他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

青白い帯を巻いた管弦楽隊

4年くらい使っている丸皿の底に、バーコードシールが付いていて、いつ剥がれるんだろうと思い続けて4年くらい経ったが、さっき後片付けをしている時、めくれているので指で撫でてみたら、ぺろりんちょと擬音を書き足したくなるようなぺろりんちょ具合でぺろりんちょした。思い続けた時間の割にはあっさり剥がれたので、この気持ちをどうすればいいのだろう。歯磨き粉も新しいものになった。ガードハローである。画像検索でもして見てみるといいが、どう引っ繰り返ってもコンテンポラリなデザインではない。これがデザインコンペで上がってきたら腹を抱えて爆笑するだろう。昔ながらの変わらずなラベルを保持している商品は、個人的な偏見だが、一定以上の満足度をもたらしてくれるもので、これで歯を磨いたら、おっ、ええやんけと感じた。何がええのかはなんとも説明し難いが、口の中に着地した瞬間から歯磨き粉の存在が溶解し始めたのは目新しかった。だいたいどの歯磨き粉にもフッ素配合と書いてあるので、もはやそれはウリでもなんでもなく、よそと違って入ってないと思われないために書いてある、惰性の産物になっているような気がするが、表示義務でもあるのだろうか。言う事がなくなってしまった。そこそこでかいチョコレートパウンドケーキを買ってきてあるのだが、食べるタイミングが見つからないので、しばらく放ってある。どれくらいでかいかと言うと、そこそこでかい。スーパーで売っている太巻き恵方巻きを、横に少しべちゃっと潰したようなサイズ感である。もうちょっと太いかな。何か食べ物があって、フレーバーのみが違う場合、どうしても選択の結果がチョコレートに偏る。子供に飴とかゼリーとかを好きに選ばせたら、ぶどう味が一番減るみたいなものなのだろうか。小さい頃は、ぶどう味には何か不思議な魅力があったのだが、ぶどうの色と、高貴な御仁の召し物に紫が採用されやすい事と、何か文化人類学的な理由とかがあるのだろうか。オレンジが好きなら、それもよろしい。ハッカ飴はそこそこ好きだった。小学校の給食で出たわけぎのぬたは、名状し難い気分になったのを覚えている。わけぎもぬたも、一桁歳の時には、呪文みたいなものだ。音だけで般若心経を読経しているのと同じような。そういえばそろそろ帰省の新幹線切符を買いに行かないとオール・イズ・オーヴァーになってしまうが、いつも行っている売り場はどこだっけと10秒くらい考えて思い出した。めんどくせえな。