他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

通じない

かなり寒い。昨日の夜から雨が降り続いていたのもあるが、冬の爪先くらいは見えていた。たまに行く店の券売機が代替わりしていた。前は、まさに、これぞ、前時代的な、ユーザーフレンドリーの反対側付近にいるような機械だったが、新しくなって、「タッチパネルで注文する→QRコードを印刷した会計伝票が出る→すぐ横のスキャナにコードを読み込ませて代金を確認→自動キャッシャーで精算」という流れになっていた。??? 普通、設備の刷新というものは、利便性なりなんなりの向上が見込まれるものだが、食券一枚を買うのに、いらない動作が多過ぎるだろうと思った。タッチパネルで選んで、同じ機械を望むのが贅沢なら、間のQRコードはすっ飛ばせないものなのか。絶対、そこ、いらないステップだろ。キャッシャーは自動なので、スタッフ側が両替などの対応をしなくてもいいのは利点なのだろうけれど、それ以外がことごとく、スマートでない近代化だった。最近サービス開始したソシャゲのUIが非常にまずい設計であるという話を見たが、そんな気持ちになった。たまに考えることだけれど、便利という概念は、ある直線の右側、白丸であって、不便という原点からそこまでは、全部無なのかもしれない。便利にはそれ以上もそれ以下もなく、その白丸を越えなければ、あの配線と電化製品ばかりかさばって不恰好な券売機システムになるだけなのではあるまいか。過度に機械化されていないプロセスのいいところは、複雑さの底が知れている点にある。知らないことの繁茂が控えめなため、自分がどこでつまづいているのか分かる。便利になればなるほど不便になる。変な話だが、きっとそうなのだ。元から便利でなければ、便利というものは存在しない。マックで支払い方法の伝達をミスって、外国人のお兄ちゃんが先輩スタッフに助けてもらっているのを見ながら、本当にすまない、と思った。善良で朴訥そうなにいちゃんで、あぁ、こんなところで心労をかけてすまない、日本でうまくやってくれ、お願いだ、と思った。