他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

悪巧み

麩菓子を買ってきていた。一音で食べ物が表されているので、麩は面白い食べ物だと思っているところがある。なので、酢とか蘇とかも同じである。煮は惜しい。さすがに何の煮なのか説明しないと成り立たない。食べ物界の斜格である。あれを麩菓子と言うのかどうか分からないのだが、黒棒と呼ばれる、あれが小さい頃から好きである。長っちょい、新幹線みたいな形の、あれも麩だろうから麩菓子なのだろうけれど、麩っぽいやつに、黒糖をガチガチになるまで染みさせたのかかけたのかしたやつだ。黒糖をそのまま喜んで食べるくらいには黒糖は好きであり、固い食べ物も好きだったから、黒糖の味が非常に強く、それでいてそれなりの歯応えも保障されているあれは素晴らしい食べ物だったのではないか。今回買ってきたやつは、それではなく、ふーちゃんという名前のやつだった。どこかの元帝国宰相みたいな名前だが、麩なのでふーちゃんなんだろう。黒糖がかかっていて、はちみつもどこかに調合されて入っているらしい。大自然の恵み! 的な事が書いてあって、それを否定するものではないが、しかしどの辺が積極的意味で大自然の恵みなのかは腑に落ちない。黒糖とかだろうか。黒棒とは違って、まず一本一本が短く、しかして太い。例えるなら、ぶつ切りにしたトウモロコシのようだ。そして、中まで外装が染みていない。よって、外の甘くてがじがじした薄い層を噛み破ると、後はふんにゃりした、まさに麩がただ待ち受けるのみなのだ。黒棒を思い込んで食べると、食感の頼りなさや甘さの弱さに物足りなさを感じるが、そういうものだと思って食べてみると、なんとなくかわいく思えてくるから不思議だ。麩でしかない部分も、気持ちをそこに向けて味覚を尖らせてみると、へにゃっとした仄かな甘みがあって、この「分かりにくさ」は悪くない。ひとつひとつがそこそこでかい(麩なので食いではない)から、一息に口の中に入れようとすると顎が外れそうになり、でかいちんぽを咥える時はこんな気持ちなのか……と想像がついたりする。川通り餅も食べた。バレンタインついでに送ってもらった。川通り餅はうまい。よく分からんがうまい。広島の土産としてはあまりにももみじ饅頭(と、近年はレモン関連の有象無象)が有名だが、どちらかと言われれば、悩んだ後に川通り餅を選ぶくらいには好きだ。聞かれた事はないが。お土産でも変化球を投げたい気持ちが抑えられないタイプなのであれば、川通り餅はとてもおすすめである。自分で食べるように、20個くらい入っているでっかいやつも買おう。すぐなくなるくらいにはうまいので。