他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

見様見真似と想像力

炒めるのも面倒だったので、豚肉を茹でて食べる、という事を数回繰り返した。悪くなかった。むしろ、これからの季節を考えると、こうして調理して食べるのが賢いやり方のように思えてくる。ある程度肉の弾力を保ったまま、なんなら脂もわずかだと思うが落とした上で食べられる。この辺のメリットを追求していくと低温調理に行き着くのだが、あれは調理法自体がメリットではないので、しゃぶしゃぶとも茹で豚ともつかないやり方が現実的な折衷案であろう。酢、オイスターソース、醤油、胡麻油などを適当な比率で混ぜ合わせて食べた。オイスターソースがうまいという事を再発見している。貝の旨味なのだろうか。牡蠣だからな。牡蠣醬油を人に贈った事はあるが自分で食べた事はない。字面がうまそうなので、多分おいしいのだと思われる。うまい食べ物とは何なのだろうか。考えたらよく分からない。その感覚を意識して分解してみようと思った事がないのだろうか。うーん。あぁ、あの歌詞はこういう時の気持ちか、と気付く事があった。

水陸どっちか用手袋

渋谷109横の通りに、二郎系まぜそばの店ができていた。センター街に直球のインスパイア系、文化村のそばに二郎系野菜炒めの店があり、密度が高まっている。どれも行った事はないのだが。にんにくは想像しうる限り大体の料理をされているのではないかと思って、調べたらにんにくプリンのレシピが出てきたのは覚えているが、あれは、二郎系という括りにおいても同じ事が言えるのかも知れぬ。そうめん、冷奴、うどん、とか。そもそもこの言葉が定義するものに何が含まれるのか不明なのだが。なんとなく、もやし(キャベツは不明)、醤油系の濃いタレ、豚の背脂が不可欠の構成要素なのかと思っている。豚の背脂でパンチのある味にしました、みたいな事を書いた看板をどこかで見て、豚の背脂でパンチが出るんか? と思った事がある。そういえば、「好みにカスタマズ!」と盛大に脱字をしている看板も見た。私なら卒倒して正しいものを作るが、そこは作らないらしい。変な天気だった。雨は嫌いだが、車が水を跳ねる、ちゃーっという音は好きだ。瞬間的にものすごい勢いで降る雨の、びたびたした音も好きだ。雨は嫌いだが。洗濯物が乾かないので。最近はあまりものを考えないので、心が停滞期なのかもしれない。

ワールドワイド四畳半

日記のトップページに、今年に入ってから友人と始めたラジオのページへのリンクを置いておきました。他にやる事がなくて仕方がない時、適当に環境音が欲しい時など、聴いてみても損はないと思います。役には立ちませんが。私の、本当に数少ない友人とやっているので、このまま続くと思います。突然精神の均衡が崩れたりしない限りは。ここを読みに来ている人が面白がりそうなのは、#15の日めくりカレンダーを作る企画、たまにやる「自分たちで勝手にお便りを考えて勝手に読む」コーナーの回です。まあ、現代は可処分時間の争奪戦で、他に魅力的なものはたくさんあるので、好きにしてくれればいいのですが。選択肢としてあるよ、というだけでね。こういう時にプッシュできないのが私の押しの弱さ、自己肯定感の極低さを表しているような気がします。さて。書いておこうと思った事を書いてしまった。いつも水を買っている自販機がある。100円で600mlのやつが買えるので、妥協の選択肢としては優秀なのであるが、今日、500円玉で買わないといけないな、お釣りを取らないといけないな、と考えたところで、先週の同じタイミングに同じ事を、つまりその自販機で水を買った事を思い出したのだが、その時も500円玉で買っていた。そして、財布の中に100円玉がなかった。??? 全然覚えていないが、状況証拠から判断するに、先週に水を買った時、お釣りの400円を取り忘れていたらしい。水に500円払ってしまった。富士山の山頂と一緒だ。あらら、と思いはしたが、もったいね、という気持ちが薄い。私は投資とか資産運用とかしない方がいいと思う。金が数字にしか思えないので、身代(ずっと「しんだい」と読んでいたが、そういえば「みのしろ」でもある)を削っている感覚を伴わないためである。昨夜はホットミルクを飲んでから寝た。いつもより寝つきが良かったような気がする。プラシーボだろうがなんだろうが、効果が出るならいいような気もする。ホットミルクなのでホットにしようとレンジで熱々にあっためたら、コップの取手部分を握る事を一瞬止めそうになるくらい熱くなった。冷やし中華をどこまで温めると「冷やし」中華ではなくなるのか、ミルクをどこまで温めると「ホット」ミルクになるのか、というのが目下の課題である。嘘だ。すぐ裏手の空き地は、基礎工事が終わってからすっかり音沙汰がない。立ち消えになったのだろうか。コンクリと鉄の棒だけが地面にうずまっている。

懇ろ年中

何もしなかった方の日である。困った。ないわけではないが書かないようにしている方だ。これについては数日考えたら日記のトップページに置いておいてもいい気がしてきた。どうしよう。さて。頭の中が絶えず揮発し続けているかのようだ。まだ揮発するものがあったのかと驚くべきか、あるいはそれが生命の揮発する手触りなのか。風呂に入って、とりあえずできる事をしよう。しなければならない事はしてないのに何なんだろうな。住居の更新書類が来るはずなのだがまだ来ていない。間に合うのかしら。

ラブレターの規定文字数

昨日の日記のタイトルと末句は何だと思ったが、思い出した。日本語の一番とっつきやすくて頭に残るリズムは5音か7音なんじゃないかという話と、破礼をどう読むかという話であった。破礼は「ばれ」と読み、当て字らしい。1、下がかったこと、みだらなこと。「ー句」2、物事がうまくまとまらないこと。破談。また、失敗。広辞苑にはこうある。野坂昭如マリリン・モンロー・ノー・リターン』(小学館)を読んでいて出てきた。この本は昨日の夜読み終わったがとてもよかった。最悪の話がある。「乱離骨灰鬼胎草」「砂絵呪縛後日怪談」がそうだ。前者は本当に胸糞の悪くなる話であり、後者は比較的マシな方だがそれでも気持ちのいい話ではない。でもよかった。プラスでないものに原動力を得るのは一体どういうエネルギー変換になっているのだか分からないが。私と同じ趣味の人は読んでみればよい。ひどい話だがおもしろい。今日は、話さないといけないよな〜〜〜〜〜〜やだな〜〜〜〜と3、4年思っていた事をやっと話したのでMPが残っていない。「天は二物を与えず」という言葉の意味を考えていた。イチモツは与えるし、3つ以上持っている人もザラにいるのだから、これの意味は、「欲しい才をくれるわけではない」「いっぱいくれてもそれらの噛み合いがいいわけではない」とかそういう感じではなかろうか、と思った。私はそう思ったんだよ。言う事がなくなった。

結局は5と7か

筒井康隆『陰悩録』を買った。角川文庫の棚で立ち止まって、そういえば持ってない(大学生の時に買ったかもしれないが、引っ越しの際詰め込んだ段ボールのいつかどこかに埋もれて分からない)し、今まで気付かずに通り過ぎていたのかな、と思った。表題作になっている短編が読みたかったのだ。風呂の浴槽の排水溝にきんたまが吸い込まれる話だ。これ以外の描写でぎょっとするようなものが出てくる短編だが、なぜかこれは、筋の大体を覚えていた。ほとんど合っていた。他の収録作も面白くて、特に「郵性省」なんかはすごい。しょうもないが。なんとなくだが、服装にも文脈というものがあるんだなあ、という事が感覚で分かってきたので、ユニクロでシャツと、ジャケットを買った。私は物覚えが悪いとばかり思っていたが、物分かりも悪いというか、どっちもものすごく遅いのだろう。特に来ていく場面を思いつかないが、無いよりはマシかと思って買った。自分でも理解できない行動原理だが。新しい服を買っても、身体に馴染んだ服をつい引っつかんでしまうから、洗濯物置き場の下の方に埋もれている。買ったけど買った事を完全に忘れている服は少なく無いと思う。あんまり服そのものを買わないのに。見た目はちゃんとしているなあ、とこれについては目の肥えていない私の感想だが、縫製を見ると、あぁ、ユニクロっつっても、あるいはユニクロだから値段相応だなあ、との感もある。しかし、ユニクロは大概のものが適当に揃うから便利だ。昔H&Mで買って、ゴムがでろでろに伸びている真っ黒な長袖のTシャツはサイズ感を失ってとても着易い。伸びまくって生地が余るからシルエットが正体を失うが、私の性格にはよく合っている。天気予報が向こう一週間曇りと雨の嬉しくないババ抜きを強要しているので、洗濯物が気持ちよく乾かないし気持ちよく洗濯機を回せない。窓の屋外側にカビがへばりついていた。もう梅雨か? 部屋の中でどうにも湿っぽい匂いがとぐろを巻いているから、一日でいいので、パッと晴れてほしいものである。また本が増えたので、机が汚くなった。こうしている間にも戦争があるし、政治の大局がアホな方に向かっていると考えると、世界はでっかいなと思う。あまりにも、存在しうる可能性の手札の数が増えすぎて、主語が薄くなっている。でっかい言葉を使う相手に対しては、眉が唾で溶けてなくなるくらい、べったりやって、臨むのがよい。狐や狸も悪辣だが、人間が一番加害が多い。破礼

艶冶

一体これは他の言語に翻訳するとどうなるのか、という作品作家は結構いるしある。ジョイスの諸々は柳瀬尚紀によって、日本語領域においては到達地点が見えたような気がするが、開高健の感覚と言語が一緒くたまぜこぜになった文章とか、野坂昭如のリズムや固有の言葉回しなど、どうにかなる問題なのだろうか。なるのか? 何%の達成度、という形では表せるかもしれないが、100になりうるのだろうか。言葉において全くの等価を期待するのは、連なる言葉が増えるほど困難になるため、翻訳の窮極にあるのは原典への帰還になるような気がする。ミイラ取りがミイラになるようなもんで。それではナンセンスだから、そこを白丸にした線分で話をしなければいけないわけだが。昨日のと同じ本に入っていた、『死の器』という短編があった。私の野坂昭如経験で『エロ事師たち』を超える事は向こう絶対にないと思っているが、これはとてもいいと思った。短くて読みやすいが、内容は突飛だし、しかしやっぱりどこか見覚えのある温度の低さというか、曇り気がある。命が輝いているが、輝かしくない。もっと早く野坂昭如という作家に出会っていれば、と思う気持ちもあるが、この人の書いた小説を受け止めるためには、これくらいの時間が堆積しなければならなかったのだという気持ちもある。好きな作家は誰かなあ、と考えた時、開高健野坂昭如が最初に出てくるようになった。死ぬまでに入れ替わりはあるだろうか。私は、たくさん挙げる事に意味を感じない。人によるだろうが。多分、カルピスが飲みたいと言われたら、原液を出してしまう人間なのだ。煮詰まるまでものが言えないのかもしれない。あるいは言葉を尽くすか。ケルシー先生もパラスも好きだ。真理とはどのような形で提出されるのか。

上空−3000mの草葉

英語の慣用句の意味そのままではないが、ある時点からの私が抱いている感覚は、beside myselfなのだと思う。我が事ながら我が事ではないというか、我が事らしいが我が事ではないというか。野坂昭如マリリン・モンロー・ノー・リターン』を読んでいる。読みながら覚えた、馴染みがあり、しかしそのものを得た感覚がすとんとそこだけ落ちたような感覚、これは、エロ事師たちの解説で澁澤龍彦が言っていた、対象の欠如によるオナニズム、あれではないかと気が付いた。私の精神原理の一部がそうなのかもしれない。ふらふらとさまよっている中で、これは良さそうだと思ったものを拾い集めて、自分で気付いた事で糊付けして、さて、最後にはそれは作品として完成するのだろうか。

儀容

道にかじりかけのちくわが落ちていた。道にちくわが落ちているだけですごいのに、かじりかけである。朝から私は感激した。道にちくわが落ちているのを見た事がある人間がどれだけいるだろうか。往来の多い場所だったから潜在的に可能性は高くなるが、昨今の人類が自分の歩く道をまともに見ているとは思えない。ワイヤレスイヤホンをして、ながらスマホで、手放しチャリ漕ぎをする人間がいる時代だ。正直、今日はこれで終わってもよい。いい場面だった。一本だけ落ちて、なぜかじりかけなのかは分からない。一生分からないだろう。結論の出ない事を抱えておくのはいい事だ。あまりにも嫌で、強烈なイメージだったので日時を覚えている。木曜日だ。厳密には水曜日の夜から翌日の朝にかけて見た夢が最悪だった。機械を食う夢だった。部品の金属ピンが金色に光って、口触りも喉越しも最悪で、全部覚えている。その嫌な感覚だけを。今思い出しても生理的に怖気が走る。見るだけで疲れた。本当に嫌な夢だった。なぜ見たのか分からない。でもたまに見る。反吐どころか、存在の全てを裏返しにしてこぼしても足りないほど嫌だった。嫌な事はよく覚えている。

足に砂を取られて

もしかして、私という人間は閃き、思いつきに頼って生きているのではなかろうか。どうにもパーツを組み上げて精緻な全体を目指すというのが苦手である。ぷらぷら歩いて、興味を惹く小石を見つけてくるのは得意だが、河川そのものの設計は苦手である。だからどうする、どうすればいいかについては見通しがない。苦手だからね。昨日はめちゃくちゃに疲れていて、肉体疲労3割、精神疲労8割(計算が合わないが気分としてはこんな感じだった)で、21時過ぎには布団に挟まった。挟まったはいいものの、一向に肉体的な眠気が襲ってこず、戸惑って困り果てているうちに朝4時とかになり、全く休んだ気がしないまま目覚ましで起きた。実働、睡眠だから実休なのか、は2時間くらいだった。おそらく精神面が原因でそんな事になり、眠れないが眠る準備をしたのでやる事がなくて、布団の上で体育座りをしたり胡座を掻いたりして、己という人間を批判していた。木としてこうやって伸びてしまったから仕方がないし、今から枝を落として再整形といくには人生が足りないし、さて、はてさて、行き場がねえなというところがどん詰まりの結論で、何回繰り返してもそこに戻っていった。迷いの森みたいなものだ。節が痛かったので成長痛かと思ったが、さすがにもう成長しないだろう。私という人間は、良くも悪くも既に終わっている。こういう時、どうすればいいのか分からない。一人でケーキバイキングとか行こうかな。だいたい、できる事の選択肢だけを挙げて、それで飽きて、ぼーっとしている間に自己修復が済んで元に戻る。最近は胃腸の調子がよろしくないので、食べ物系は避けたい。しかし、本を読むか飯を食うかくらいしか日常の変数がないのだから、これでは手詰まりだ。本なんか何もしなくたって、本を読む元気がある時はだが、読むのだから、えーと、だから、どうしようもないのである。酒女煙草博打どれもやらない。一人でもくねんと、静かに過ごすだけの場所を与えて欲しいものだが、時代が明るすぎるし生活のための要求が多過ぎる。かなり真面目に霞を食って生きていきたいのだが、人間の身体が進化するにはさすがに時間が足りないだろう。あんまりにもマージナルな要素が多い。どうしましょう。クレヨンしんちゃんで覚えている、にっちもさっちもどうにもブルドッグ、ワオ、とは、今使うべき言葉だろうか。人の内心なんか分かんねえよなあ、と思った。プリンだって人間の事が嫌いかもしれない。

どっちも水で水ならず

すげえ疲れた。書かない事にしているタイプの事だったから書かないが、すげえ疲れた。私は、今、今更というと自分がなんとなくかわいそうなので言わないが、「今を生きていない」という事が身に染みて分かった。ずれているのは人格部分だけではなかった。さて、じゃあどうすればいいのか、というところについては差し当たり解答がない。一生解答がないかもしれない。とにかく疲れた。眠いのだ。恥ずかしいという感情はあまりなくなってきたが、じゃあどうすればいいのだろうという遠景への眼差しは強くなった。

暑天

理由は不明だが、ズボンの右ポケット付近がぱきぱきになっていた。あんまりぼーっと歩いているものだから、昨日の買い物の帰り、誰かに精子でもひっかけられたのかと思った。それぐらいぱりぱりしている。糊の効いたワイシャツくらいぱりぱりしている。これは嘘だ。糊の効いたワイシャツについて体験を持たない。買ったばかりのそれがそうなのかもしれないが、どうなのだろう。ワイシャツがぱりっとしていたり、スラックスのなぜか真ん中にアイロンの折り目がついていたり、それが重んじられている理由がさっぱり分からない。特に後者は意味不明だ。スーツという、形式と文脈をただでさえ押し付けてくる服に、それ以上の要素を求めるなど、一生理解の及ぶところではない。さすがに誰かに精子をかけられたのではないだろうから、なんとなーく昨日の事を思い出すと、帰ったばかりの時、確かにこの場所が濡れていた。牛乳の結露が原因かと思ったが、もしそうならこんな事にはならないし、そもそもあれほどの面積が濡れてはいなかったはずである。すると、一番下に敷いていた、豚ロースのトレーから滲んだドリップがトートバッグを貫通し、ズボンを濡らしたのが最もありそうな線である。生肉の汁が乾くとかぴかぴになるのかどうか知らないけれど、ひとまずの結論としてはこれであるとしておく。何か書こうと思っていたけれど忘れた。ひとつの事を書こう忘れまいと思っていると、別の事を忘れる。机横の壁に、切実にやる事を書き残したホワイトボードが必要とされている。私は共感能力とか、他人に対する想像力がないのだろうという話だった気がする。ない。もなかにおけるトロピカルジュース的要素くらいない。汲み取るという事がよく分からんので、全部書面にして提出してほしい。世界で一番かっこいいものは何だろうかと考えた時、白い紙に黒インキで印刷された文字だと思った。これがいっちゃんかっこよろしわ。文章を読めば、その人がどういう人となりか、までは全部分からないけれど、私がまともに向き合える人かどうかは分かる。理由は不明だ。ちゃんと書いたものはそれが滲み出る、という話かもしれない。なので、口語ではなくある程度姿勢を正した散文で、全部、あれこれやりとりできる世の中だったらいいのにね、と思った。夢は見るだけタダだ。想像力が許す限りの遊園地なのだから、テーマパークに行く必要は必ずしもない。自分という鉱山がいつ枯れるかは分からないけれど。

打入の小槌

生姜という食べ物は、かなり早い段階で、それ以上入れても知覚できる味の情報量が変わらない限界がある。それを律儀に守った場合、一人暮らしだとさっぱり減らないため、味は変わらなくても効用は順当な足し算だと期待してそれなりの量使ったりする。生姜と唐辛子、八角、顆粒鶏がらでスープを作った。味が物足りなかったので、昆布を一枚入れてもう少し煮た。昆布の出汁が加わると、味がしゃんとするのは不思議である。情報として処理できていないが、そこに存在してまとめ上げているのだと思われる。アンプのローミドルハイみたいなのが味にもあるとすれば、ミドルかローあたりの補強をするのが昆布なのだろう。本屋でふらふらと本を買った。こんなレーベルが存在する事を知らなかったが、P+Dブックスというのが小学館にある。和書では滅多に見ない、洋書様の、表紙が厚紙で本文がザラ紙のスタイルだ。洋書は読まないし性格的に読めないが、あの装丁はざっかけながらも実用性を感じて好きなので、目当ての野坂昭如の短編集と、落語家のまくらを集めたものを買った。大体、版権切れのものが所収されているようで、一冊が500円程度と買いやすい。装丁と帯を捨てるとこの値段になるのなら、全ての本がこうなってもいい気がする。少なくとも、大した情報が載っていない帯はさっさと廃止するべきである。私は役に立たない事というか、飯のタネにはならないような事はうまい。人から愚痴を言われて聞く事はあるが、人に愚痴を言う事はない。最終に近い方の処分場みたいだ。少々摂取量が乏しくなっていた野菜をもりもり食べたら、口内が荒れていたのが治った。舌の先に違和感があり、出来物ができているのは別の問題かもしれないが、食事は健康のために重要である。豚の生姜焼きにおける豚くらい重要である。運動はそれにおける生姜くらいではないか。言いたい事と、これは言わんとこと思っている事と、変な峻厳があって、後者を書けば大体の日は足りるのだが、言わんとこと思っているので言わない。

湿仰

今日やらなければならない事はやった気がする。おおよその見込み通りに終わったはずだが、その辺の感覚が曖昧で死滅しているので分からない。右下顎の犬歯が欠けた。何の前触れもなく欠けた。欠けたというよりは剥離した、が近いが、小さな剥片が落ちた。噛んでいる時に、何か固い感触が現れて次の瞬間消えて、口の中を舌で探るとそこに欠落があった。歯磨きはしているし牛乳も飲んでいるので歯が弱る理由がいまいち分からないが、弱るというか、積年のダメージが凝集した疲労欠歯(こんな言葉はない)だったのだと推測している。雨が降っている。朝、洗濯物を干そうと思って天気予報を調べたら、一週間先まで、晴れマークがなくて、曇りと雨のツートンカラーだった。もう少し、洗濯機の風乾燥機能がまともだったらいいのになと思うが、たしか一万円もしなかったんじゃないかと記憶しているから、その程度のものに望むには過ぎた機能であろう。明日も若干やる事がある。これは比較的ちゃんとやらないと、こっちにしっぺが返ってくるタイプの物事だ。ある程度ちゃんとやる。まだもう少し寒いだろうから、毛布が片付けられない。そうでなくても天気が悪いのが続くわけだから無理だろうけれど。唐辛子を買って炒め物に入れてみたが、別に特筆する事はなかった。種が一番辛いんだっけね?