他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

掬われず、止めず。

傍を歩いていた女子3人組が「パコパコしちゃって〜」と言っていたので、すわいやらしい話をしているのか実にけしからんと思ってついと視線を投げると、パコパコしていたのはミュールの話であった。緩むか何かしたらしい。私の鋭敏な動きを返して欲しかった。すぐそこに靴・鞄修理屋があるのだから、行ってみてはどうなのかとは思わなかった。靴擦れフェチというものが、この世に存在するだろうと考えたからである。手タレという存在が存在するように、ささくれ・さかむけフェチも存在するであろう。綺麗な手の写真集があるならば、水回りでぼろぼろになった手の写真集があってもよいのである。ともかく、脊髄反射レベルで脳味噌が刺激をピンク色に変換しようとしている事だけは確実だった。どうにかした方がいいのかどうか一人でずぅっと悩んではいるのだけれど、相談相手対話相手が他ならぬそんな思考、もはや思想と言ってしまってもいいかもしれない自分自身であるから、ただ自己補強を繰り返しているだけのような気がしてならない。補強してまで守るものではない。ただ、為されるがままに侵食されたいものでもない。足場は多い方がいいと、プレステ2のクラッシュバンディクーで学んだ。それとは一切関係ない文脈での話だが、「ビジネスホテルに女を連れ込む時に躊躇ってはいけない。躊躇ったらもうそこでダメなのだ」と諭された。私がビジネスホテルに女を連れ込もうとした事実はなく、そんな嘘をついてもいない。ただ、そんな話をされた。誤解を招くような比喩を取り除いて意味のエッセンスだけを取り出せば、「物事には然るべき時があり、その時を逃してはいけない」という話ではあったのだけれど、「君にはまだ分からないだろうけれど」とも付け加えられた。「ええ、まあ、それはそうですけれど」と全く、本当に何の中身もないからっぽな答えしか返せなかった。実体験の伴わないイメージに質量を持たせようなど、それは無理な相談である。言葉の錬金術、レトリックをまるであるかのように振り回せば叶う話ではあるが、そこまでして私は相手の求めていた男性(おとこせい)に則って訴えようとはしなかった。した事がないし、予定もないし、分からないからだ。心底、底までさらっても。極めて頗る大変滅茶苦茶頻りにセクシャルな表現を持ち出してくる相手ではあったが、今日は一段となんだそれはと思った。あと、私は連れ込むのではなく連れ込まれたいので、その点でも引っかかりまくった。話のカリ首が立ち過ぎている。摩擦ばかりだった。