他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

手の平が及ぶだけ

床に置かざるを得ないものが増えてきたし、なんならもう少し増えざるを得ない事が決まっているので、どうにかした方がいいと思う。まるで他人事である。置いてからすぐは邪魔だなと思うけれど、物体の空間内存在が日常動作の中で前提として組み込まれてしまうと、思考を挟まずに身体が動くため、邪魔だと思わなくなるというか思えなくなるというか。机横のラックの向きを変えて、同じ様なサイズのものをもうひとつ導入すれば、あれとかそれとか増える予定のものとかがなんとかなるような気もするが、ほんまに必要なものなのだろうか。ないと邪魔だ。あるとそれは単純な物量の増大を意味するので邪魔だが、ないと一定の物量が無軌道に放られたままなので、それもまた邪魔だ。大小どちらの邪魔を取るか、という問題なのかもしれない。しばらく、やり過ごす以上に何もやる気が湧いてこない状態が恒常的なので、じっとしているしかない。寝る時に着ける木綿の手袋を新しいものにした。ないと手荒れが治らないし、布団がべたべたして嫌だ。ワセリンを塗って周りのものを触れる人がいるが、私には一生理解できない。何かの動作が他の動作に付着してくるのが気持ち悪い。おそらく、古いそれと同じ商品を買ってきたはずなのだが、全然見た目が違うので、本当にそうなのかそうだったのか自信がない。古い方は、穴が空いて、多分洗濯のせいで縮こまって、染み込んだハンドクリームの色なのかやや暗い黄色みたいなものが沈着していて、新しい方は、まっさらで、なんかすげえ長い。ムーミンのにょろにょろみたいだ。装着すると、手首の方まですっぽりと収まる。使い続けると、手の平八分丈みたいになるのに。なかなかすぐにダメになる。一揃い300円しないくらいだが、もうちょっといいのを買うと改善するのかというと……。どうなのだろう。そもそも薬局以外で売られているのを見た事がないものだから、いい悪いが存在するのかどうかさえ定かでない。東急ハンズにはあるかもしれない。私は東急ハンズに対して、多大で過大な、だいたい想像できるものはなんでもあると思っていた。思っていたものの、この前渋谷店に行って探したら当然のように目当てのものはなかったので、想像力を全て抱き止める店ではないのだなと当たり前の事を知った。もしかすると牛串用の串とみたらし団子用の串と焼き鳥用の串は全て別物なのかもしれない。活力を持って本を読めないのは辛いところだ。