他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

放物線を描いて家に帰るよ

トマト煮込みを作った。オリーブオイルで炒め始めるより、鶏油でやった方が美味しかった。違いはなんだろうか。美味しかったからいいか。専門家でもなんでもないし。にんにくっておいしいなあ、何に入れても大体おいしいもんなあ、さすがに入れないものもあるけどな、味噌汁とかフルーチェとか、などと適当な事を考えていた。頭の中で、油で炒めた時のにんにくらしいにんにくの香りを想像していたのだが、検索したらにんにく味噌汁のレシピはいっぱいあった。インターネットってすげえな、とこういう時に思う。にんにくは蒸したり茹でたりの調理をすれば、ほっくりしてそれほど匂いが出ないので、味噌汁にはそういう寄り添い方になるようだ。青森県産のにんにくは、嫌味な匂いがなくて、フルーティな味がしておいしいらしいので、いつか食べてみたいものである。青森県のアンテナショップとかに行けばあるのかね。さすがにないかな、あるかな、あったらすげえな、世界の余白の可能性に賭けて検索したら、にんにくプリンのレシピがあった。並の生活をしていたら思いつくようなものは、世界には大体存在するんだろうと諦めてしまう気持ちが、毎日ちょびっとある。ハワイにガーリックブリュレなるものがあるらしいので、そこからの類推なのだろうか。ここで、なんで絵文字の話をしようとの考えに至ったのか思い出した。ある、にんにくプリンのレシピを掲載しているブログが、不必要な絵文字に溢れていたからだ。同様の感想は、クックパッドのレシピを見た時にも湧いてくる。どうにも句点を打たない奴がいて、☆とか♪で文を終わらせるのだ。絵文字に何かメリットがあるなら説明してみなさい、と毎度思う。私でもたちまち何個かは思いつくが、それに衝突する、文章への美意識らしきものとの衡量過程が、私とは違うんだろうな。使っていいかなと思っているのは食パンの絵文字だけだ。理由はかなり前に書いた気がするが。よくも、絵文字群の中にあるあれひとつに意識を向いて、コント一本に仕立てたものだと思う。それをセンスというのかもしれない。気分的に赤が使いたくなったので、赤のお名前マッキーを買った。頭の中では、もっとこう、フェルトサインペンらしいものの記憶とイメージがあったものの、行った文具店にはなかった。お名前マッキーなので細身のやつで、これまで筆箱には入れてこなかったタイプだが、安定のブランドなので使いやすさはすごい。使いやすいというか、使うにあたってのストレスがない。使うために意識に上ってくる道具はあまりよくない。