他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

きたなさが滲み出てくる

相手の使う言葉をそのままこちらも使うならば、相手の土俵に乗っていることになり、その瞬間に負けである。こちらが語る時は、常に、相手が使う言葉を使わないようにして、絶えず相手を土俵から引きずり下ろさなければならない。どちらかが特権的な高みにいる場合は話し合いは成立しないからである。駅構内でうずくまっているホームレスの人が、横にドンキの真新しいレジ袋を置いていて、その中には箱から出す前の百万円貯金箱が入っていた。壮大なユーモアなのか、切実な具象化なのか、私には分からなかったが、ぎょっとする組み合わせではあった。ある試みを実行して、それは「よいお年を」と言わないことだった。この言葉に気持ちを込めることはできないな、別にそう思ってないし、と判断したので、言わないようにしてみた。さようならとか、普通のことを言った。これで問題なかったので、以降も言わないようにしてみたい。定型句、しかも一年でほんの一瞬だけ吹き荒れる言葉に中身を装填するには、私の素直さが足りなかった。メモ魔になるには、常日頃からメモ魔にならねばならぬのだ、と唐突な強迫観念が来たり、ノートにぐりぐりとボールペンで書いた。井上ひさしがメモ魔であった、という事実が少し遅れて頭の中で反響したのだろう。