他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

後ろに投げる

昨日は早くに寝たはずなのだが、寝起きは全然ダメだった。おかしいな。ぼんやりと頭の中で考えると、私の身体は9〜10時間睡眠サイクルでできているようである。長くない? しかし、どうやってもおよそそんな感じになるのである。不便な身体だね。その割に働く頭というわけでもないから、損をしているようなしていないような。午後に雨が降っていたような気がする。庭の紫陽花的な植物が水滴に光る葉をちらちらさせていたので、多分そうだろう。ぱたぱたという音がしていた記憶がある。冷蔵庫の中から食料がなくなってきたので、明日はもうそれは本当に嘘無しで買い物に行かないと食い物が尽きる。や、あるのだが、片手落ちというか、食事に対するバリエーションが一切出せないようなものしか残っていないので仕方がない。調味料も、久しぶりに品数が少なくなってきたので、どうにかしよう。ハーブがなくなったし、料理酒もなくなりそうだ。料理酒は、日本酒、紹興酒と変遷してきたので、次はワインを買ってみようと思っている。正直、さっぱり飲まないので白だろうが赤だろうが、青だろうが緑だろうが(運動会は基本紅白の二組しかない人生を送ってきたのだが、小学校の歌の本には、緑組とか青組の番も応援歌にはあった。ワインとは全く関係がない)違いがない。なんか違うのか? 匂い? 味? 色以外分からん。前にざっと見た感じでは、1000円前後で一本買えたはずなので、なんか適当に買ってみるか。なんか、今日は元気がないのでこの辺にする。んんー。

無免許男女のあはんうふん

この前考えていた事がある。「免許を持っていない男女のカーセックス」とメモにある。カーセックスというと、要するに車の中で性交するわけであるが(「こうごう」で変換しようと思ったが延々変換できないので諦めた)、これってもしかすると、男女どちらかが車の免許を持っている=車を運転していたという事実がないと発生しないシチュエーションなのではないかと考えたわけである。まあ、別に異性でなくともよいのだけれど。両者ともに無免許だった場合、そもそも車を所有する意味がない。世の中は広いので、乗らないし乗れないけれど車は蒐集したいという人もいるだろうから、全きゼロではないにしても、無視してよい数だろう。家族の誰かが所有する車に、鍵を拝借して、パートナーを連れ込み、蜜月と洒落込むというのは、考えるには簡単であるけれども、そこまでしてその場所を選んでアンアンハァハァするというのは、よっぽどそのシチュエーションに対して偏執的な指向がなければやらないというか発想もしないだろう。匂いが染み付いたり残留したりするといけないから、窓を開けて換気し、体液の飛散などを考えてシートの上にマットなりタオルなりを敷く事まで考えると、やはりそこまでのエネルギーがあるのであれば免許を取得しているのではないか。ドライブに行きたいので免許を取りました! は聞いた事があるが、「私はカーセックスがしたいので免許を取りました」は聞いた事がない。いるかもしれないのだが、そして世界は広いから、もしかして百や二百はいるのかもしれないけれど、少なくとも私は知らない。とすると、やはり、「免許を持っていない男女のカーセックス」というのはそれ自体成立し得ない命題であるという事になる。例外として思い付いたのは、「マジックミラー号系の撮影で、ドライバーは免許を持っているが、実際にセックスをする男女は無免許」がありえるけれども、そもそもマジックミラー号内でのセックスをカーセックスとして捉えてよいものかどうか疑問である。オイクーメネーの懐を考えると、カーセックスをする用の「カー」を派遣するサービスもあるのかもしれないが、人間の想像力というのは野放しにしてはいけないものであるという教訓になった。それで思い出したのだが、ラブドールの派遣サービスがあるらしいのだが、その使用して使用されたところのドールは、誰が洗うのだろうかと思った。その存在も扱いもデリケートでセンシティブなものだから、業者の方がやるのかな。

うなぎのカッパ焼き

雨が降っていたので最悪である。一日降っていた。ずびずばずびずばずっと水音がしている。昨日洗濯物を取り込む時、竿の端っこに風で追いやられていたと思しきシャツがびっちゃびちゃになっていたが、それも一日見て見ぬ振りをした。一方の端から他方の端まで移動して、物干し竿を味わっていた。明日には止むらしいので、明日洗濯物を干す時に救出したいと思う。救出というか、骨を拾うというか。本当はシーツを洗いたかったのだが、天気にめちゃくちゃな邪魔をされた。なかなかシーツが洗えない。今日か昨日か、すごく嫌な夢を見たような気がするのだが、思い違いだったか。人それぞれにアイディアが落っこちてくる時間帯、あるいはシチュエーションが異なると思うが、私の場合は布団に横になってから寝付くまでの間が、一番脳味噌が元気である。それとも、脳味噌の全く役に立たない部分が、と言うのが正解かもしれない。自分が面白いだけのアイディアがいっぱい出てくるので、その存在を最近思い出したノートに書き留めている。12年間くらい硬筆を習っていた、むらむらするほどいい字を書く人に、私の字は「きれいではないが読みやすくていい」という評をもらった。これは少なからず嬉しかった。左利きにしては頑張っている方である。その人の字は、振る舞いが大ぶりでありながら、がっちりした骨太な感じと、ふと外した悠長さみたいなものが混じっていて、とてもよい。昨日、今日は買い物に行こうとか考えていたはずなのだが、その考えは起きた瞬間に頭の中で粉砕した。雨は全ての行動のimpedimentになる。きのこがないし、オリーブオイルの残量がピンチだし、買っておきたいものはあるのだけど。ここ数日なんとか我慢していたが、晩飯の後の皿洗いをしている時、ついにまともに流れる事を止めたので、キッチンの流しを掃除した。油絵の具の汚いところだけを煮詰めたような地獄が形成されているので、可能であれば関わりたくないのであるが、水回りは人間誰しもが避けては通れない道であるから、向き合う事にした。ああ、家事に参画しない人は知らないままなのかな。直接触るのが嫌な状態になっているのは分かりきっていたから、厚手のジッパーバッグを片手に装着し、そろそろ交換の時期だった歯ブラシを他方の手に持ち、湯を流しながらちまちまやった。形あるものが漏れないカゴのその下、なんかのパーツもすごい事になっていて、そこは手が届かないので、ちょいちょいして危険を感じて触らなかった。パイプユニッシュ的な、でろでろを溶かすものが必要である。

おたまじゃくしフル回転

昨日は23時くらいに眠りについた。寝つきはよかった方だと思う。寝起き全然ダメだったが。ダメだった。なんかのゴミを捨てなきゃいけない日だったような気がするなーと思って、いつもそれが具体的になんだったのか思い出せない。掃除機はかけた。前にかけたのはいつだか覚えていない。いつだろう。まあ、今日かけたのでいいか。その過程で、ちょうど掃除機のコード根源にあって邪魔だったので、牛乳パックをちょきちょきした。リサイクルに出さずそのままぽいしている人も、ゴミ捨て場を観察する限りいるようだが、再利用できるんならまあすればいいのではないかと思う。どれくらいの効率差があるのか知らないけれど。食品トレーも溜まってきたので、オリーブオイルとかを買いに行くついでに、今度出してこようか。コロナがこうなったくらいの初期、スーパーに牛乳パックやらのリサイクル資源を持っていったら、感染防止のためとか言ってリサイクルボックスが封鎖されている事があった。あの時に比べると、情勢は変わったというか、国内に関しては変わっていないというか悪化しているというか。よくはないわな。その後フロアワイパーもかけたので、床の感触が変わった気がする。今日は比較的ぼーっとしていたので覚えていない。提出しないといけないものは出しておいたので、後顧の憂いはないはずであるが。明日、午前中に買い物に行ってしまおうか。午後に家にいればいいのだし。流しの排水がまた悪くなってきた。前の清掃が適当だったのが災いしたというか、順当な結果として出てきたというか。なんか、錠剤的なものを放り込んでそれで済むのであればいいのだが。流れた食材のクズとかが詰まっているのもあるだろうから、やっぱりやらないとダメか。めんどうだな。明日買い物に行くなら、そういう系のアイテムも一緒に探してみるか。考えるのめんどくせーな〜〜〜〜。玄関に赤いシミみたいなのがあった気がする。ゴミ袋の中に入っていた、コチュジャンか辣油を拭き取ったか残滓みたいなものがどこかから漏れたのか。あれも一応、水で流しておいてやった方がいいのだろうな。残らないように。そういえば、新しく買っておいた辣油が、蓋が開かない。蓋のミゾがバグっているのか、回しても回しても回しても、同じ場所を楽しそうにくるくるトゥーで回転するだけだった。それが何日か前の事で、さっき開けようとしたら今度はカッチカチになっていた。なんなんだお前は。今度、熱湯をぶっかけて蓋がゆるんだところを一気にいくあれで開かないかどうか試す。

できたてのチョコバナナ

スマホの写真フォルダを見ていたら、よく分からん写真があった。昨日撮ったやつだが。綺麗な風景とかなんとかは撮る事がなくて、道に落ちている面白いゴミとか、蔦に覆われた家とか(以前、巻きついている蔦に花が咲いているところを見て、この類の蔦にも花は咲くんだなと知った。もしかすると、家をひしいでいる大多数の蔦ではなくて、端っこの方に紛れ込んでいる別種類の蔦だったのかもしれないけれど)、街灯に貼ってある「JKとデート(ハート)」「イケメンとデート(ハート)」という怪しい斡旋業みたいなチラシとかを撮っている。前者はピンクで、後者は黄色だったはずである。ブサイク・デブ禁止など、ルッキズムとその他諸々があからさまに丸見えになった、駆逐するのは到底無理なのではないかと思わせる人種と思考がギラついている、チラシというか、A6とかもっと小さいサイズの紙切れだが。ああいうのを見ると、世界から分断はなくならんだろうなと悲観的になる。で、写真フォルダの中にあったのは、キティちゃん印のチョコバナナが路上に落ちている写真だった。チョコバナナが路上に落ちているところを見た事があるだろうか? 縁日とかだとあるのかな。私はなかったので写真を撮った。串が刺さっているタイプではなく、小包装になったタイプで、買い物袋からこぼれ落ちたのか、おそらく手付かずの状態でそこにある事になったのだろうと思われた。私が見た時には、バナナの真ん中土手っ腹あたりにずぼりとくぼみができていて、サイズ的にも状況的にも、カラスあたりがついばんだのだろうと推察される。なぜ全部平らげてしまったのか謎であるが、交通が激しいと言えば激しい場所だったから、チャリか自動車が迫ってきたため飛び去り、そのままここを離れてしまったのであろう。一体、このハローキティデザインのチョコバナナを買う人はどんな人なのだろう。分からん。チョコバナナを食いたいと思う瞬間が、一年の中で寸分たりともないという事実を今認識したので、買って落とした人は、その類稀なる衝動に突き動かされたわけだ。チョコバナナを食いたいという明確な意思を持った瞬間が、人生で何回あっただろうか? 生徒会役員共や、キルミーベイベーに出てきたような気がするので、その辺の話を読んだ時に思ったかもしれないが。縁日において、そもそもチョコバナナの屋台って見ないものな。りんご飴も、最近はあるのか? まだあるのか? もう何年も縁日的なものに足を運んでいないので、記憶の中の残骸としか照応できない。

手描きの方眼紙

すごい眠い。もう風呂に入ったからか。明日は、洗濯物の量がそこまで多くないので、シーツを洗いたいと思う。年季を考えると、そしてニトリのぺらい煎餅布団である事を考えると、買い直してもいいぐらいだとは思うのだが、今の家に引っ越してきた時、えっちらおっちらシングル寝具を運んでめちゃくちゃ重かった記憶があるので、もう二度とあのような思いはしたくないですなあというのもある。今の椅子も、その段階で買ったのだったが、当時店頭でなぜそんなに惚れ込んだのかよく分からない。別に壊れるでもなく、使う上で目立ったストレスもなく、意識に邪魔が入る事なく使えているが。そういうのがいい、と言うのかな。机の前以外の場所への取り回しが最悪なのは仕方がない。部屋がきちゃない。あと、椅子自体かなりガタイがいいので、他に使いどころがないのは幸いかもしれない。今日も渋谷は汚い町だった。ゴミがいっぱいあった。だいたい、どこに行けばゴミがポイ捨てされているか覚えているルートもある。特にお気に入りの一地点は、必ずと言っていいほど酒系のゴミが捨ててある。あそこで毎晩、入れ替わりで酔いつぶれる人がいるのだろうか。109の周辺を通っていると、ホームレスの人が花壇に身を横たえて寝ていた。パンジーか何か、小学校の花壇でなにやら見覚えのある花が植わっているのだが、それを下敷きにするように寝ていた。厳密には、花が植わっているところの間を縫うように身体を倒したのだろうが、人間の身体はそこまで細くできていないので、結果として何かの花を轢き潰していた。それを見てから、周りの花壇を見回してみると、どうやら他の場所でも、花が何かしらの圧力をかけられたかのようなくたれ方をしている。何も、花壇の花を圧迫してへんなりさせるのはホームレスだけではなく、花に気遣いせず花壇に腰かけたりするような人もいるので、全部が全部そうというわけではないのだろうが、世の中にはちゃんと原因と結果があるんだなあと思った。そんな事で感じなくてもよいと思うのだが、私の情緒は人がいない獣道の方へ嬉々として入り込んでいくため、コントロールができない。暑いと言えば暑かったし、日差しや湿度が適当なところにいれば春もうららで過ごしやすい日だったのだろう。ほとんど屋内にいたけれど。相変わらず、交差点には不思議な人やものがいっぱいあって、やはりあの場所には、トンチキな万物を寄せ付ける磁場があるのだと思わずにはいられなかった。

粘仏

昼前に起きた。体調がよろしくなかったのだろうか。そのくせ、20時を過ぎた今の段階で眠いので、もしかしてこれは、春眠……のアレなのかしら。や、あれは早起きが難しいという話であって、早くに眠いというのは別問題か。春だ春だと言おうとしてみるものの、気温があまり春からぬ(そんな言葉あるのか? 春らしからぬか)寒さであるから、そんな感じもしない。桜を見てみるのでも、そういう気分を味わえるのかもしれないが、桜を見るよりは、ヤマザキ春のパンまつりが始まっている方が、私にとってはよっぽど春の号砲である。春よ進めいざゆかん、割引シールの貼られたダブルソフトで点数を稼ぐのだ、されば無垢の皿が与えられん。あの祭典といえば無地の白くてぬったりした皿だというイメージがあるのだが、きっとまだそういう皿が頒布されているのだよな。不安になって調べてみたが、そうだった。しかも、春のパンまつりヒストリーという、歴代のパンまつりで頒布された白い皿が時系列で一望できる、ギャグか間違い探しかみたいなページがあった。白くて、概ねの形状が一緒で、のっぺりした皿がただただ並んでいるだけの景色は、なぜだかとても面白い。ところどころにパン製品の画像が挟まってくるが、ただただ邪魔なだけである。知らなくてもよい、よく分からない事をまたひとつ知ってしまった。いつか、どこかで使う時が来るのかな。今日は、特に何をしたわけでもなかった。起きた時間もよくなかったし。買ってきたソーセージと目玉焼きをご飯にした。別にそこまでソーセージが思ったほどではなくて、肉であるという点以外にこいつに何かを見出すのは難しいんじゃないかという気がした。惣菜パンに入っているウィンナーだかソーセージだかしれない肉らしき物体の方が、よほどそれらしい気がした。なんでだろうな。『ぷりぷり県』を、頭のどこを使うでもなく読み直しているが、面白い。そもそも、何かを読み返すという事がないので、再読しているというだけでも私としては驚くべき事である。何と言ったものだか、話の本筋に関係のない、つとむの絶妙な顔であるとか、擬音の妙ちきりんな感じであるとか、言語にはならないあたりの、人間の情緒のスープみたいなところがぱちゃぱちゃとさざめき立って喜んでいる感じがある。そうでなくとも、読んでいて全く何について生産的に繋がるものでもないという点が楽である。読んで、そして、別に何という事はない。

リアス式海岸式海岸

よく分かんないZoom会合がまだ終わらないので、今日はさらっと書きます。銀行口座の残高問題はなんとか解決したので、食材の買い出しに行った。きのこ類を買うのを忘れた。いつも何かしら一品目、買い忘れる。そのかわり、鶏がらスープの素は買ってきた。洗濯物を回すのは明日かしら。

粘棒

ちらっと見えた広告に、丸亀うどん弁当という文字があった。どういう事? 四角い弁当容器から、箸でうどんを持ち上げている画像が見えた。どういう事? 疑問が尽きない。調べた。弁当容器にうどんが入っていた。なるほど? ラーメン屋のテイクアウトやデリバリーでは、スープを入れた容器の上の方に、上手く渡るように麺が格納されたパーツがはめられるようになっている。改めて言われてみると、うどんのテイクアウトは考えた事がなかったかもしれない。卵焼きとか入ってるし。のり弁みたいな一番安くてベーシックなものが390円で、一番上が肉うどんで650円のようだ。かなりリーズナブルである。丸亀と言えばそのフットワークの軽さが強みだから、かなりの低価格から展開されているのには納得がいく。コンビニのさびしいそばとかうどんを思い出しそうな気がするが、丸亀ならば大丈夫であろう。注文していた古本が届いた。状態:可だったので、まあ触ってぼろぼろ屑が出て読みづらくなければいいか、と思っていたのだが、外箱が薄くチョコレート色になっていて、ああ、古本と言えば確かにこうだなと思い出した。昭和30年中頃の初版なので、今から、えーと、いっぱい前である。そもそも、函製の本自体、見かける事があまりないような気もしたが、講談社BOXみたいなものもある。世界なんちゃら全集とか、文学全集とか、そういうのは、どうだろう、箱に入っていただろうか。著名な人が編集責任をやっている、現代作家に古典を新訳してもらうシリーズ(絶賛続刊がいっぱいあったはず。名前は完全に忘れた)は箱に入っていたかしら。あったとて、見栄えがするだけで保管にあたっては目立ったメリットではないから、その分安くなるのであればまあいいのかな。本文の、ちょうど親指が当たるくらいのところに、ちょうど指をペロリと舐めて唾液をくっつけたような指型が見えて、これは、つまり、そういう事かもしれんなあと思った。古本の色味はカビによるものらしいから、唾液のシミの一つや二つでどうこう言っても仕方がない。ページをめくるたびに目が痒くなるのには参ったが。多分、埃か何かに目の粘膜が敏感に反応したのだと思うが。全く予期せぬ事に、配本時の年報みたいなものも入っていて、執筆者の一人がビッグネームだったので驚いた。これでまた本が一冊増えてしまったわけだが、さて、どこにどうやってしまおうか。ゴミ捨ての事も思い出した。

勝手に人の耳を掃除するということ

髪を切りに行った。それとは別に、銀行の残高を確認しに行く用事もあったので、ちょうどよかった。ちょっと前にはあったかいと言ったはずなのだが、揺り戻しなのかなんなのか、また冷え込む日もある。膝の上にはまだ半纏が乗っている。日中は着ている事もある。路上のゲロ袋は、水気を失ってころころした姿になってはいたが、まだあった。隣のバナナの皮も、黒ずんだ状態でお伴をしていた。残高を見て仰天した。危うく、明日明後日くらいはどうにかなるとして、来週の飯がピンチなぐらいしかなかった。一体どういうわけか、頭の中で計算してみたが、一応計算は合っていたので、今週をなんとか凌ぎ切らなければいけない。ネット古書店で探したあの本が、バカみたいに高くなくてよかった。その場合は、料金の支払いができなかっただけだろうから、害はないといえばないのかもしれないが。こういう時、使っているカードが、使ったはしから引き落とされるタイプでよかったようなよくなかったような気がする。見かけ上の残金が減らなければ、過剰に本を買う気もするので、やっぱりこれでいいのだろう。髪を切りに行くと、3人くらい待っていた。平日の、変な時間を選んでいるんだぞ、どういう事だ、と思ったけれど、壁面の鏡からそのまま木霊してきそうだったので、むべなるかなと思うしかなかった。待っている間、ちくま文庫向田邦子ベスト・エッセイを読んでいた。2020年三月に初版が出て、私が買ったのが2021年二月の12刷だから、このご時世の本にしてはよく売れている方なのだろう。向田邦子は、エッセイが面白いはずと、頭のどこかが覚えていたのだ。国語の教科書か何かに載っていて、大学生の時のどっかの夏休みあたりに、何か本も読んでいるはずなのだが、さっぱり思い出せない。読みやすい文章で、さらさらとしたくどさのない感触である。何を書くにしてもよい着眼点を見つける鼻のよさがあって、記憶に違わずよいエッセイだと思った。特に、食べ物についてのエッセイがいい。食べ物に関するエッセイが「食いしんぼう」というくくりで収められているほど、食べ物についてあれこれ書いてある。自分で、久しぶりに文章を日記以外で書いたが、疲れた。頭の中にあるもにょもにょした感じを、果たして文字に転写するとこうなのか、それとも的を外していて、もっと適切なものがあるのか、と考え続けて、すぐ気をやるので、集中して、なんとかなった。推敲は、他人のものはいいが、自分のものでやるのは苦手である。

安上がりパンチ

ガラケーのメモに、「米袋ウィンドブレイク」という文字列が残っていた、意味が分からない。このメモを残したのは他ならぬ自分なのだが、何が言いたかったのか、というか、何のイメージの切れ端をこの言葉に残したのかが分からない。思い出した気になるいくつかのイメージを辿ってみると、ここで言う米袋とは、プラではなく紙の、茶色いごわごわした、ちょっと光沢があるようなないようなのあれのはずだ。ウィンドブレイクは、ウィンドブレーカー、上着の一種の事を言っているんではないかと思っていたけど数十文字前を書きながら思い出した。そうだ。あれだ。自転車のハンドルに、冬場は外気とガンガン接触して手がかじかむので、風除けのような、ミトンみたいなものを取り付ける事がある。バイクとかでも、付けている人がいますね。そのウィンドブレイクな役割を、バイクのハンドルに、「プラの米袋を適当なサイズにちぎって」取り付けて実現している人がいた。いたというか、そういう自転車が停まっていた。日曜日くらいに。思い出した。「米袋ウィンドブレイク」からよくも思い出せたものだが。同じ日に見たものでは、ゲロが中に詰まったビニル袋の団子みたいな謎の物体が、まだ路上に放置されていた。中身が見るからに吐瀉物的な、あまり近寄りたくない何かしらなので、近隣住民も手をつけていないものと思われる。あるいは、昨日(昨日だったっけ?)の雨でどこかで流れているものと期待していたのだろうか。メモにはもう少し書付があったので続ける。電車内のなんかの書籍の広告で、「テレビやWebなど、さまざまなメディアで話題!」という文言があった。なんと頭の悪い文章であろうか、と思った。メディアと言ったら、テレビ、Web(これはもはやインターネットと近似してもいいだろう)、あとはギリギリ新聞が入るくらいしかなかろう。話題と言っても本当に「話題」かどうか疑わしくて、番組で取り上げられた(取り上げてもらった)か、Web広告を打ったかくらいではないか。要するに、「テレビで紹介されたしインターネットに広告も出稿しました」というのを、「など」「さまざまな」「メディア」という不定名詞の百鬼夜行みたいなものをぶら下げる事で、それ以上に広汎な何かしらにおいても盛り上がりがあるかのような詭弁を弄しているのが、やだな、と思ったのである。私の行き過ぎた被害妄想かもしれないが。など、などは便利ではあるが、それを使う時には隙が残っているので、強弁するのであればあまり使わない方がいいのではないかしら、などと思ったわけである。

追徴

昨日、アリストパネスの『蜂』を読んで、今日は『女の議会』を読んだ。岩波文庫からそれぞれ2014、2019年に復刊されたらしいのを昨日買ってきた。奥付を確認してみたが、復刊年から版が重なった様子はない。まあ、そうだろうと思う。内容の良し悪しは別にして、売れないだろう。ギリシア・ローマ古典系では、プラトンの有名な対話篇いくつかくらいしかほどほどに出ないのではないかしら。この復刊の仕方が私としては最高に面白くて、昔の岩波文庫にはカバーがなかったから、当時のガワ、要するに表1と4がそのままカバーになっている。だから、カバーをひっぱがすと全く同じ表紙が出てくる。大多数の洋書みたく、カバーやら帯やら廃止してしまえばいいと思うのだが、値段そのものを表示する義務がなんちゃらとかかんちゃらとか、ナンセンスなあれそれがどうこうしてそうなる気配は全く見えない。復刊であって新訳ではない。当時の版面をそのままオンデマンド印刷したくらいのものではないか。『蜂』の方はそこまでではないが、『女の議会』の方は活字がぶりぶりしているし旧字体がすごいし言葉遣いもすごいし、図書館の隅っこにある角が丸まったザ・岩波文庫という感じがある。どちらも、訳者は私が一生かかったとて及ばぬ立派極まる先生によるものだから、註も丁寧に読む価値がある。いちいち巻末を開くのが面倒だから、こういう時は巻末註や章末註よりも脚注の方が便利だ。註をまともに読まないと、アリストパネスのおもしろポイントを半分くらい読み飛ばしてしまう事になるから、手間ではあるが参照を惜しむのは惜しい。そんな事を言い始めたら、ギリシア語原文を目の前に用意して、種々様々の注釈を脇に置いて、あの分からん文章をためつすがめつしなければいけないので、5割6割程度で満足するので一応は十分だと思っている。雨が降っていた。ずっと降っていた。雨は嫌だ。本当は洗濯物を干そうと思っていたのだけれど、先述の理由があるので。目的もなく、順番をめちゃくちゃにして本を読んでいるので、買ってきた本と新たに買ってきた本と読んでいないまま積んでいる本がぐちゃぐちゃになっている。汚いなあ……。電子書籍だと、目がちらちらちらちらして全く集中できないので、紙で読むしかない。一応タブレットは持っているが、全くと言っていいほど使っていない。それは別として、至る所に本が散乱しているので、せめてひとところに押し込むくらいはした方がいいかもしれない。

ぺいりえる

暑かった。外に出る時、上に何か羽織る必要は全くなかった。暑かった。袖をまくってみたり、皮相的な行為をしてみたものの、暑い事には全く変わりなく、脱ごうかなあ、でも脱ぐとモノとして扱って、腕に持ったりカバンに入れたりしなくてはいけない、それはめんどくさい、ならば自ら肉ハンガーとなり続ける事でその手間を省こうではないかと考えた。円を描いて走っていたようなものだった。暑いと思っているのに走らなくてもよさそうなものだが。服に関しては、どう組み合わせても3段階くらいにしか調節できない手持ちであるから、あってもいいがなくてもいいという微妙な気温になると、対応が難しくなる。ちょっと寒いなと思って、少し力めば、粘液の層だか膜だかみたいなものが浮き上がってきて、服の代わりになれば楽なのにね。不要になったら、粘液なので、その辺りに、邪魔にならないように脱ぎ捨てたり、下水溝に押し込んだりできるし。人間の体から出る液体の中で、いやな気持ちにならない液体はなんでしょうね。羊水とか? 羊水って匂いはあるのだろうか。人体なので、どこかしらにも何かしらの匂いはありそうだけれど、それにしても羊水か。考えた事がなかった。羊水を嗅いでみたい。透明なビニール袋でゴミを出さないといけないらしいので、多少色がついた袋で捨てても回収はしてくれたから絶対統一原則ではないのだろうが、生ゴミについて、丁寧に処理していると気付かないが、飲食店のゴミ袋とかはすごい事になっている。両腕を回して抱えなければいけないようなサイズにパンパンに入って、隅っこの方にオレンジ色の油が溜まっていたり、壁にへばりついてこちらを恨めしく見つめるように、べちょべちょした何かがべったり流れていたり。私はゴミが好きなので、渋谷を歩いている時なんか、ゴミとかゲロが散乱しているのを見るとテンションが上がる。今日、近所で見た家庭ゴミの袋には、大豆や納豆にしてはでかい、ころころした丸くて柔らかそうな何か茶色いものが、半分不定形に溶け合ってクラスタを形成していた。あれが食べ物だったのか、可食部から取り除かれた内臓的な何かや、錬金に失敗したホムンクルスだったのか分からない。丸の形はおおよそ揃っていて、何だったのだろうな、あれは。本屋に寄って、目当てのものを探したが、どうやら絶版&稀覯本になっているらしく、新刊書店では見つからなかった。そのまま出ればいいのに、3冊買って帰ってきてしまった。本をこれ以上増やすな。

はくちゅ

昨日から思い悩んでいた作業だったが、なんとか今日の夕方には終わり、仕上げも終わって渡す事ができた。よかった。めちゃくちゃ持て余す資源ごみも生まれたが、これは仕方がない副産物である。来週の手頃なところで捨てよう。寝覚めはあんまりよくなくて、7時半過ぎのアラームでむにゃむにゃしながら、9時手前くらいまで柔らかい泥の中をうごめいていたのだが、私が知らない間に家に入ってきた大家さんが、風呂場周りに保管してあるアレとかアレを見て腰を抜かしドン引きする夢をその間に抱いていた。アレとかアレを見てドン引きしない人を探してくる方が難しいのは間違いない。そもそもまともに名詞を上げられないものなのであるからして。洗濯物を干した。寝巻きはそろそろスウェットでなくてもいいというか、スウェットでないほうがいい季節だ。しかし、中間のグラデーションがなく、もう一つの選択肢がパイル地のハーフパンツとでろでろに伸びた古い半袖Tシャツなので、過渡期を設ける事ができないため、どこかでえいやっと対岸に飛び移るような勢いが必要になる。まだ、そこまででもない。瓶とか缶とかのゴミを捨てた。ちょっとスッキリした。昨日、レンジの中で某物体が爆発していい匂いが残っていて、そういえばまだ片付けしてない。どうりで、流しの近くに行ったらいい匂いがするわけである。あとで片付けよう。早く済ませないと(既に一夜昼経過した後だけれども)、今後レンチンするたびにあの匂いが漂ってくる。あの匂いは嫌いではないが、食べ物から漂って欲しい匂いではない。掃除機もしばらくかけていないので、明日は時間の都合が合わないから、明後日あたりを考えておこう。考えていたという事実を忘れそうであるが。二週間くらい前までは、鼻がずびずびして、換気のために窓を開けるのが嫌だったけれど、そういえばもうずびずびはしなくなった。いつも付いて回る軽度の症状を超えて、何かが出てこない。私がアレルギーの花粉シーズンが過ぎた、という事だろうか。そうだといいのだが。春まだきであるから、この後飛んでいる何かしらもあたり判定があって、再発する可能性がゼロではない。それはそれで困る。グラブルが絶賛ボーボボとコラボしていて、ボーボボを見るたびに、よく遊びに行っていた在りし日の友達を思い出す。私も、小学校くらいまではかわいげがあった。彼はボーボボが好きだった。それだけ、というのではなかっただろうが。チャゲチャも持っていた。元気かしら。

文明のあせも

作業に集中したいので、余計な精神的リソースを割かないよう、夜飯は食べに出た。集団でちょろちょろしているやつが複数いるし、第何波まで来ても驚かないというか驚けない。食券を渡して、からあげ定食まだかな〜〜〜と思いながら本を読んでいると、ホールスタッフが「後ろから失礼します、〇〇お待たせしました」と言うのが聞こえた。この手のあれそれは聞き覚えがある。ラーメン屋だと、カウンターから出すような店の場合、「前から失礼します」と言う事もある。それのどこがどういう風に失礼なのか、私にはさっぱり分からないのだが、よく分からんがとりあえず客に対して腰低めでいったれというジャパニーズ接客業的なものを感じないではない。そんなにかしこまらんでもなあと私は思うのだが、ああいう場面で自分の優位を確認した気がしてニコニコする人間がいるのだろうか。まあ、いるのだろうなあ。そのような物言いを排除しようとした場合、では、どの方向から提供するのが適当なのだろうか、と考えた。前もダメ、後ろもダメ、あと残っているのは横である。上と下は、常識の範囲内で考えてどうやったらそうなるのか分からないので考えないものとする。「上から失礼します」は、騎乗位で挿入する時に言われる可能性があるくらいではないか。「下から失礼します」は、己の影の中に潜む侍従が影からにゅっと出てきたり、影の中から助言をしてくれたりする場面でしか言わないのではないか。非現実的なのが分かるだろう。現実的な例があったら教えて欲しい。私が座った席は、どう考えても横にしか空間が空いていなかったので、これは「横から失礼します」が来るんじゃないかと、よく分からない気持ちになって待っていたら、果たして、「横から失礼します」とからあげ定食の盆が滑り込んできた。なにゆえ方向に対してそこまで鋭敏な言語感覚を宿しているのか不明だが、お待たせしましたを全場面で使いまわして一向に問題ないと思うのだけど。私の世界に対する祈りは、果たされずに終わったのだった。どうでもいいいらん事を考えて、その事を思い出してのんびり日記を書いている場合でもないのだが。日中もそもそと進めて、一応半分は超えた。今日中か、明日の昼頃には終わるだろうから、それから仕上げをすれば、月曜日には間に合うであろう。人生が巻き取られそうな感じが、ものすごいしたわけだが、もうそれでいいような気がするというか、クラゲみたいに生きるしかないのであれば、日本海だろうが太平洋だろうが変わらない気もしてきた。