他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

隣の青い芝は赤い

伊藤計劃虐殺器官』を半分くらい読んだ。今まで、なぜこの本を読んでこなかったのかと思ったのは、今年で何回目、今までで何回目だろうか。これは人生の損失だったとも言えるし、経験値が一定以上に達したからこそそう思えるのかもしれない。この前、森博嗣の本をぱらぱらめくって、まだ読めねえなと思った。適正に育たなければ読めない本は、少なからずある。この本は、全く意図せず、私の人生のテーマをも含んでいた。おいおい触れるとして。表ソデを見て、知らなかったのだが、伊藤計劃の英字表記はProject Itohだった。伊藤計劃だった。西尾維新は回文になり、大暮維人はoh! greatだったはずだが、伊藤計劃はまさに伊藤プロジェクトなのだった。名前に複層のレイヤーで面白みを含ませられるのはすごい事である。タイトルにある通り虐殺器官の話なのだが、その虐殺器官とは何か、という点において、これは何を言ってもネタバレになりそうなので言える事がないんだが、あぁ、探していたピースのひとつはここにあった。真っ当な方形になるかどうかは分からないが、ここにもあった。タイトルで判断していれば、ついぞ読まなかったであろう本だから、本屋に行って、銀河ヒッチハイクガイドが欠品していたのは全くの幸いだったのだろう。出会いとはたまたまだが、それは物理的な偶然によって降ってくるものだ。私はインターネット的なあれこれは好かんからね。たまたまはたまたまなので、しばしばないのもいいところだ。怠惰なだけかもしれないけれど。このタイトルがハヤカワに入っているのが不思議に思えていたが、この本がハヤカワになくしてどこにあればよいのかとも思う。やはりあのレーベルは一角のレーベルである。書く事がなくなったな。八角をちぎってイベリコ豚の味噌ワイン炒めに入れてみたが、加減が難しい。あるいはワインとの相性がそれほどよくなかったのかも。ぼんやりした、靄のような甘みと、胸焼けするような甘い匂いは、パクチーにも匹敵する好き嫌いが存在しそうである。そういえば、この夏、パクチーを食ったが、なにゆえそこまで好悪はっきり分断されるのかよく分からない、それほどでもない野菜という印象だった。当時の私がコロナを食らっていたわけでもなし、味覚を失うほどあんコントローラブルな食生活を送っていたわけでもなし、特に受ける印象がなかったのだが、個々人の受容器官による違い云々みたいな話なのだろうか。