他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

膀胱のおでかけ

一日中雨が降っていた。そして寒かった。洗濯物を部屋干しせざるを得なかったので、それによって室温が下がり、これはあかん本格的にシーズンが始まる前に風邪引いてまうわと思ったので暖房をつけた。日本の気候は、ちょうどいいとかいい感じとか、そのへんの形容詞副詞を忘れ去ってしまったのではないかと思えてならない。屋根のある一点から滴下する水滴が物干し竿を打つ音が嫌で嫌で仕方なかったのだが、竿がかかっているくぼみからひょいと持ち上げて、ちょっと位置をずらしてやったら、防犯用の砂利石と地べた目掛けて落ちていくようになり、ぺたぺたと小さな音しかしなくなった。私が何年も耐え忍んだのは何だったのかという気がするし、竿を動かすという些細な動作さえ億劫がったツケとも言えるが、なんというか本当に何だったんだと思う。今現在ひいこら言ってみんながやっていることも、未来にテクノロジーがあっという間に片付けてしまうようになったら、なんやってんあの時間と思うのだろうか。AIというものが、勝手に想像していたよりも随分ちゃんと使えるというか、あまり頓狂な出力ではないようだから、あとはもう、それを使う人間の倫理とか道徳とか、その辺が肝要になってくるんだろうな、と思っている。ついでにこれは、近年の人類が失い続けているものでもあると思うが。どっかの国とどっかの国がAIを使って戦争して、両国の人間は何が起きているのか分からないうちに滅亡するとか、SFでなくてもありそうだもの。自分の目が及ぶ範囲でちまちまやる、人間のキャパシティは存外(存内)その程度なのではないか。多分10年以上使っている英和辞書はページの隙間がぱらぱらしているが、中日辞典はまだみっしりしている。伊坂幸太郎のどれかの作品の登場人物は、ぼろぼろになったらまた新しいのを買って、ドストエフスキーの『罪と罰』を読み続けていたんじゃなかったか。今やっているブレット・トレインという映画、原作が伊坂幸太郎のマリア・ビートルだとこの前本屋で知った。なにやら著作がハリウッドで映画化されるとかされないとか、すげ、と思ったらそれだった。あれってグラスホッパーの続編かなんかじゃなかっただろうか。伊坂幸太郎は、読んだら面白いから読んだらそれが分かって悔しいという訳の分からない理由で読んだり読まなかったりしている。昔たくさん読んだが、何も覚えてない。叔父が好きだった。結構読んだが本当に何も覚えてない。読んでたちまち忘れるのはあの頃から一寸も変わってない。