他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

追徴

昨日、アリストパネスの『蜂』を読んで、今日は『女の議会』を読んだ。岩波文庫からそれぞれ2014、2019年に復刊されたらしいのを昨日買ってきた。奥付を確認してみたが、復刊年から版が重なった様子はない。まあ、そうだろうと思う。内容の良し悪しは別にして、売れないだろう。ギリシア・ローマ古典系では、プラトンの有名な対話篇いくつかくらいしかほどほどに出ないのではないかしら。この復刊の仕方が私としては最高に面白くて、昔の岩波文庫にはカバーがなかったから、当時のガワ、要するに表1と4がそのままカバーになっている。だから、カバーをひっぱがすと全く同じ表紙が出てくる。大多数の洋書みたく、カバーやら帯やら廃止してしまえばいいと思うのだが、値段そのものを表示する義務がなんちゃらとかかんちゃらとか、ナンセンスなあれそれがどうこうしてそうなる気配は全く見えない。復刊であって新訳ではない。当時の版面をそのままオンデマンド印刷したくらいのものではないか。『蜂』の方はそこまでではないが、『女の議会』の方は活字がぶりぶりしているし旧字体がすごいし言葉遣いもすごいし、図書館の隅っこにある角が丸まったザ・岩波文庫という感じがある。どちらも、訳者は私が一生かかったとて及ばぬ立派極まる先生によるものだから、註も丁寧に読む価値がある。いちいち巻末を開くのが面倒だから、こういう時は巻末註や章末註よりも脚注の方が便利だ。註をまともに読まないと、アリストパネスのおもしろポイントを半分くらい読み飛ばしてしまう事になるから、手間ではあるが参照を惜しむのは惜しい。そんな事を言い始めたら、ギリシア語原文を目の前に用意して、種々様々の注釈を脇に置いて、あの分からん文章をためつすがめつしなければいけないので、5割6割程度で満足するので一応は十分だと思っている。雨が降っていた。ずっと降っていた。雨は嫌だ。本当は洗濯物を干そうと思っていたのだけれど、先述の理由があるので。目的もなく、順番をめちゃくちゃにして本を読んでいるので、買ってきた本と新たに買ってきた本と読んでいないまま積んでいる本がぐちゃぐちゃになっている。汚いなあ……。電子書籍だと、目がちらちらちらちらして全く集中できないので、紙で読むしかない。一応タブレットは持っているが、全くと言っていいほど使っていない。それは別として、至る所に本が散乱しているので、せめてひとところに押し込むくらいはした方がいいかもしれない。