他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

色が違うクッキー

しょんぼりしたのはまだ治らない。昨晩、夕方あたりに雨が降り始めて、私が寝ようとした0時くらいから、猛烈な勢いでしばらく降っていた。深夜も深夜、バイパスをでっかいダンプやトラックが通り過ぎる時の、部屋を真空にするみたいな轟音がした。カーテン一枚隔てただけで、全く我が事、問題とは思えなかった。カーテンの効果は、多分ある。皮膚に噛みつくような、きゅっとした冷たさではなくなった。窓のすぐ下に足をちょっと差し出してみると、冷気がたらたらとこぼれているのがなんとなく感じられるので、殺意を抑えてくれている、のだと思う。多分。まだしょんぼりしている。開高健ベトナム戦記』を読み終わったが、最後の方の、ベトコンに包囲されてからなんとか逃げ帰った直後の開高健の写真が、中身の何も入っていないからっぽみたいな顔をしていた。

座り果てている

この家に越してきておそらく4年目くらいだと思うが、それくらい経って、ようやくカーテンを買った。私という人間が、めんどくさいと思う事に対していかにマインドリソースを割く事を厭いに厭っていたか、この一事で容易に知れるというものである。かつて利用した倉庫の人がくれたメジャーでカーテンレールの長さならびに窓の縦長を測り、書くものがなかったのでレシートの裏に記した。カーテンというものは、精肉店のように、長さいくら、丈いくらでちょんぎっての計量販売だとばかり思い込んでいたが、確かにオーダーメイドカーテンだとそんな感じではあるのだろうが、すでに規格で作られた、パッケージのカーテンの方が圧倒的に多かった。好きな色だし、緑色にしようかと思っていたが、夜闇に緑色がのっぺり浮かび上がるのはなんだか嫌だったので、やや荒手な生地で茶色系のものにした。オールステンレスのピンチハンガーも買った。諸々の点で機能的なのではあろうが、なんとなく、線が細くて金属光沢でぴかぴかしているので弱そうだ。帰りながら、どうしてこんなに頭が重いのかと思ったら、内圧で圧潰したいという欲がぶつぶつと湧いてきて、あぁ、また浮き沈みの波が来たのかと思った。本を読もうという気持ちが、うっすらさらさらと磨耗していたので、分かっていた事ではあるのだが。カーテンを設置した事で室内環境が改善されたかどうかについては、まだ分からない。毛布は買わなかった。耐えられなくなったら買いに行けばいいと思った。

春草

部屋が寒い。風呂に入って、熱くなり始めたシャワーに手を当てると、ビリビリ来て手を思わず引っ込めてしまうので、つまりそれくらい部屋の空気が冷えているという事になるのだろう。カーテンを買おうかなと考え始めて多分3年くらい経つが、カーテンの有無で暖房費が随分と変わるのだと人に聞いたから、明日買いに行くつもりである。ピンチハンガーのハサミ部分が、半分くらい劣化により壊滅してしまったため、それも合わせて買っておきたいところである。次は、繋いでいる部分が金属製のものにしようと考えている。自分の書いたものを見返すと、その時、躁鬱どちらの極に近かったのかが分かる。あるいは、過去に自分が書いたなんでもは、自分が過去に存在した証拠となるので、それが嫌で読みたくないという気持ちもある。積極的に生きる理由はないが、しかしその反対の理由もないわけで、じゃあどうすんだ、という水みたいな答えを探している。今日は生き物としても全然ダメな日だった。従軍戦記を読んだから、気分が沈んでいるのだろうか。

見かけに寄りかかってずるずると倒れない

昔、アルバイトしていた時に一緒に働いていた人の、個人比相当な衝撃のバックボーンを知って、今までの記憶が持つ意味合いがだいぶ変わった。気になって確認してみたが、情報の精度が上がってなおの事びっくりした。なぁるほど……。朝の渋谷はいつも、饐えたゴミの匂いか、ドブの匂いがする。

デストロイ・ハーモニカ

破砕された三菱UFJのキャッシュカードと、Tカードが道に落ちていた。歩行者は赤信号で、めちゃめちゃ車がいるのに横断歩道を渡っていくド畜生とか、子供ふたりを前後に乗せて、スマホを見ながらチャリを漕いでいるド畜生を見た。髪を青に染めている人がいて、意外と青の髪ってかっこいいなと思った。何と言うか。人一人いなくたって世界は回るのだなと思った。あと、すげえ寒い。パジャマを長丈のスウェットにしたが、もっと早くこうしていてもよかった。さすがに今年はコート的なやつを買うものと思いたいが、買わない可能性も十五分くらいあるので分からない。ダウンジャケットは、表面のつたつたした光沢のある感じが嫌いなので買わない。

大仰

歯ブラシを替えた。またGUMの200円くらいするやつにしたが、歯ブラシとして高いのか安いのかいまいち分からない。前回取り替えたのがいつだったか思い出すと、多分7月の末とか8月の頭とかで、むしろ取り替えの機を大幅に逸していたと言える。仕上がりが全然違うので、歯ブラシは定期的に替えましょう。歯磨き粉、ホコサキさんに言わせればどこが粉かという話であるが、まあその歯磨きペースト的なやつも買って、今回はガードハローというやつにした。ホワイト&ホワイトが、オオゼキで安かったのもあってリピートしていたのだが、こいつら二つの共通点は、パッケージラベルが全く時代に合っていないところである。年号を2つくらい間違えているのではないかと言いたくなるほど、というか最早そうで、どう言えばいいか分からないが好きなのでこれにした。親の実家にあるやつだ。食料を買い出しに行って、本屋に寄ったら、開高健ベトナム戦記が新装版で出ていたから買ってしまった。帯は著しくしょうもない事が書いてあるが、自分で自分の言葉に酔えるのであれば省エネだからまあいいんじゃないか。肯定はしないが。本を買わずに本屋から出る事はなぜだか難しいのだが、ギャンブル依存とか、ああいうのと精神構造は似ているのかもしれない。銀河ヒッチハイク・ガイドシリーズを読み終わってしまったため、読み返してはいるのだが、どうにも味気ないというか、早くページをめくりたくて堪らない本に会えるのは、次は一体いつだろうと不安で仕方がない。私はフィクションを通してしか現実を感じられないので、どうしてもそういうやつが必要なのである。どうかね。昨日、避難訓練だか消防訓練だかの備蓄品放出で出てきたらしい乾パン(氷砂糖入り)をもらっていたので、それを昼飯兼おやつに食べた。腹に溜まる割にはカロリーが乾パン・氷砂糖合わせて400キロカロリーくらいと、死なずにやり過ごせるギリギリな感じになっていて、うまい事できとるなと思った。おそらく、砂糖とかバターとか、そんな愛嬌のあるものは一切入っていなくて、パン的成分を構成する最低限の要素だけでできていて、味らしい味はほとんどなかった。パンの気配みたいなものは感じた。氷砂糖なんて久しぶりに舐めた。噛んだ。割った。小学校の終わり頃か、中学生の最初の頃か、おやつに氷砂糖を食っていた時期があって、その事を思い出した。血糖値が緩やかに上昇するため、おやつ的なものとして消費するのは意外と悪くないらしい、とどこかで聞いたような聞いていないような。

どうにかできるならしている

最近、寝起きが最悪である。どれぐらい最悪かというと、それを表現する言葉が辞書を探しても載っていないから言えないのだが、最悪である。あと、なぜか、中学・高校で使っていた体操着袋を開けると、体操着と一緒に、数年着続けていたグレーとボーダーの長袖長ズボンのパジャマが窮屈そうに入っている夢を頻繁に見る。なぜなのだろう。確かに、パジャマが、入れ替えがめんどくさくて、いまだに半袖半丈だから、さすがに替えないといけないと思ってはいるのだが、服とタオルが積んであるソフトボックスの一体どこにそれが入っているのか、発掘するのがあまりに面倒でやっていない。布団も端っこの方が寒いので、もしかして毛布を買ってもいいんじゃないかと考えているが、近所に布団屋があったような、それともそれは前の前の家くらいだったような。おそらく、ニトリとかに行けば、毛布くらい棚いくつ分もあるのだろうけれど、実家の実家にある押入れから出てくるような、あのくすんだ青とか赤をした、生地ゆたかでぶりんぶりんしたああいう毛布が欲しいのである。しかし、寝る時は暑がりなので、あれを被るとものの数分もせずに蹴っ飛ばす可能性もある。そもそも、人生の8割以上は毛布を挟まずに冬を寝過ごして(語弊があるが)来たので、無くても構わないというのは全くそうだ。口座の金を移動して、でかい引き落としがまだ来ていないのでバランスを崩した。このバランスは英語の口座という意味のそれではない。期日を確かめていない私が100%に輪をかけて悪いのだが、早く楽にしてくれという思いがあるので、大金を払う時は、準備ができたらその場で持っていってほしい。下手に手元に残り続けると、すげえ損をした気分になるのだ。いや、損は損だし、支払いは対価であるから損かというと違うわけだが。大家さんが、たまに家賃のペイバックや差し入れをしてくれる時に、キャッシュではなくQUOカードで入っている。QUOカードなんて、使った事がある人がいれば手を挙げなさいと言いたくなるくらい、支払い手段としてはマイナーだと私は思っているのだが、一応色んなところで使える。昼過ぎの変な時間だったので、使える場所のひとつとして、コンビニでツナマヨ巻きと納豆巻きを買った。前者が一本の短い方で、後者が何本かを寸断してトレーに乗せたやつだった。本当は海鮮丼みたいな、生の魚肉を厚みをもって食べたかったのだが、諸々の事情により失敗したため、妥協案の妥協案みたいになった。ワンコインの海鮮丼屋がたまにあるが、あれが近くにあればよいのだけど。

さっぴょ

昨日、ドミノピザのまみれシリーズが一角、パンチェッタまみれを食べた。パンチェッタはチーズかと思っていたのだが、ハムの一種だった。具が6倍乗っていて、こぼれます、こぼれちゃうんで、こぼれた分はこれで食ってください! という感じで、割り箸がついていたけれど、箸を使って拾わなければならないほどぼろぼろ落ちるわけでは全くなく、むしろそうしたいのであれば今6倍乗っているこれのもう6倍くらい乗せた方がいいんじゃないかしらと思った。専用割り箸と銘打ってあって、なにゆえそうやって銘打ってあるのかというと、割り箸の頭の方に、ドミノピザのトレードマークが焼印で入っている。たまにピザを一枚、一人で食べたくなる欲求が湧いてくるが、古戦場のせいなのかもしらん。その度に思うが、ピザは家に持って帰ってから10分くらいまでが一番うまく食べられる時間で、そこからは急速に味わいが落ちていくため、そもそも一人でレギュラーサイズ一枚を食う事と噛み合わせが悪い。シリーズには他にも、ベーコンがしこたま乗っているやつとか、ガーリック、あるいはコーンのそれらもあって、イタリアンソーセージのやつなんかは面白そうだなと思ってはいる。一回くらい、ピザライスボウルとかいう頭の悪そうなやつを食ってみたいのだが、いつになるだろうな。今日は一日、頭の中が白かった。危機契約が終わりだ。ゴミ袋を縛って玄関に投げた。歯磨き粉がそろそろなくなる。歯ブラシも替えたい。トイレットペーパーがなくなりそうだ。家賃を払ってない。明日、いくつかやらなければならない事がある。

かわりませんね

髪を切った。髪がある程度のところまで伸びると、手を差し込んでわしわしした時に、独特のひっかかる感じがあって、それで散髪に行くかどうかの判断をしている。各人、それなりに、調髪については独自の尺度を持っているのではないか。今日、祝日だという事を知らなくて、店の中で流れているラジオのタイトルに「ホリデー」と入っているのを聞いて、頭の中にどこかで見たカレンダーがフラッシュバックし、そういえば今日は赤い日になっていたと思った。クリスマスと年末年始、それと親きょうだいの誕生日くらいしかまともに覚えられないくらい、数字に対する感覚が欠落しているから、何回言われても過ごしても、祝日一覧は覚えないはずである。今日は、ちょいワル親父をもうちょっとワルの方にほんのり寄せたような長髪の人で、すぐにヤニの匂いが分かった。求人情報の、髪型服装自由という表記について、実際のところどこまで自由なのか全国的に調査をしたら、どこか一軒くらいは、バニースーツとかF1レーサーの格好でもいいよというゆるゆるなところが見つかりそうだが、だからどうなのだという感じもする。今までこの人に担当してもらった事はなかったのだが、なんなら今までで一番いい人なのかもしれないと思うくらいには上手かった。多少耳を引っ張ったりとか、頭髪を云々するにあたり、被施術者に対してある程度痛みを伴うだとかのストレスを引き連れる避けがたい所作のひとつやふたつくらいあるのだが、そういえば今日はなかった。シャンプーする前、手の平を水平にして、襟首のあたりをトントンと叩いてきて、独特な髪の落とし方だなあと思ったら、首の方まで降りてきて、そこでマッサージをしてくれているのだと気が付いた。なんなら肩まで揉んでくれた。肩を揉むという行為に強い指向性を持ってそうされた事がないし、特に肩凝りがきつい日とかではなかったのだが、肩を揉んでくれた。ドライヤーをかけた後、再度ハサミを取り出して、頭頂部の方をちょいちょいしていて、何かと思ったちょっと後に、あ、白髪を切ってくれているのだなと直感的に分かった。切った後だと目立つからさ、なんでか跳ねるんだよこいつら。いい人だった。これであの理髪店のスタッフには全員当たったはずだが、過不足無く、普通のいい店だという結論が得られた。私の選球眼は変なところで発揮される。 /// 人となりが変わらないというのは、ある程度の価値を見出すべき事実かもしれない。

仕込み包丁

昨日聞いた予報通り、一日中雨が降っていた。おや、止んだかなと思ったらどちゃどちゃに降り始めて、舌打ちをしたものである。いや、物理的にはしていないが、心理的にはしていた。前に書いた気がするが、古い小説では、舌打ちの音が「ちょっ」と文字にされている事があった。ほんまかいな、と思うのであれば、あまり行儀のいい事ではないかもしれないけれども、他に人のいないところで、舌打ちを何回も繰り返していると、ちょっ、という舌打ちにも、幾分かの、かなり納得できる理がある事が分かる、と思う。分からなかったら、それは、ニワトリの鳴き声がくっくどぅーどぅるどぅーに聞こえない、みたいなもんだ。各国言語別舌打ちの擬音リストなんて、もちろん見た事がないわけだが、実際目の前にしてみると面白いかもしれない。人前で、そうとは知られず、悪態をつけるわけであるからして。あとは、嘔吐の擬音とか。や、どうだろうな、オノマトペ全集くらいのものは、だいたいどこの国でも出ていておかしくなさそうだから、総覧になってはいなくても、ひとつずつまとめていけば全になりそうだな。

pnigos

俺も、人知れぬ、のどかで、退屈で死にそうな街で、サンドイッチを作りながら緩やかに死を迎えた方がよかったのかもしれない。すぐにたくさんが目に見えてしまう時代に生まれたのは、個人的精神性から見て大いに間違った気はする。久しぶりに人と飯を食ったが、一方の隣の席では「焼肉で鶏肉食べるのはないわ」「牛か豚でしょ」という話をしていて、他方の隣の席では男がうまい以外の感想を口にしなかった。よっぽど頭にヤゲン軟骨を生やしてやろうかと思ったが、いくら元が鶏とは言えトリ頭に生やされては痛ましいのでやめておいた。道端で流れていたテレビだったか、ラジオだったかで、それに知性という言葉を認めたら言葉の定義が大幅に拡大される事が期待されるようなアイドルが、たこ焼きを食べて「外がカリッとしてて中がとろっとしてておいしいです」という感想を流していて、目ん玉をひん剥いて眼球が零れ落ちそうになった。どこでも誰からも聞ける、手垢でブラックホールよりも真っ黒になったちゃちいそれが、ギャランティーをもらってブロードキャストに乗るという事実に耐えられなかった。今日はそんな事ばかり考えていた。

一対一で対応するのか

ダーク・ジェントリー以下略の続刊を読み終わった。終盤はかなり滅茶苦茶で(褒めている)、あのどうでもいいような出来事がここで収束するんかいという点がすごかった。訳者あとがきには、ダグラス・アダムスの遅筆ぶりとその体たらくが述べられていて、思わず笑ってしまうくらいどうしようもないので、そこも逃さず読んでおきたいポイントなのではないかな? 自分以外がどう思うかに関しては自信がない。自信がないといえば、このあとがきで、私には批評家のメはないのだなと分かった。途中の経緯をすっ飛ばして、頭の中で得られた結論だけ書いてしまうと、おそらく、私の中には「おもしろい」と「私には合わないですね」のふたつしか評価基準がない。しかもそれがシンメトリーを為しているわけではなくて、間を繋いでいる軸が疲労でへし折れそうな隔絶を置いているものだから、何かを人に勧められないのは、まあそりゃあそうなんじゃないのという感じだった。さて、困ったな。書く事がなくなった。この後は、布団に潜り込んでガイドの5巻を読み始めるくらいしか予定がないし、何か書こうと思っていたネタもない。あったとして品がなくて自主的に引っ込めているか、いや、大概そうかもしれない。目隠しして彼氏のちんぽを当てるゲームがあるのに、逆に目隠しして彼女のxxxxを当てるゲームがないのはなぜだろうかとか、私が見た事ないだけかもしれないが、そういう事を考えながら晩飯を作っていたくらいには、今日は頭の中が空っぽなのである。本の片付けをした方がいいのだろうが、多分あと3ヶ月くらいは机の上がしっちゃかめっちゃかのままだと思う。今までもそうだったので。

電源が増えた

あまり罵倒語のレパートリーを増やそうとは思っていないが、「掃除機の脇の下みたいなにおいがする」という言葉を見ると、人生で一回くらい使ってみたいと思ってしまうのは、私の性格がひねているからかもしれない。ガイドシリーズを読み始めたあたりから、毎日22時くらいにはお布団に潜り込んで、日が変わるくらいまで本を読むようにしているのだが、何かを悪く言う時の手札がみるみる増えていて、困ったような嬉しいような気持ちになる。遠回しな悪口も悪口であるわけだが、距離の遠近問わず、よくもまあこんなに色々と考えつくものだわねと笑いながら読んでいる。昔、ラテン語の悪口雑言ピクチャーブックみたいなものをイギリスで買ったが、ラテン語さえ覚束ないのに、それを英語に訳されたところで、これはもしかしたら「クソ野郎」と言っているのかもしれないが、その程度が「あばずれ女のひり出したクソ野郎」なのか「靴の裏にひっついてきたクソ野郎」なのか、どの辺のスタンダードにあるのか分からなかった。そもそも、罵詈雑言というのは、他人に対して強い指向性を持たなければ言おうとさえ思わないものだから、独り言でそれを考えるのが趣味であるという人がいたら、それはそれで素敵な趣味だと思うので大切にしてもらいたいが、私には向いていないかもしれない。まあ、面白い事を書かなければ死んでしまう人間というのは確かにいるのである。で、本屋に行ったら、ついにガイドシリーズ1〜5巻が揃っていた。背表紙に『ほとんど無害』の字を認めた時、瞬間的に視力が2.0に戻ったのではないかと思われた。大喜びで本棚から抜き取り、心の中でスキップとハミングを同時にしながら他の棚を見て回った。自覚すると驚くほどに心中浮かれており、私でもこんなに楽しそうにする事があるんだなと我が事ながら意外であり、魂がすっぽ抜けて天井に頭をぶつけるのではないかと心配になる程だった。そうなるほどよい本に巡り会えたのは今年の褒めるべきところなのは間違いないし、かつて先輩が言っていた四方山話をなぜか覚えていた脳味噌にも感謝せねばなるまい。ミスドでドーナツをいくつか買って帰ったが、オールドファッションシナモンだけが他のオールドファッションに比べて減りが悪いのが気になった。私はシナモンがだぁいすきだが、苦手だという人に会った回数の方が多い。ねじりドーナツだか、こねつぶしだか、短冊形のこんにゃくの真ん中に切れ目を入れて何回か捻り返したような形のやつ、あれは意外と美味しかった。

趣味のいい自殺

面白そうだから買った、甘辛中華漬け込み調理用パウダーみたいなやつに突っ込んでおいた鶏肉が、かれこれ一週間以上冷蔵庫の中で熟成していて、今日で残り一枚になった。何回か食べてみたが、あまり食べた事のない味がする。確かに辛いのだが、その辛さが唐辛子とかの痛覚としてのそれではなくて、舌の基底部に重みを持って響くような辛さをしている。甘いかどうかは、他の情報に埋もれて何とも言えないが、肉を漬けて調味するにはいい感じのパウダーなのであろうという事は言える。鶏肉でやったが、牛肉とかの方が相性がいいだろうし、パッケージは青椒肉絲的なものの写真だった。ゆで卵を、醤油などの他の調味料も合わせて漬けてみても面白いかもしれない。やるかどうかは知れないが、消費期限を気にするくらいには卵が残っているから、やってみてもいいのかもね。書く事がないな。あれは、5巻を見つけてくるまで先に進みようがないから、ダーク・ジェントリー以下略の続編を読み始めた。一巻(数字がついていないのでこう呼んでいいものかどうか不安が残るが、第一作はそのままそれなので便宜的にこうする)は、階段にソファが挟まったり、正直この事柄ひとつだけで一ヶ月分の飲食が済んでしまうくらい食える話なのだが、随所随所、あるいは、もっと言えば、各所各所が荒唐無稽でなかなかとんでもなかったのだが、次作となる『長く暗い魂のティータイム』も、なかなか、こういうの(こういうのってどういうのだと聞かれたら困るのだが、まあ、例えば、一般に、「シュール」という言葉で思考放棄して何でもかんでも見なかった事にするような人がそのように対処する出来事とか)に慣れていないと最初の10ページも読まずして、本当にそうか不安になって1ページ目を読んでみたがこれはそうだった、投げ出して遊びに出かけそうな感じだった。幸い、私は遊びに行くという動詞の意味がいまだに分からないままなので、こうして本を読んでいられるわけなのだが。思い出したが、数日前に私信を受け取ってから、何の返事もしていない。返事が来ないから心配だと書いてあって、私も心が痛んだものだが、それと返信できる事は全くの別問題であるという証拠になってしまっている。返信をしようと考えている時間は間違いなくあるのだが、他のあれこれに例外なく轢き潰されて意識からすっ飛んでいる。じゃあこれを書いている場合ではなくて、脇でウィンドウを開いて返事を書けばいいのだが、残念ながらただいま便意が訪れてしまった。