他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

風雲ゆるゆるおさんぽ録

起きてから、なんとなしにぼーっとしていたら一日が終わっていた。伝染るんですをちょっと読み返した。概して、どこを取ってもぼーっとしていた。まじりけのない川が流れていくようだった。やりたいなと思っていることと、やらないといけないことがある。今、特に「これ」という読みたい本がなくて、ど、ど、どうしよう〜(節がついている)な状態だ。いつ改めて思い直しても机の上の本がやばいのだが、別にどうしようと具体的な施策に訴えるわけではない。根本的に、本棚を買う金で本が買えるなと思っているところがある。しかしアクセスが担保されていない本は紙束みたいなものであるというのも事実だ。行けない場所は観光地にならない。いや、逆に、行けないからこそ人気になったりするのかもしれないが、それは天国とか地獄とか、その辺のものだけの特異的性質であるような気もする。十何年待ちの取り寄せ商品だって、一応結果は期待できるからそれだけ注文が渋滞しているわけだ。ああいうの、いざ届いた時に、注文当時に抱いていたそれへの物質的執着がどれくらい残存しているのか気になる。やった、やっと届いた、随喜滂沱の涙を流すのか、あん? そういやそんなもんあったなくらいまで摩耗してしまうのか。柱にはっつけたままになっていたゆうパックの追跡シール、邪魔なので剥がして、一応郵便局のウェブで検索してみたら、投函した翌日には着いていた。届いた先からは何も言われていないので、もしや歴史の闇と消えたかと思っていたのだが、物質的には到達したらしい。まあ……いいか。中身の価格よりも輸送費の方が高い時、すごく微妙な気持ちになる。一週間くらい前だったと思うが、財布の中にいつまでもポンド玉がじゃらじゃらしているのは意味が分からんなということで、日本円高価の中からつまみ出した。放っておき過ぎである。さらには、4枚くらいしかなかったので甲斐もなかった。10円玉と間違えて2ポンド玉を出したことはある。恥ずかしかったが、恥ずかしいのは私だけだったろう。普通に暮らしていると、外貨の見た目なんてさっぱり知らんもんだ。インドやスリランカの貨幣を知らないし、なんならアメリカのドルだってぼんやりとした、精度10%くらいのイメージしかない。その国の貨幣が具体的にイメージできるようになった時、その地に馴染んだ、根付いたと言えるのかもしれない。でも、電子決済の時代だしな。そうでもないのかな。