他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

あるけどいない

本屋に行ったが、私が家を出た時に読みたかった本は一冊もなかった。古い本とか、いやそもそも古い本ばっかりだったからか、絶版だかなんだかで、多分普通の書店では取り寄せになるのかなんなのか。本屋の利点はその場でモノとして本を獲得できるところで、それだから店頭に在庫がないと諦めることにしている。醤油屋に殴り込んでマンションを建ててくれとふっかけているようなものだからだ。変な例えだが。仕方ないのでぶらぶらして、向田邦子のエッセイとか、開高健の対談とか、町田康のエッセイとかを買っていた。今日はエッセイの気分だったのだろうか。気付けばエッセイばかりである。カリエールの外交談判法(岩波文庫白)も買ったが、これは、大学の授業で妙に覚えている教授が、何かの文脈で推薦していたのを、当時の私がなるほどと図書館に赴き読んだのを懐かしんだものである。内容は覚えていないが、確か外交における真っ当なメソッドが書いてあって、でもまともなことがわざわざ書かれるということはまともなことを言われないと当時はできなかったからで、常識人であるのが一番しんどいことだという言も思い出す。特に現在は、貧すれば鈍するの教科書見本図になりそうな時代であり、まともがさっぱり機能していないわけだから、なおのこと重みを増す。嘘をつかない、正直にやる、小学校の道徳で学ぶのさえ遅いと言いたくなるこれをできない大の大人が道徳を教科として繰り上げたのだから、アリストパネスが生き返ったら連日連夜新作上演を拝めることだろう。まともであるのはしんどいことかもしれないが、まとも以外はもっとしんどくなるのだから、まともであるためにしんどい思いをし続ける必要がある、このことからまず認識しなければならない。平和というのは本質的に全く平和ではなく、恒久的にその維持を必要とする状態である。向田邦子のエッセイは、前にも何冊か買っているはずだが、およそどれを読んでも、その飾らなさと、くるくるきゅっと巧みに置かれた構成の妙にふむむ、となる。向田邦子は人に恵まれた人、だったのだろうとエッセイから勝手に想像している。もちろん手品みたいに、無から類稀なるエッセイをものす人もいるけれど、向田邦子は普段から人と触れ合っていて、外に視線を向けることに慣れて長じていたから見ているものが多い。ある時点以降の人生は、それまでの人生の切り売りではないか、と前に思ったのだが、切り売りするにも切り取る術がなければ売りに出せない。素晴らしい包丁さばきなのである。