他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

is it fashion?

ねとりと膜を張るような汗をかく日だった。日本の夏が粘り気と水っけのある足音を立てて肩に手を置いているのが分かる。『ぷりぷり県』で、つとむが粘菌に覆い被さられる時の擬音に「ねさり」がある。非常に好きな擬音なので、私の葬儀をやるのであれば、木魚の音はあれに差し替えてほしい。シーツに屍痕みたいなのが残っていていやだったからシーツを洗ったのだが、洗ったシーツを掛け直してみると、前とそのまま同じそれがぺったりと残っていた。もう、これは染みとかどうとかではなくて、私の人間としての汚穢が寝相で捏ねくり回された結果残った、生の澱みたいなものらしい。睡眠と起床とは、すなわち生まれ変わる事であるという哲学? 的な言辞があったはずだが、私は毎日、昨日までの自分の死骸の上で寝ているようだ。眠いと思えば眠いし、まだ眠くないと思えば眠くないような、微妙な心地だ。ちまちまと中国語の勉強を続けている。どうにも、初級と中級の橋渡しにちょうどいいものがなくて、前に買って使っている問題集みたいなのも、いや、ここに解説が欲しいんだけどというところに、いやそもそも問題と解答しかなくて、辞書の該当字句の項を引っくり返して、あれかこれかそれとも、いや、どれだ分からんという作業をやっている。この取っ組み合いを期待して切り捨てているのか、それともそんな事を考えず(こういうのを作る時に一番大変なのはよい解説を書く事で、そういう意味では手元にある橋下文夫『高級獨文解釋法』が理想的だ)作ったのか。どう言えばいいのか、中国語は日本語のてにおはが欠け落ちたような分かり心地で、いちいち丁寧に措定していかなければ読めない。一回寝るか。それから考えよう。シーズン中の稼働に向けて、エアコンを試運転している。幸いひどいカビ臭などはしていないが、私はトンチンカンだから変な匂いはしているのかもしれない。おとといくらいに、便器に座ってさあ欲求の枷を緩めようかなと思った矢先、目の前の壁にちっちゃい、もやしの切れっ端みたいなムカデの赤ちゃんが這っていた。え、ムカデじゃん、と思ったし声に出たし、千切ったトイレットペーパーでくるんで押し潰して流した。まだこの家に越してきてから害虫害獣の類と遭遇した事はないのだが、この前洗濯機を取り替えた時に、排水口から出てきたものだろうか。ある日風呂桶の中に長いのがいたらいやである。そもそもムカデに出くわしたの自体、生家での幼少期が最後ではないか。高校の部室だか渡り廊下だかで出会ったかも。