他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

いい日すこやか

眉村卓『司政官』を読み終わった。最後の「限界のヤヌス」がとても気に入った。人類が宇宙の惑星に植民する時代、惑星連邦が植民先の統治のために派遣する管轄者みたいなのが「司政官」という役職にある人物なのだが、時代と共に変遷する、植民先での司政官の捉えられ方、社会の中での立ち位置の変化が四部作で描かれていて、最後のそれは好きだ。とても。ハヤカワの装丁はいい。文庫をぐいと押し広げる時の柔らかい抵抗とか、エッジを残しつつも細くて無機質な明朝体とか、その組版とか。値段は高いが、それに見合ったものではある。解説をちらっと覗いた感じでは、眉村卓が抱いていた問題意識に若干感じるところがあったので、他にも買ってきてみたいと思う。本が溢れてるって言ってんだろ。廊下にも置き始めたんだぞ。読み終わってから、お茶を入れ物から直接飲みながら、頭の中でぴんとひらめくものがあった。音声は液体であり、文字は固体である。液体は、覆水盆に返らずだが、固体はひっくり返したりつまんだり、時間をかけた操作ができる。どうしようかと考えている間に、あれよあれよと掌から、指の間から溢れていくのが音声だ。私が音声としての言語に興味を持たないのは、こうして置換した時にその理由が分かったような気がした。置換は本質を逸するものかもしれないが、それがなければ認識と把握がままならない知覚体系もあるのである。今日は一つ、意味のある発見をした。したからといって別にいい日ではなかったが。いい日だと判断するのは、減点方式なのだろうか、それとも加点方式なのだろうか。