他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

刺身醤油の活け造り

晴れている日で、部屋の中でも長袖だとちょっと暑いくらいで、ようようこれも4月の陽気よなと思っていたが、そういえばもう4月も下り坂に差し迫っているのだった。上旬・中旬・下旬という区別は便利ではあるが、下旬がどうにも「下り坂」というイメージがあってそれを拭い切れず、そして下旬まで至った月はあれよあれよという間に過ぎて終わって次の月へ放り出されるような性急さがあるので必ずしも間違いではないのだが、使っていいものかどうか迷う。くだらない事に頭のリソースを割いているが、頭の中の水路ができるだけ無駄を生じるように形成されているのでどうしようもない。ゴミを捨てたような気がしたがあれは昨日(?)だった。捨てなければいけないなあと思いながら玄関の廊下に置いたままの、多分金属ゴミと分類されると思うのだが、それがもう3年か4年くらい放置されている。ずっとそこにものがあると、身体がそれを避けて振る舞えるようになるので、気にしていないのだが、今一度見つめ直してみると気になるようなならないような。カラーボックスも延々同じ場所に置いたままなので、こっちは正直すげえ邪魔なのでさっさと片付くべき所に片付けたいわけだが、やはり「めんどくさい」という感想ひとつが全てを阻んでいる。誕生日も過ぎに過ぎて、やっと母からのプレゼントを受け取った。服飾は知らんのでどう名指しすればいいのか分からないが、コートとジャケットを足して3で割ったくらいの立ち位置のそれである。何がいいか聞かれた時に、外出時の上着がそろそろ裏起毛パーカーでは暑苦しくなってきたので、春程度のジャケット的なやつ見繕ってちょ、と言ったので、大体そうなったわけである。私だったら絶対に買わないようなやつなので、人にものを買ってもらうというのはたまに必要な経験なのかもしれない。Sサイズなのに袖が長くて、たっぱのみならず身体各部位についてもさほどの発育を見なかった己の肉体を観想したものである。多分着ると思うが、習慣に対して異常な嗜癖を見せる精神性がそれをよしとしゴーサインを出すかどうか分からない。私は、簡単に物事を台無しにする方である。ならないように意識が押さえつけて、それが慢性となり、抑圧された本来が一体何を望んでいたのか見失い続けているだけで。舞茸を気まぐれで買ってきていたのだが、直前いつ食べたか覚えていないくらい空白期間を設けると美味しかった。匂いが苦手だったはずなのだが、それとも、たまたま買った種類がよかったのかな。