他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

函装

心理カーブの下降が始まっており、近々鬱屈して耐え難い(耐えられないわけではない)状態になる見込みがある。天気予報みたいだな。自分の精神状態の天気予報(天気ではないけど)も、テクノロジーが進化すると現実的に登場してくるのだろうか。なんとかウォッチみたいなやつが、今日はこれこれで何日か後にひどく落ち込むであろうからさっさとこれこれの用件を済ませておくがよろしい、とか。うるせえ、と思う気持ちと、事前に分かっているだけちょっとマシかも、と思う気持ちがある。どっちも同じくらい本物かもしれない。町田康『しらふで生きる』、これが昨日言っていた断酒エッセイだかなんだか、それに近い類する本なのだが、自分の思考の流れを文庫にして250ページ超まで手繰り出すその精神の強靭さ、これについては何と形容するべきか分からないのでとりあえず強靭さとしておく、それに内容の縷々刻々さにパッと気付いた瞬間、この人こわいな、と醒めた気持ちになった。それを為すのが猛烈な克己心なのか、かなしみを伴う自己思考部分の乖離なのかは不明だけれども、頭の中のタイムビデオをテレビに頭突っ込んで見せられているみたいでぞっとしたのだった。もう一度本屋に行って、高い本だから買う気はなかったのだが、装丁に映っているお世辞にも行儀品行よさそうに見えない野坂昭如の写真と、自作を読み返したことはなかったのだが全集を出すにあたって読み返して自分天才だと思った、旨の野坂昭如の短文を読んで、うわあ、かっけえ、と思って国書刊行会コレクションの2を買ってしまった。なぜ2を買ったかと言えばなぜか1がなかったからだが。特にのぼせている作家についてはいつか全集を手元に置きたい、と思っているけれど、それと同じくらい、前後関係についてはそれの前に、本棚を置かんければならん、とも思っている。私は落ち込む時期に本を買い込むようだ。すると2ヶ月程度はそこそこ安定していたということであり、まあよかったんだか悪かったんだかは地獄の閻魔にでも聞いてみるしかない。私には本当にわからん。