他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

現代的ゲバ棒

人に文章を書いていると、長くなる。頭から書きながら、ここはもう少し詳しく書いておこう、ここはもうちょっと伝わり方がシャープになるな、と考えながら、当初頭の中にあるゴールまで到着すると、想定の数倍長くなっている。5行くらいで、ぺぺっと書けるものだと思っていたのに。くしゃみと大差ないような、価値のうっすいものを並べるよりも、ローマの建築物のように、隙間なく、漏れなく、作りたいのである。さっき晩飯を食べていた店がテレビを垂れ流していて、これが娯楽として成立しているらしい事が信じられなかった。あんなもん、ティッシュの切れ端でちんこをなぞるかなぞっていないかくらいのもので、綿棒でいじるようなものでもない。あれで射精できるのは、異常か、あるいは、そもそも本来の過程と結末から逸脱して、事象の生起だけに即応的に無為を労しているだけである。馬鹿馬鹿しいとかうそ寒くなるとかでもなくて、ただ、自らを反響する洞穴とする事で足れりとしてしまうのだなと思った。しょうもない。あの店の麺の量は、近頃、大ではもういけないと感じるようになった。並で十分である。細麺なら、大でもいけるかもしれないが、太麺のメニューはダメである。ずっと前に、つけめんの特盛りを食った記憶があるが、その頃に比べると身体が方向性を変えている。そういうわけで、今は並で十分、や、むしろ十二分くらいなのだけれど、目の前の、二人掛け、壁にめり込むような狭い席で、むくむくもくもくしたおっちゃんが油そばらしいものを食っていた。あれも、うまいが、油の存在感とこちらに迫ってくる圧迫感を考えると、やっぱり並盛りでいい。おっちゃんの前で存在するそれは、おそらく特盛りと思しき量だった。ガタイもよかったし、よく食うおっちゃんなんだなと思った。私は、自分のまぜそばを食いながら、しかし、特盛りという事実から目を離せずに、おっちゃんを観察していた。そして、おっちゃんは特盛りという現実に手を焼いている事が分かった。しきりにスマホを見、しきりにマスクを着けたり外したりし、しきりにどんぶりの中を箸やレンゲでかき回し、要するに適正量より多かったのである。私はドキドキしながら見守っていた。0.5玉分くらいしか終わっていないのにその様子なので、大丈夫かと思った。カンフル剤的に、卓上調味料のニンニクを全部入れたりしていて、腹にもう物が入らない時の、体感覚が充溢して横溢するあの感触が私の身体にも思い出された。左横で食っていた人は、箸の持ち方が嘔吐しそうなほど汚かった。そして、3人とも左利きであった。だから何という訳ではなかった。