他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

生命ガラ

起きたら雨が降っていた。いつまで続くんだと思っていたら、静岡の方では自然災害が起きるほど降っていた。広島でも、すごい規模の土砂崩れが起きた事があるから、あれは大変だ。山の斜面が、べろりと禿げたようになくなる。被害があまり広がらないといいのだが。特に食うものがなかったので、昼前まで何も食べなかった。こういう、惰性ですらモノを食う元気がない時、グラノーラがいかに便利であるか、考えなくとも一定以上の水準を保つ素晴らしい食べ物であるか痛感した。なので、また買ってきた。某ドラッグストアで600円しなかった。ハナマサで買うと800円くらいするので、やっぱりドラッグストアはよく分からない。彼らは自分の事を何だと思っているのだろう。同じく、ドンキホーテも自分の事を何だと思っているのか気になるところではある。激安の殿堂か。殿堂というのがよく分からないので、あれは区分としては何になるのだろう、ディスカウントストアとか、そういうのか。店先でビニール傘と大根が一緒に売られていて、あそこは空間として、色んなワームホールの結節点なのではないかと思っている。最後に行ったのは、おや、もしかして5年前くらいかもしれない。それくらい行ってない。ゲームセンターと同じくらい苦手な場所なので、一生行かないかもしれない。電マやコンドームを買うにしても、もっと性に合った場所を知っているので……。でも、どっちも買う予定が発生しそうにないな。なので行かないと思う。昼前くらいからは、雨が止んだ。空が真っ白で、中途半端に漂白された再生紙みたいだった。空気がねばねばべっとりして、でもちょっと寒くて、半袖だと過ごしにくかったのではないか。私は長袖だった。雨が降るかもしれないし降らないかもしれないし、というギャンブルは、絶対にしなくてもいい代物ではあるのだが、持って行って結局使わなかった傘を持ち帰る虚しさもまたそれに等しく、傘は置いていったが結果的に降られはしなかった。選挙前の、自民のアホな演説が聞こえて、頭の中でいちいち言い返していたら疲れたので、聞こえない道に逃げた。演説というのは、ただその行動が行われているだけで人を浮かせる性質があり、中身が伴わなくとも錯覚を与えるので、自他を酔わせない酔わない克己心が必要なものなのだが、そうである演説というのはツチノコみたいなものなのではないか。拍手による自己承認欲求の充足、あるいは大音声でがなる事によるストレス発散以上のものではないものが多過ぎる。声の大きさはアッピールの大きさだと思っているアホも多い。本屋で武田砂鉄の新刊を買った。店内掲示物に、「苦手な人が、私の好きな本を読んでいた。」というコピーがあって、「それからちょっと見直した/評価を改める事とした」という帰結を期待したものなのだろうが、苦手な人が、自分の好きなものを嗜好していたら、私は絶対に、ぜっっったいに嫌なのだが、人の繋がりを「よさそう」だけで措定してくるのはやめてくれないか。