他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

将来の夢の将来の夢

暑いと思うようになった。気候が次のフェーズに移行したようだ。これでまた寒くなったらほっかむりしてほとぼりが冷めるまでどこかに姿を隠したいところだが、そうなってもおかしくないのが今年の春である。毎年こんな事を言っているのかもしれないが。花粉が、大体毎年、史上最高記録を塗り替えるように。シーツを洗った。洗剤のCMよろしく、脂や垢やなんかが可視化されていて、どれくらい汚かったのか、どれくらい綺麗になったのかが分かるとさっぱりするといつも思うが、前者の方がグラフィックとして提示されるとちょっと凹みそうなので、人間の目は悪いくらいが、ミクロはそれほど見えないくらいがちょうどよくて幸せかもしれない。それとも、世界各国の、あらゆる人の寝たシーツを集めて、寝相が分かったり、あぁ、この人は体重がこんなところにかかっているんだなというのが見えたりすると面白いのではないか。睡眠万博だ。実際に自分の使っているシーツを出品したら恥ずかしいのだろうか。寝ている時の、意識していない自分だから、もはや自分ではないと割り切って、あっさり快諾してしまうものだろうか。手作りのシーツなんかもありますしね。私は針仕事はできないけれど、母や祖母が作ってくれたり作っているのを見た事はある。寝る、以上の文脈が含まれていて、結構見甲斐やり甲斐はありそうだ。私はやらないが。私はイベンターの仕事はできない。思い付いて頭の中で書き上がったら飽きるから。それを出力する際に、想像以上に必要なものが多い事が発覚する事が分かっていても、やっぱりその段階で飽きる。人間としての活動限界が、頭の中の直径くらいしかないらしい。小さいような大きいような。自己を絶えず外界に向けて増幅しなければ生きていけない人も知っているが、私はその真逆である。時代が、あるいはもう少し言葉を小さくして風俗と言うのが適当かもしれないが、自分の増幅、最大化を要求している。味が分からなくなるし耳は遠くなるし絶頂に達するのも難しくなると思うのだが、the more & the higher & the bigger & ..., anyway, the betterになっている、というのが私の意見だ。違ったら違うし、うまい棒には納豆味もあるんだな、くらいで覚えておけばよい。極彩色の遊牧民にはなれないな、と思うのだ。筵の下のじゃがいもにはなれる気がする。床下の梅酒にはなれる気がする。