他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

食べられるのは春雨だけ

横溝正史支那扇の女』に移った。昨日はあんな事を言ったが、解説などを読むに、本格と称されるような、こちらの方が本業である。金田一耕助横溝正史の小説に登場する人物だと、頭の中で照合されたのは初めてだった。名前は知っていたが、出典はどこなのか知らなかった。ポアロやホームズの出典をいちいち覚えている人はミステリ好きだろうけれども。あぁ、これが金田一耕助ですか。金田一少年の事件簿で「じっちゃんの名にかけて」と言う時のじっちゃんとはこの人ですか。だらしがないと言わない事がそれなりに難しそうな身なりであったり、鳥の巣と書かれるような蓬髪であったり、なんとなく、脱力した有能な人物、能ある鷹は爪を隠す的な人物の造形は既にここにあるらしい。というか、そもそもが、横溝正史自身が1902年の生まれ、81年没なので、かなり古い(私にとっては)人物である。それでもおもしろくするする読めるのだから、傑作は時の試練にも耐え得るという事か。こんな文章を読んでいると、日本語という領域から失われたものはやはりあって、しかもそれなりに大きい損失なのだろうなと思う。内のひとつは、間違いなく漢文の素養だろうが。洗濯物を干そうとしたら、屋根から滝のように雪融け水が奔り落ちていて、いや滝は言い過ぎだが調子のいい小便くらいの勢いであって、部屋干しの憂き目にあった。あとは言う事がないというか、今日は、今日も、だいぶぼんやりした日だった。私に正体がある日があるかというと、それもまた。春菊がうまいという事を感じている。もしかして春菊っておいしいのではないか。