他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

amour saviour

差し当たり掛けている予備の眼鏡の何が欠点か、それを挙げてみるならば、フレームがそもそも左右対称で生まれ落ちることに失敗しており、どう掛けても座りのいい位置がないことにある。これだけで眼鏡としては失格、著しく資質を欠くと断じてもいいくらいである。なので断じることにする。そういうポジションがないではないのだが、もはやずり落ちる2歩手前くらいの場所であり、私はこれを適正位置とは認めない。そういえば眼鏡を掛ける位置として、いっちゃん目頭に寄せる、鼻先まで下ろすを両極とした時に、個々人の最適解はどこにあるのか、考えたこともないし聞いたこともない。私は半分を目頭側に若干上がったくらいだが、例えばあの人とかあの人はどうなのだろうか。グリンゴッツ銀行にいたゴブリンはほとんどずれ落ちんばかりのところだったが、眼鏡位置の戯画化としてはあれが一方の限界であり、眼窩にめり込んだり逆におでこまで上がってしまったりという他方の限界は、私は見たことがない。これを考えて得られる益があるかといえばそれは全くと言っていいほどないのであって、味噌汁にパセリを浮かべるか浮かべないかみたいな、その程度の問題なのだ。珍しく人と電話をしたが、返答の9割くらいは「はあ」「さあ」「どうですかね」に等しかった。最初のふたつはそもそもカウントしていいのかどうか怪しいと思う。私はどこかで、常に、めちゃくちゃになれと思っている。この命令文の主語も、目的語も、分からないのだが、絶対的モノリスとして、まっさらな、無思考の竜巻の中で沈んでいる。寝付きが死ぬほど悪い。きっと、間違いなく、秋か冬か、どちらの名詞で呼び分けるべきか、それのせいである。バイオリズムとして組み込まれている。本当にしょうもない身体だ。頭の中がぐちゃぐちゃしている。ああ、もう。13文字くらいの悪態があれば、人類は悪態をつかなくなるのではないか。もぺぺぶんすちゃごとらどふすゆ、みたいなやつが。チッ、の代わりにこれしか言えなくしてしまえば。煮込んでなくなってしまったじゃがいもみたいだ。溶けて帰ってこない。