他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

いりこの薄皮

昨日は祝日だったらしい。知らなかった。いつかカレンダーを見た時に、10月には休日が2日ある週があるんだね、と思った覚えはあるが、それが実際にいつで今がいつなのか全然考えていなかった。別にやる事は変わらないので、構わないっちゃ構わないが。あまりに虚無が渦を巻いて、頭の上と中とで堆積しているので、ガリヴァー旅行記にあった、仮想の或る国の子供についての見解を記して終わりにする。なかなか面白い事を言うな、と思った。

親と子の義務についても、彼らはわれわれとは極端に違った考えをもっている。雄と雌の結合は、その種を維持し繁殖させるために、自然の大きな法則にもとづいて行われるものである以上、人間の男と女の場合も、他の動物と同じように性欲に促されて結びつく、とリリパット人は考える。子供に対する愛情も、同じような自然の原則にもとづいて生じてくる。そんなわけで、子供が自分を生んでくれた父親や育ててくれた母親に対して、何も恩義を感じなければならぬいわれはない。人生はただでさえ悲しいことで一杯なのだ、生まれてくることなどそれ自体何も有難いことではないし、両親にしろそんなつもりもなかった、第一、愛の抱擁をかわしていた時には、子供以外のことで頭はいっぱいであったはずだ。この他にもいろいろあるがおよそこういった理由で、親たちにその生んだ子供の教育を託するのは全くもっての他だ、というのが彼らの到達した意見である。  岩波文庫ガリヴァー旅行記』スウィフト作、平井正穂訳

祗候

ガリヴァー旅行記を、3分の1くらい読み終わった。面白い。これは面白い本だ。めちゃくちゃ面白いわけではなく、常に70%の面白さが継続する感じ。たまに、いやもっとか、肌に合わないものもあるが、古典と呼ばれるようなものは、よいものが多い。合わないものもある。昔読んでピンと来なかったし、今読んでも欠伸が出るだろうが、風と共に去りぬ、そしてそれの続編、これは全然合わなかった。私はラブロマンスとかその辺はさっぱり分からん。訳がとてもよくて、もともと日本語の散文で書かれたものですと差し出されても疑いを挟まないであろうくらい自然である。そして、語彙が手の届かないところにあるので、辞書をめくるのが楽しい。優渥という言葉は、ふりがなが振ってあるから読めたが、意味は知らなかったし、人生で初めて出会った気がする。「ゆうあく」と読むらしい。いい意味だ。麦の穂にある尖った部分に名前がある事も初めて知った。芒(のぎ)と言うそうだ。人生で聞いた事があるだろうか。知らないだけで、世界は、名詞で全て記述できるのではないかという気がしてくる。もしできたら、素晴らしい事だろう。机の上が汚くなってきた。本を片付けないせいである。読み終わっていないのに他の本を読み始め、さらにその間に新しい本を買ってくるからである。動きとして抗えないので、そうなってしまう。りんごの皮を剥くと皮の生ゴミが出るように、くしゃみをすると飛沫が飛び散るように、本屋に行くと予定の数倍、本を買って出てくる。結局、今でも、ゲームが好きなのか嫌いなのか、もしかしたら嫌い寄りなのではないかとずっと思っているのだが、本を読む事に関しても、あるいは、それ以上に深い葛藤がある。なんでこんなしち面倒臭い事を好んでしているのか分からない。なんなのだろう。道を歩きながら、心身が乖離する時期なのかもしれないと考えていた。寝られないのはそのせいかもしれないし、頭の中が普段にも増して真っ白で茫漠としているのもそのせいかもしれない。身体の方に意識を「落とす」と、よく分からない漫然としただるさがある。さっぱり動いてやしないのだから、疲れなんてものではなくて、きっと、何もしていないがゆえの錆びつき、惰性の飽和なのだと思われる。習い性と行き摩りがたまたま人のような形をしているだけだ。当てるべき景品がない状況で、銃を渡されて、何を射てばよいのか。私には分からない。「はしまき」とかあったな。

脈の無い鉱脈

季節がぶり返したのかと思うような気温だった。エアコンをつけている。送風とはいえ、9月も下旬をぷりぷりし始めたにもかかわらず、なかなかチャレンジングな気候だ。この数日、夜、まともに寝られていない。なぜと言うに、蚊に刺されるのである。蚊に刺されるのである。蚊に刺されている。3回くらい言った。蚊に刺されている。ベープノーマットを焚き続けているのに、私は! 9月も下旬に差し掛かった頃に! 蚊に! 刺されて! 夜! 寝られないの! 蚊に刺されて寝られない。憤懣やるかたなく、とりあえず寝られないのである。足の踵やら、肘やら、どうにも掻きづらい位置ばかり食ってくるのも許せない。寝坊助な蚊め。私はベープノーマットに全幅の信頼を反復横跳びに置いていたわけなのだが、近来全く仕事をしないため、望まない事態でありつつも、ちょっと効能に疑いを持ち始めた。一体どうなっているのか。殺虫成分に耐性を持ったゴキブリが登場しイタチごっこになるように、蚊にも同様のあれとかそれがあるのか。ともかく、気持ちよーく、とは言わないので、普通に眠らせて欲しい。今夜はどうなるか分からないが、ともかく暑い。ガリヴァー旅行記の、訳者解説だけ、先に読んでみた。スウィフトは、ロビンソン・クルーソーのデフォーや、アレクサンダー・ポープと同時代人らしく、イギリスの文人絢爛なるかなという時代だ。よく分かってないが。痼疾という言葉があるのを初めて知った。固にやまいだれを乗っけようと、人生で一度も考えた事がなかったので、なかなか驚いたのだが、持病の意であるらしい。知らない。知らない言葉は、よくよく見てみれば、少なくとも紙の上では、しとどに溢れている。日常会話の、想定通りの語彙からしか球が出てこない退屈さよりは、私はこっちが好きだ。そっちはそっちとして、ひとつひとつが細切れになっていて暇つぶしに読みやすそうだなと思ったので、光文社古典新訳文庫の『今昔物語集』を読んでいる。訳者はイタリア文学を専攻した人のようなので、手の広さに驚いた。高校の古文の授業や試験で、出典として見た事はあるはずだが、一切記憶にない。本の裏ソデを見たら、魯迅の小説も訳が出ているのか。阿Q正伝なんて、字面しか見た事がない。聊斎志異も、名前しか聞いた事がない。面白そうな事は書いてある。このシリーズはいい値段するのが欠点かもしれない。歎異抄大阪弁訳もあるらしい。ゴーゴリの講談調訳もこの文庫にあったはずだが、ようやる。

風は複数形か否か

冷蔵庫の中に保管している、ただの辣油と、具入り辣油を使い比べてみた結果、具入り辣油の方が、辣油である事を考えても特徴的な辛味を備えている事が分かった。ただの辣油は、ただの辣油で、取り立てて特徴がないのであるが、具入りの方は、料理に入れた時、明らかに味がとんがってくる。豆腐とピーナッツと謎の豆と唐辛子その他諸々くらいしか入っていないはずで、一体それらのうちどれがあの辛味を醸し出しているのか、分からない。豆腐が入っているのも、よく分からないが、歯ごたえは面白いので好きではある。好きかと言われると言い澱む。買ってきたトマトを、晩飯に使おうと思って、2、3日連続で忘れている。レンジの上という、なかなか目に入らないところに保管しているのがいけないのか。朝飯が、チーズとイングリッシュマフィンの組み合わせになった。米がなくなるので米を買いに行かないといけないのだが米は重いので買い物のついでに抱き合わせで買ってくるという事がなかなかできず、結果としてずるずる麺とかパンとかを食って生きていて、しかし便通が明らかに滞っているのも否定し得ない事実であり、体調管理の面から言っても早急に調達するべきではあるが、めんどくせえという精神的障壁を超えられないまま、妥協とおざなりの産物として、直前に読んでいた遠藤周作の小説に出ていたわびしい食事としての、パン+チーズが頭の中に浮かんだのであった。ここに葡萄酒がくっつくのだが、飲めないし朝から飲むわけにも行かないので、簡略化してある。買ってきたのはプロセスチーズだが、一回の食事で食べきれるプロセスチーズの量について考えたのは初めてであった。でかいごついブロックみたいな塊で、そこから包丁でいくらかを切り出して食べるわけだが、イギリスで適当にスーパーで買ったチーズがいかにチーズらしくて美味しかったかがよく分かる何とも言えないおいしくなさであり、おまけにプロセスチーズ特有の臭みというか匂いが芬芬しており、チーズ嫌いの子供の口の中にかくも詰め込めば一生物のトラウマになるのではないかという感じである。チーズフォンデュに突っ込んでウィンナーを食うのとは、ラクレットチーズを好きなだけぶっかけて食うのとは違うのだ。2回目のチャレンジにして、幸運にも自分の適量を見つけ出す事ができて、うまいもんにも節度は必要であり、ここで今一度、向田邦子の、おいしいものはもうちょっと欲しいくらいがちょうどいい的な言葉を思い出す。

奇の字

広辞苑をぺろぺろするようにして、日に一つは知らない言葉に会っているらしいと気が付いた。なんだ、これは、知らん言葉だな、と思ったら、とりあえず引いてみるようにすると、そうらしい。しかし、これは、本を読んだ時間がある日に限った話なのかもしれない。例えば、今年出た本であれば、マッキンゼー流なんちゃらとか、なんちゃらかんちゃらのなり方とか、そういう本を読んだ時に、翻訳を諦めた怠慢の証である、ただ英語をカタカナに直しただけの、日本語になっていない日本語みたいなのを除けば、知らない語彙に会うのは難しい、難しいのではないか。私が読まないだけだから、毎年更新される、ちゃんとした文芸誌の数々を読んでいれば、そんな事ないのかな。私は世代をいくつか前に戻った本が好きだから、頻度が上がっているだけかもしれないな。今覚えているところだと、卓子、風儀、倨傲、このあたりか。ひとつめはテーブルの事を、「たくし」というらしい。一文字目の漢字が、卓そのままなのだから、まあそうだろうが、後ろに子がくっつく事もあるのだな。あとは、各自調べてみればよいが。知らん語彙なんて無数にあるのだ。遠藤周作怪奇小説集、共犯者と蜘蛛の2冊を読み終わった。他にする事がないから、とりあえず読んでいた。共犯者の方は、怪奇小説集の肩書きを捨てて出直してこいという感じで、普通の短編集みたいなもんだったが、蜘蛛は、表題作のそれを筆頭に、大いに怪奇であった。こっちの方が分厚くて、読み応えある話が多いから、買うならばこちらだけでよいと思う。遠藤周作の文章は、とても整っていて落ち着きがあるので、時々いやにオスくさいところがあるのを除けば、好きである。それから、武田砂鉄『日本の気配』が増補されてちくま文庫に入ったので、それも読んでいる。何年か前の本のはずなのだが、問題も、問題を起こしている人も、それらの本質も何も変わっていなくて、頭が痛くなる。Twitterで表示される日本のトレンドがあまりにしょうもないので、表示地域をイギリスに設定してみたが、連日とは言わないまでも、週の半分くらいは、ボリスジョンソン止めろに相当するトレンドが出てきて、ある意味どこの国も変わらないといえば変わらないのかもしれぬ。彼の風采の上がらなさには、見た目というのは内面が滲み出すもので当人には仕方がないから気の毒ではあって、「舐めた」態度を取られる事少なくないのではないかと想像するが、私が個人的に尊敬している部分もある。言わないが。

まな板、船、皿

マンゴージュースの味を頭の中で反芻していて思い出した。イギリスで食ったマンゴーの味が、だいたいこのままだったのである。つまり、これは、マンゴー的なジュースでも、マンゴーらしいもののジュースでもなくて、マンゴーのジュースなのであった。どこか青臭くて口蓋に張り付くような味は、真ん中にめっちゃでかい種が埋まっているマンゴーの味である。めっちゃでかいは言い過ぎかもしれないが、結構割合そこそこそれなりにでかい種が埋まっている。切ってと言われて切って、真ん中で包丁が止まったのでびっくりした記憶がある。歯で果肉をこそぐと、表面が筋張っていてざらざらしているから、毛むくじゃらの動物をずぶ濡れにした、その毛並みみたいになって、少し気持ちが悪い。しかし、あのマンゴー体験を思い出した。このマンゴージュースはトルコかどっかの原産だった気がするが、思い出したもんは思い出したんである。いつか触れたような気がする、渋谷のある一角に貼ってあるエロステッカーだが、最近種類が増えた。乳のでかい女性の、パイズリを思わせるポーズのそれが、2種類くらい、貼ってある。あれを記録に残すと、別にどうにもならないと思うのだが、私は面白くて堪らないので通り過ぎるたびに探している。その付近に、玩具だとは思うのだが、中国語で書かれた、何かしらの紙幣的な紙片がばらばらと散らばっていた。Wooなんちゃらと書いてあったように覚えているが、立ち止まるにも通行人がそれなりにいたし、横断歩道を渡っている最中だったので難しかった。ピンクと紫を混合したパステルな感じの色で、しかしそんなものが散らかっていた理由はよく分からない。近所の高架下にまたエロチラシが散らばっていて、それもまたよかった。少し離れた場所で、同じくデリヘルかピンサロかのチラシがちらばっていて、それもまたよかった。できれば一枚一枚、裏表ちゃんと見たいので、私はこのために、時間停止能力が欲しいかもしれない。繁華街の外れ、あるいはあれは入り口なのかもしれない、にあった古い連れ出し出会いバーみたいなところの外装がリニューアルされていた。ミニモニか、もうちょい前かくらいの、もう年月の日に焼けたギャルの写真が勢揃いで色褪せていたのだが、二、三歩時代に遅れたようなギャルの写真に刷新、あれは刷新と言えるのだろうか、ともかくアップデートはしていた。ナウなヤングが、ああいうところや、あるいはヌード劇場みたいなところに行くのかどうか、私はよく知らない。

内臓を食おうと思いつく事

売っているのを再び見かけたマンゴージュースをコップに注ぎながら、紙パックからの適切な注ぎ方について思い出した。さんざん飛沫を散らした後に。注ぎ口がむしろ上に来る向きで注ぐと、空気が入らないとか何とかの理由で、跳ねずに注げるのであった。事が終わりに近づいてから思い出したが。銓衡に「せんこう」のルビが振られていて、文脈から意味が分かりはしたが、その意だと選考の字ではないのかと思った。こういうちっこい機会を失わないようにするために、や、適当なエクスキューズかもしれないが、広辞苑を買ったのである。元々の表記が銓衡であって、選考はそれの簡易表記という扱いらしい。はにゃーん。先の字がおもり、後の字がはかりの意味であるらしく、それでなるほど選考の意味になるわけだ。ほにゃーん。私が知らない事ばっかり書かれてある。辞書とは異界の読み物であるのかもしれない。いちいちマークしていけば、もしかして、知っている言葉は、収録語の一割にも満たないのではないかしらという気がする。本当に。英和辞典とか、あるいは、自分の全然知らない、トルコ語とかヒンディー語の辞書でそれをやったら、ただただ知らないだけなのではないか。読める文字でこの疎外感なのだから、未知の言語でそうなったら、それはもう、なあ。他にも、衣類で「セル」というものがあるらしいのだが、これは説明に費やされている言葉のほとんどが分からなくて、今画像検索してやっとそれらしいイメージを掴んだ。サージという素材の和名らしい。サージをそもそも知らないが、画像からなんとなーく分からないではない。分からん事ばっかりだ。武田砂鉄『日本の気配』文庫版を買いに本屋に行って、そのついでにガリヴァー旅行記を買った。一冊だけ買って帰るという事ができない。ガリヴァー旅行記は、私の恩師というか、他に適当な言葉が見つからないのでこうしておくが、正確に記述しようとすると利益関係者みたいな感じだ、ともかくそんな人が話をしていたのを思い出したのだ。ぺろぺろとめくってみたが、岩波でも見なくなった、版面みっちり極小活字の本で、それがかなりのページ数あるので、なかなか骨の折れる本だと思われる。表紙の紹介文が強烈で、「他をえぐり自らをえぐるスウィフト(1667-1745)の筆法はほとんど諷刺の枠をつき破り、ついには人間そのものに対する戦慄すべき呪詛へと行きつかずには止まない。」とある。どういう事なのだろうね。

ある名の下に

味噌を買ってきたものの、味噌汁を作る習慣がなくて持て余していたため、こちらも同じく余っていたピーマンと、味噌炒めというか味噌煮込みみたいなものを作った。味噌という調味料の加減が分からないから、どれくらい入れれば食うにしんどいくらいのしょっぱさになるのか明るくなくて、適当に入れたら、すげえしょっぱかった。すでに消費期限を3日ほど過ぎている卵を入れ忘れたんだが、あれを入れたら、フライパンに残った味噌成分のほとんどを抱き込んで、より一層やばくなっていたであろう事を考えると、うっかり忘れていてよかったのだとも言える。食品衛生的にはよくなかったが。午前中に、どっかの乳酸菌飲料メーカーの営業が来た。このご時世に訪問営業がある事自体私は驚いたのだが、そんなに珍しい事でもないのかね? 作業中だったので応対したくなかった気持ちがあるのも確かではあるが、それ以上に、玄関口に立っていた約2名の、特に突撃隊の方、こっちがしんどかった。顔に翳がなく、自己肯定感が高そうで、存在に疑いと曇りのなさそうな、私がとても苦手なタイプだったからである。顔の様相を認識した瞬間に、心の中で鬱屈と歪みの音が聞こえ、この人と一秒でも長く話をしたくない! と思った。願ったと言ってもいいかもしれない。私は自己肯定感の高い人間が苦手だ。めちゃくちゃに苦手だ。あちらもこちらの事を苦手だと思っているのではないか。苦手だ。とにかく苦手だ。子供がトマトやピーマンを食えないような、理由がなくて、ただそうであるからそうなのだという仕方のなさを伴って苦手だ。逆はそうでもないかもしれないが、世界はそんなに素晴らしいものではない。思い出すだけで疲れてきたので、これは文字に起こす事によって葬るものとする。通販で買い物をしたが、想定と違ってなかなか来ない。そういえば、届け日についてはもにょっとした表示だったり、倉庫からの発送ではなく取り寄せとなっていたようだ。いつもは発送メールが来ていたような覚えもあるから、在庫の薄い時に、あるいは薄いものを注文してしまったのかな。いつ来るか分からないので、そうでなくてもそうであるが、家を出たくない。しかし、明日はさすがに買い物に行かねば、食うものが乏しくなってきた。欲も湧くし腹も減るし金が要るんだな、残念ながら。特に肉が、冷凍在庫含めてなくなるので、そこをどうにかしたい。明日、スーパーに行く前に、でかいカーゴを買って行くか。

羽虫判定器

腕が普通に上がるようになった。初回の副反応は去ったものと思われる。わずかに引き攣るような感覚がないではないが、意識しなければ流れていくような小さなものなので、台風、そこまででもなく荒天一過というところか。洗濯物を干したら、一瞬だけ、晴れているのに雨が降り出して、室内に取り込んだまま夕方くらいまで忘れていた。晴れていても雪が降る事はあるし、そんな事もあるのだろう。昨日は、寝られない日で、三時くらいまで寝られず、うだうだとぐずぐずしていた。寝られない日は、寝られないので、どうすればいいのか分からない。寝ないという選択肢の方に振り切られているから、何かしていてもいいのだが、すると眠りが尚の事遠ざかり、手の届かないものになるのではないかという気持ちがある。誰かが言っていた事を思い出し、牛乳をレンチンしてホットミルクを飲んだりしていた。熱い牛乳を飲むのは、全然やらないが、食べ物としては結構好きで、私の好もしい世界の居酒屋には、烏龍茶飲み放題プランと、温冷問わず牛乳が置いてある。茶はあるが、牛乳がメニューに載っている居酒屋に出くわした事は、まあそもそも行かないのだから乏しい経験値だし、無いのだが、しかしありそうな気がするわけでもない。バーとかであれば、カクテルを作る前のそれを、注文すれば出してくれるのかどうか分からない、サンドウィッチマンのコントには確かそういうのがある、どうにかできそうだ。居酒屋で牛乳を使うメニューがない事が、そもそもの原因なのだろうか。牛乳を使う料理はシチューくらいしかパッと出てこなくて、シチューもどうせパウチのものを使うだろうし、そもそもシチューがメニューに載っているのを見た事がないという同じ結論を得る。お洒落なところであれば、あるのかもしれませんね。小説をぱらぱらと、空っぽの頭で読んでいて、分からない言葉が出現したので、あぁ、こういう時が広辞苑の使い道なんだな、と飛び上がって、開けずに床の上に放り出していたそれを開封した。調べた言葉は「チョンガー」である。各自調べてみればよろしいが、あまり行儀の良い言葉ではなく、しかしてこういう俗語というか、もはや日本のどこで口に上される事があるのか分からない言葉まで収録されているその単純な網羅性に助けられたところはある。新品の辞書らしく、ページを繰るのにまだページ同士がくっついていて、そういえばこんな感じだったなと思い出した。次に思い出すのはいつかしらね。ものすごい本屋の匂いがする。

マスタード粒

その時々のコンディションにも依るが、ワクチンを入れた方の腕が上がりにくくなった。あるいは、上げたくなくなった。状態としては筋肉痛に近い。動かそうと思えば動かせるが、動かすのが面倒に感じる。動かせば動くが、痛くて腰が引けて変な姿勢になるというか。ちょっと横になったら可動域が広がっていたものの、しかし違和感は健在だった。高いところにあるものを取ろうとすると、日常的に染み付いた動作であった場合、肩からシグナルが来てぴょこっとなる。取り立てて体調が悪いわけではないが、今日は不意に疲れるイベントが飛び込んで来たため、眠たい。『華氏451度』を、とにかく噛み締めている。これはすごい本だ。

捨てられる部分を育てるの?

ワクチンを打った方の腕がすごくだるくて上げておくのがめんどくさいので、ちょっとだけ書く。『華氏451度』、2章が終わって3章を読んでいるが、もんすごくげんなりする。心が痛くて、身体が我知らず引けているのが分かる。これは小説で、これは小説だが、私は見えているものよりもこちらの方がよりらしいと思える。どちらがどうと言うのではなくて、どちらが先でもなくて、これはそういうものなのだろう。

月見バーガーについて

濃厚な方の月見バーガーを食べた。持って帰る時、袋の中での角度がよろしくなかったらしく、ラッピングを剥いだ目の前に、ただ真っ黄色の壁がべん、と出てきて、何だこれはと思った。濃厚な方には、チーズソース的なのが入っていて、それが角度によって偏って流出してきたものと思われるが、それゆえ、最初の一口二口は、バーガーでもなんでもなく、チーズを食っていた。意図せず、「濃厚」と「月見バーガー」のふたつの部分に分解して食べたわけである。確かに濃厚ではあったが、「濃厚月見バーガー」ではなかった。チーズの塊を食っている時、イギリスで、ベーコンを焼いて、シュレッドチーズを溶かして食べた、存在するんだったかしないんだったか朧げな記憶が蘇った。味の方向性としては、あれに近い。というか、あれだった。バンズが黄色い理由が分からなかったけれど、卵とかなんか入っているのかしら。バンズを黄色くする理由が分からないのだが、何の理由があるのだろう。バーガー自体のテーマにバンズを寄せると、月見、あるいは月っぽさとして、色覚情報、つまり黄色が抽出されてきたという事なのだろうか。それにしても、月とはひとつしか空に浮かんでいないものであって、上下のバンズが共に黄色をしているのであれば、月がふたつある事になる。月がふたつあるパラレルワールドで産生された月見バーガーという事になるが、この世界ではそんな事はない。すると、考えられる仮説はふたつあって、「月(のモチーフ)を半分に割って中に具材を挟んだバーガーである」「上のバンズが実際の月を模しており、下のバンズは、上のそれが水面に映った風流な様子を表すための手段である」となる。前者については、それはもはや月見バーガーと言うよりは月バーガーであり、見る余裕もなく食っている。後者の解釈がよいように思われるが、一体具材のどれのどの辺が、月が映るような水面を表現しているのかを特定しなければならない。玉子、パティ、ベーコン、どれも月が映り込みそうとはお世辞にも言えないし、玉子に至ってはなんならもうひとつの月である。月&月&月バーガーであり、トリプル月バーガーだ。実際の月を添えれば、クアトロ月バーガーだ。どうも、それらの具材を調理する時の、油に月が映り込んでいる状況を想定するのが角が立たなそうである。どこに角が立つのか知らないが。したがって、月見バーガーとは、上が実体下が写像の食べ物なのであって、見た目からは思いもよらないほど思弁的な食べ物なのであった。

枕元に菊を、あごにたんぽぽを

レイ・ブラッドベリ華氏451度』を読み始めた。私は感激した。いくつかの点において、強烈に感激した。この歳になるまでこの本を読まないでいた事に、この歳でようやく手を伸ばした事に、最前何の迷いか英語で同著者の作品に触れていた事に、もろもろ、そして、この本がこの世に存在する事に。色々言いはしたが、この訳はいいと思う。訳者が前面に出てくるでもなく、自分でもよく分かってねえだろお前と言いたくなるとんちんかんな箇所もなく。おそらく、オリジナルの文体の、粛々としたハイスタンダードな語彙を写す事は、現代の日本語では不可能だと思う。ある偉い、えらーい人が、日本は戦後、漢文に代わる文体を持てないままなのだという事を言っていたのだが、このようなパラレルを手元に置いてみると、その意味がよくよく分かる、ような気がする。私が一番まともに知っているので英語を引き合いに出すが、確かフランス語とかもものすごく、文語と口語の文章的次元の乖離が甚だしい。良くも悪くもの話ではあるが、これは物凄い。英語が話せる「だけ」の人に、欧米圏のインテリが読む本を渡しても、手も足も無いだろう(傍点)。日本語には、それがない。まあ、そもそも文章が読めないという根本からの欠陥が指摘される人間が多いと言うに憚られない国に言ってもしゃあないと言えばしゃあないのだが、これは精一杯好意的に表現する無理に努めれば格差が小さいと言えるし、あからさまに言えば、深みの幅が無い。文体の面でバリエーションこそあるが、もっとそれ以上、それ以前の、根っこの部分について、何かあるな、と気が付いたのだ。それに名前を付ける事もできないし、すくい上げる事もできていないけれど。小説として、私はめちゃくちゃに好きなので、手に取ってよかったと思う。今日は、疲れてねむいので、この辺にする。

目が身体当て

理想のトマトが、ペットボトルで売っていたので、買った。1リットルで300円、飲み物にしてはかなり値が張る方である。前は紙パックに入ったものを飲んだから、液体の総体としてそこにあるのは見えなかったのだが、コップに注ぐ時の、どぷどぷして、ダマになって零れ落ちる感じに、何かの小説で読んだのか読んでないのか、経血を連想した。実際のあれはもんのすごい匂いがするので、比べるべくも無いのだが、世界認識における嗅覚の設定をOFFにした場合、遠目に、眼鏡を外してみたら、間違えるかもしれないなと思った。私は、メノフィリアが存在する事に、一片の疑いもなく納得し、首肯する。気持ちはとても分かる。髪を切った。いつもの床屋に行ったら、あれは理髪店とか美容院とかいうのではなく、床屋という名詞がずばり当てはまる気がする、するだけだが、入り口の待機ソファに二人いて、あ、ちょっと待つのかなと思ったが、スタッフのおっちゃんだった。切り始めてからしばらくして、客は私だけだった。今日切ってもらった人は、確か初めてだが、視力として全く信用ならなくなった裸眼で、顔剃りの時に間近に来たから確認できた名札には、店長と書いてあった。あぁ、そうか、この人がここの店長なのだなと思った。ゆったりとした、せせこましいところのない人だった。本屋に行った。なぜか欲しくて堪らなくなったので、広辞苑を買った。危うく机上版を、なんでこんな高いねんと言いながら買いそうになったが、廉価版というか、机上版はいいやつで、普通の方があって、それでも9000円+税とかしたはずだ。象徴界のひとつのセクションについて、それが実体化した形で所有してしまったので、これで満足して、精神活動が死滅する可能性が少なくない。恐れている事態だ。他にも、2、3冊買って帰れろうかと思ったら、会計が15000円くらいになった。本屋に行くたびに、節度を欠いている。ブラッドベリの『華氏451度』の翻訳があったので、買った。Something Wicked This Way Comesの邦訳もあれば、ぺらぺらして一種の「答え合わせ」をしてみてもいいかと思ったのだが、そもそも翻訳はないらしい。他はいっぱいあったのになぜだろう。電気羊はなんちゃらかんちゃら、と同じで、SFの古典的名作と言われながらにして、タイトルしか知らず、内容について思い馳せた事がないのに気付いてびっくりしたのだが、これは紙の燃える温度であって、焚書のある世界が舞台なのだそうだ。背表紙のあらすじ欄に、「SF界きっての抒情詩人」とあるが、日本語として中身を持ち損ねた抒情詩人という言葉を持ってきて、ブラッドベリの文体を評するのは、怠慢だなと私は思った。これは詩ではなく、厳然たる散文である。

くたびれた本文紙

晴れた。晴れた! 晴れたぁん。晴れたので洗濯物を干した。今日のシーツは無傷であり、完全無欠である。布団に被せるにふさわしい、別に何の変哲も無いシーツである。パリッとはしていない。しかし、乾いた。洗濯物が乾くという事実に有り難みを感じるとは、ここ二週間弱の気候があまりにもトンチキだったのだ。ちょっと寒くなったなと思ったら暑くなって、寝るに布団を胸元まで上げるには幾分過剰な感はあるが、タオルが敷設されている面積だけに身体の動きが制限される、自由度のない就寝は過去のものとなった。こういう日には、アパートや一軒家の物干しから、壁にだらりと、布団やタオルケットが垂れ下がっている光景が見受けられる。私の住んでいたマンションでは、景観美の観点から布団の壁干しは禁止と「言われていて」、しかし実効のほどはと言えば、ペット禁止なのに犬猫が少なからざる状況であったりして、多数の人を擁すれば話を聞かない奴の10や20は現れるもんなんだなという感じだったが、マンションレベルではそうだとしても、アパートはどうなのだろう。ペット禁止、楽器禁止(あれも不思議というかグレーゾーン的な、あるいはセーフゾーンを感じていて、ギターとかは、例えば、アンプに繋いでそこからヘッドホンに流せば音色は聞こえないわけで、よほどのスラップやピッキングをしなければ根本にある騒音トラブルを避けるという目的に適っていると思うのだが、その辺は良識によるところがあるのかな)はありそうだが、布団を外壁にべろりんちょするのはやめてね、という規約レベルでの話はあるのかしら。分からん。髪を切りに行こうと思ったが、めんどくさくなったので、本屋に行っただけで帰った。明日、食べ物を買いに行くついでに、髪を切りたい。さすがに長い。まだ放置できる段階ではあるし、ある程度以上の髪の長さには、寝癖が付きづらいという長所があって、それは尊重すべき美点なのだが、頭を掻いた時に手にひっかかる毛量が散髪センサーをがんがん叩き鳴らしているによって、明日行くだろう。髪が伸びるという事は、生存が継続しているという理由であり、それに付随するあれこれを考えると、昨日の夜みたいに、目的意識を持ってその達成のために励めみたいな生き方いやだ〜〜〜とぐるぐるする事になる。キルミーベイベーの12巻を買っていない事が発覚した。4月に出ていた。生徒会役員共21巻を読み、次で終わりである事に、途方も無い寂しさが、言葉の上ではある。