他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

ブルーフィルム

明日は一日雨が降っているらしい。教えてくれた人がそう言っていた。こういう書き方をすると、教えてくれた人なのだからそれはそうだろうと思ったが、言っていた以外の選択肢として手紙に書いてあった私の身体にそう刺青を残した五色米でそのようなメッセージを残したなどの可能性がなくはないので、一見冗長な書き方に見えるが、適当(いい加減という意味ではない)な書き方だと判断して問題なさそうである。最後まで書き方が長ったらしいったらなくて、すぱっと物を言えばいいのに、何をぬるぬると言い募る事があるのか、明確に示していただきたく、いけねえ、また金魚のフンみたいに、マフラーみたいなでかい環ができちまった。玄米を一時的に食わなくなったので、便の交通事情が非常によろしくなくなった。夏場盆の高速道路ほどではないけれど、もったりして、一日一善、一日一便とはいかなくなった。一日一善とは、そもそもその人なりの「善」とは何なりやという自問自答のプロセスを経て初めて着手できる行動ではないかと思っているのだが、いかがであろうか。一時的にという事は、そのうち乃至近時、玄米を再入手する心積もりがあるというに他ならないわけであるが、スーパーから買って帰ると、ただの3kgでも担ぐと嫌になってしまうので、これはやはり、以前を思い返し、地元の農家に連絡をつけてもらって直接買い入れるのがよいのであろう。ではそれには連絡をする事が必要になるわけで、困った事に、ここが一番めんどくさくて着手するのに時間がかかるところなのである。おいおいやっていきたい。いや、そんな悠長な事は言っていられない、今、たちどころの食料をちらと台所に確認するだけでも、ダブルソフト1枚しかないではないか。こういう時、パスタを換算してはいけない。む、一応、グラノーラがあるが、あれは牛乳を注いで食ってこそのもので、すると明後日あたりに買い出しにいかねばならないようである。一人で考えて行動に移せば良い事を、ずらずらと書き述べてあまつさえ日記にしようとは、私は何を考えているのか私にも分からん。その時考えている事が残るだけだから、今はこういう事を考えているのである。どっかで見たような、初めて見たような気もするが、「できちゃった婚」という言葉は、どうやら日本語の中で肩身が狭くなり文字通りの死後になりつつあるらしく、そういう場面で使うにベターであるのは「授かり婚」になったようだ。このあまりにもポジティブなパラフレーズに、ちょっとくらっとした。