他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

抱えきれないほどだった花束は今

今日は、少し精神衛生が上向いたというか、多少なりとも本を読んで文章に触れないと、瞬きする間もなくずぶずぶと下降していくらしいなと気付いた。何回も気付いていたはずなのだが、また忘れていた。開高健のエッセイに、すごいのがあって、「熱い番茶にボタボタのぶざまな、太り気味のお婆ンのオッパイの先端はこうでもあろうかと思えるような、皺だらけの大粒の梅干し」とあった。梅干しを婆のおっぱいに喩えるところがすごいし、その婆のおっぱいに付け加えられたディテールの質感もなんだかすごい。オトギフロンティアのマルのシナリオで、煉瓦壁に干し葡萄がくっついたような乳首とかいう、今思い返すとなかなか飲み下す事が難しい比喩があったが、人生の中で他に比する事ができる類例はこれくらいかもしれない。そもそも、なんでそれを覚えていたのか。シナリオとしてボロクソに面白くなかったのは間違い無いのだが、その中にあった一粒の異質宇宙が深く胸に刻み込まれていたものであろうか。渋谷を歩いた。用向きがあるところに行く時は渋谷の街中をずんどこ歩かなければならないので、歩きたくなくても通過しなければならないポイントなのだが、今日の渋谷は、昼前にてちてちしていて、改めて考えるとすごかった。普通、あるいは、今となっては、こうなる以前と表現した方がいいのだろうか、邪魔に邪魔をかけて邪魔の木を邪魔の紐で括ったくらい自分以外の通行者が邪魔なほど人がいるのだが、ダブルラリアットのポーズで歩いても人とぶつかりそうにないほど、余裕があった。かつて、朝5時くらいの渋谷を歩いた事があるが、あの時の方がまだ人がいたかもしれない。あら、これは緊急事態なのだなと思い、そして人々は自粛しているのだなと思った。少なくとも日曜日昼前の渋谷について言えば。夕方に帰る時は、ほどほどに人がいたので、これは曜日時間によって観測結果が大幅に変わりそうであるが、あの街を障害物なしに日中スキップできようとは考えもしなかった。そのおかげで、路上の配電盤か何かに貼ってある、昨日言ったような、猥褻ステッカーを写真として記録する事が容易であった。私は、渋谷という街を、人間の欲望の便所だと思っているので、ゴミがあったり、センター街でドブの匂いがするとテンションが上がる。今日は路上ゲロがあったので最低で最高だった。上のステッカーが、四つん這いから上体を倒して片手で局部を隠したものである。当初は指一本、本当にスジ部分が隠れて大陰唇が丸見えくらいだったはずなのだが、意識過剰な者たちによって上から手を加えられてしまった。で、下が鼻フック+αのステッカーである。これは先週くらいに突如増えたもので、出自はよく分からない。AVとかのキャプチャかもしれない。これをステッカーにしようと思った動機が一番よく分からないが。

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