他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

葉と花弁が逆になったら

桜が咲いている。花びらが地面に落ちた時から、汚くて邪魔になるので、いい瞬間が難しい鑑賞物だと思う。唾液みたいなものだと思っている。体毛とか。くっついている時よりも、持ち主を離れてものそれだけになった時の方が、仕様のない生理的気持ち悪さを感じる。白が強い桜は、光が強く出ている時は色がすぱっと抜けて綺麗だが、曇っている時に見ると、どこかから黄色が現れてきて、尿で黄ばんだ精液みたいな色になる。葉っぱが出始めると、葉の緑色のせいなのか、似たような感じになる。その下で花見をしているようなもんなのだ。こんな事を考えながら桜を見ている人はいないだろう、多分。いたらどうしよう。あぁ、この人もそんな事を考えてしまう人なんだな、と思うか。ひまわりとか紅葉とかに、本来の筋とは関係のない、イメージの地下水脈で偶然繋がってしまった連想がくっついている人もいるだろう。そういった類の、配線ミスというのか、尋常でない回路が見たい。森鴎外のウィタ・セクスアリスが新版になって岩波から出ていたから、つい買った。性生活の遍歴が云々、とか書いてあったので、これは読もうと思って買ってしまった。晩飯を作るために流し台に立っている時、他人と関係する事が私の人生の究極目標であって、その手段というか、着目している形態が性とかセックスとか、そういうのなのではないかと気が付いた。これは感得されたわけではないが、そうかもしれないし全然そうじゃないかもしれないし。納得がいく内容ではある。ここでいう関係とは、最も広い意味である。手垢が積もりすぎて下層の方では化石資源が取れそうな表現で言えばコミュニケーションという事になるのかもしれない。切り口がそうなのかもしれない。もしこれが真であるならば、難儀なやっちゃなあという感想である。自分の精神状態が自分でも分からない状況が極まったため、持っているカジャラのDVDを観返していた。買った時に観たきりか、もう一回観たか程度である。ものすごい笑った。やはりというのかさすがというのかあるいは両方なのか、ともかく小林賢太郎である。どうと表現するすっぱりした形容詞はない、小林賢太郎のものだとするしかないが、これがもう劇場で観られないんだな……。ラーメンズの公演を、劇場で観たかったものだ、本当に。エイプリルフールは嘘をつくとか、弊害が出かねない弊習はやめた方がいいと思う。プリンを作るとか逆立ちをするとか、それ以上どうしようもない行為がそのポジションに収まればいいと思うが。