込まれたあれそれは、尿は何度か再吸収されるし、精子は分解されるし、言うなれば別に余っている分には可も不可もないという事になるのか。脂肪になって、脂肪になり過ぎると困るのだろうが。外に出る時は、めんどうだったので靴ではなくてゴムのつっかけで行ったが、寒さはなく、若干汗がにじむくらいだったので、もう季節は変わったなと思った。見かける桜はだいたい散って、葉っぱが青々としており、あのほんのり色づいた白が消えたのが勿体無いような気がした。桜に対して特段思い入れはないので、自由に咲いたり散ったりすればいい。中学の学年統括だった先生が、学年ホームルームでした話を思い出す。どっかのなんかの種類の桜は、咲く直前の樹皮から、一番綺麗で濃い染料が取れるのだと。だからそれがどうであって、教訓的な話のどこかに繋がっていたかどうかとか全て忘れたのだが、そのイメージだけ覚えていて覚えている。あとは米粒の話、2つだけだ。時間に吹かれて飛んでいかなかったこういう話が、何かしらに影響しているのだろうが、これについて言う事はない。昨日だったか、でかい公園を通り過ぎると、桜に透かされた白い光で綺麗なスケープになっていた。連れ合いで花見をするなと掲示があったが、そういう事をする人間が掲示を見ると期待するのはあまりにも性善説過ぎると私は思う。芝生エリアは8割くらい埋まっていた。他人を関係性においてあまり必要としないのは、自分の中に他者性原理みたいなものを抱えていて、そいつと独り言とか、考え事の交換をしているだけで満足してしまうからだと最近自覚しつつある。一人でいる事がどうこうではなくて、もうその時点で話が終わっているのだから、そこから後を考えても仕方がない。冷蔵庫の死蔵調味料を片付けたら、カビのinsulaeが発生しているものがあっておぞましかった。カビの胞子が飛ぶのを久しぶりに見た。