他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

already behind

自分の中に強い衝動なり疑問なりが生まれた時、あるいは生まれるとして、それを共有しようという気があるかないか、あるいはその気が生まれるか生まれないかという根本的な差異が人間にはあるというのが私の意見であって、それと同じくらい、「よく分からんけどまあ先に行けばなんとかなるだろう」くらいの、疑問点を抱えたまま息ができるかどうかというのもある。正直なところ、世界に対する好奇心はほとんど失ってしまったのか不活性になったのかはともかくなくなってしまって、目標や好奇心に燃える人のそばにいると、自分がしょうもない人間に見えてなおのことまともに人生をやり過ごそうとの気さえ萎んでしまっている。具体性を抱えるのには耐えられないが、抽象性では暗さの中の明かりにはならず、口をぱくぱくしていたら一日が、一週間が、一ヶ月が、そしてゆくゆくは一年とか一生が終わっている。こういう場合が、最もatheistなのではないだろうか。何もすることがなくて白紙のノートを繰っている方がまだましみたいな日が続いて、本屋で本でも買ってこようかなあ、と思うだけ思って、本屋の近くまで行っても本屋には行っていない。食う以外別に何をするでもないという状態は私の中ではかなりよろしくない精神状態の表れのひとつであるが、まあなってしまったものは仕方がなくて、でもこんな状況を抱えられる能力なんて欲しくなかったような気もする。