他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

タハハ、ボエン

昨日聞いた天気予報では、10cmの積雪、降雪確率100%だとか伝わってきて、あぁ、そりゃあすごいな、絶対外出ねえぞと思っていた。実際には、氷雨という言葉はこういう時に使うんだろうな、と頭の中の辞書に具体例が加わるがごとき、冷たくてしずしずした、溶けたような雨が一日中降っていた。とにかく空気が冷たそうで、大人しく、しかし粘り強く天気が悪かった。交通機関が麻痺したりだとか、そんな事にならなくてよかったとも言える。今年、いや、今年度か、まともに降る雪を、一回見たか見ていないかなので、しこたま白が積み重なるのを眺めてみたかった気もする。いやな話は、一瞬いやなのではなくて、刺さって抜けないトゲみたいな、一度行き合うと一生いやな気持ちになり続けるいやさがある。いつか、家族であってもそれはやっぱり他人なのだと言ったのだが、残念ながらそれは2回目の、真であるという証明を経てしまった。私は、基本方針として性善説に則って生きているから、こういう事があると、そう、負わなくてもいい傷を感じて、しんどい気持ちの総量が増えてしまうのが嬉しくない。怒るには瞬発的な、しかし莫大なエネルギーが必要だが、疑うのは継続的で、払わなくていい料金を支払っているような、考えたくないストレスがある。信用とは人間そのものであり、培って成長させるには金なり時間なりが膨大にかかるくせに、失う死ぬ時は本当に一瞬でゼロになってしまう。だから私は考えたくなかったのに。色眼鏡につく色は、炭の粉末とか工業用染料みたいなものだ。いつまでも落ちない。横溝正史『びっくり箱殺人事件』を読んだ。横溝正史は、犬神家の一族の作者らしい。知らなかった。そもそもあれを観た事も読んだ事もないのだけど。これは、かなりおちゃらけた(人がそれなりに死ぬのだが)雰囲気であるのもあるだろうが、横溝正史という人の文才というか、学殖というか、自分の中に確固とした、文章のリズムを持った人であるという事が痛いほど伝わってきた。野坂昭如エロ事師たちは、あれは真に衝撃を覚えた文体だったが、横溝正史のそれも、どう言えばよかろうか、口語と文語が融和して、あぐらを掻きながら茶を傾けているような、不自然さも堅苦しさもない、伸び伸びした雰囲気がある。活弁士だった人物が出てくるのだが、この小説を弁士に読ませたら、さぞかしサマになろうなという、そういう感じだ。濫觴を、ガリバー旅行記以来か、見た。意味は忘れていた。