他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

やさしいビンタ

こんな地獄には落ちたくねえなあ、と考えて時間を潰したり、作業中の空白に付き合わせたりする。今日は、買って来たキャベツを切りながら、「狭いキッチンでキャベツのカスを一切落とさずに切り分けないと出られない地獄」、嫌だなあ、と思った。自分で考えてしょんぼりするなど愚の極み、トッピングの塩分と油分が溶けまくった最終盤の二郎系ラーメンのスープみたいなもんだが、どうしてか考える。美味しいものをいっぱい食べさせてくれるけど歯磨きはさせてくれない地獄とか、いくらもある。一番嫌なのは、生きている間に自分が歌った(鼻歌含む)全てを音源にして聞かされる地獄、である。最初こそ恥ずかしくて粉になりそうだが、途中で開き直って聞き流せるようになるのではないか、ならないかもしれないけど、そういうことを。茹でたら少しは嵩が減るかと思ったら、キャベツというやつは1割も減らない。大量のタッパーが備蓄のために必要になる。甲斐のないやつだ。ものとしては美味いのだが、そのままにしろ加工するにしろ場所を取りすぎる。

何でも届く

部屋の中にいると、さむ……が思考を支配する。唇の皮がぱりぱりしていて、これが果たして気候故なのか、あるいは栄養の偏り的なそれなのか、判然としない。明日は買い物に行かないと、野菜もろもろが足りないから外に出る。まだ雪を見ていないけれど、見なくて済むならそっちの方が楽だ。料理は愛情というのは、結構当たっていると思っていて、作る時に、これを食う人がいるいないでは心の面差しが違ってくる。自分以外に食わせるなら、まあ手は抜くにしても少しはいいようにしたくなる。万般そうではないかもしれないけれど、まあ私はそうだ。私は、食い物を結構重たく捉えているのだと思う。もっと言えば、私は人の面倒を見る方が好きなのかもしれない。プロジェクトマネージャーとか向いてるかもね。何をする役職なのか知らないんだけど。常にトイレに行きたいのに、実態としてはそうでもない妙な日だった。やっぱり寒いんじゃないのかな。

レンブラントのつまようじ

あったはずなのに見当たらない服があり、擦り切れてのびのびになっていたから、別に困りはしなかったのだが、今日の物干し竿にかかっていた。大家さんが庭整備の際に見つけてかけてくれたものらしく、要するに少し前の突風の日々で或る時吹っ飛ばされて窓から見えない場所に行ってしまったようだ。ついでに、最近見ないな、と思っていたバスタオルもかかっていた。道理でハンガーが足りない気がしたわけである。結局、まだ肉眼で雪を見ていないが、空気が冷たいのには変わりなく、部屋の中が沈んできんきんしている。来シーズンは、あったかもこもこ室内履き靴下を用意した方がいいと思う。久しぶりの作業に従事したら、とにかくしんどかった。ああ、こういう苦役だったなあ、と思い出した。どこにも引っかからない、宙ぶらりんの、おおよそなんとなくできるけど別に取り立ててどれができるわけでもない、みたいになっていて、薬味ネギならそれでいいのだが、すると、私は生まれる種族を間違えたのだろうか。一味があるともう少しおいしいだろうね、という瞬間がちらほらあるので、今度覚えていれば買ってくる。味噌汁に、真っ赤になるまでとうがらしをぶっかけるおじいちゃんの話を前に読んだが、あれって何で読んだんだっけ。

魚卵の町

人から寒そうな写真が送られてきて、寒いところの写真だった。すごく寸足らずなことを書いている気がする。しかし、今日はどうも頭がもっちょりした日だったので、思考が十全に回っている感じが、いつにも増してなかった。ハナマサで買ってきたバナナチップスを食べた。開高健のエッセイに、道端でおばはんが洗面器で揚げているバナナチップスをつまみながら云々、みたいなのがあったと思う。東南アジアのどこかの話だった。キッチンペーパーでつつんでレンチンすると、豆腐の水気を抜けると聞いたのでやってみた。確かに抜けた、気がする。自信がない。高野豆腐みたいにならないと、水気が抜ける、という状態ではない気がするから、これがその事象なのか判断できない。きゅうりを塩揉みするのも、別にきゅうりの干物みたいになるわけではないから、同じようなものなのだろうか。どこからがそれで、どこまではそれではないのか。ジャンクフードが食べたくて仕方がないので、ちょっと心がしょぼくれているのだと思う。こういう時にプリンの作り方でも知っていればよかったな、という考えが浮かぶが、なぜそう思うのか分からない。頭の中のハムスターが、回すべき滑車がなくて呆然としている。飼ったことはないが。別にひまわりの種だけを食うわけではないだろう、とっとこハム太郎以上の何かに想像が及ばない。かいわれ大根とか、そもそもローズマリーとかなんとかに、名前をつけて育てることはあるんだろうか。米の名前がヴァン・ヘイレンだったらかっこよ過ぎるけども。

make it 袖

下仁田ネギを買ってあるので、明日くらいに鶏肉ですき焼きっぽいものを作りたいと思っている。今日やろうとしていたが、諸々めんどくさくなったので明日になった。下仁田ネギは、見た目が好きだ。輪郭が中太で、妙な安心感がある。普通のネギを普通の枕とすると、下仁田ネギは抱き枕くらいである。ドミノピザが出している、ピザ×ハンバーガーのバカみたいなピザを食べておきたいと考えているけれど、終了する前にどこかで機会を見つけられるだろうか。今現在、口座残高にあまり自信がないのもある。ピザってのは、店舗に直接取りに行けば安くはなるが、一食としては結構アホな値段になる。でもな〜。ハンバーガーの概念をドッキングしたピザも食べたいよね☆ な気持ちも確かだ。本をいっぱい買い込んでいる場合じゃないのよね。

概要欄

ふと炭酸飲料が飲みたくなったのでCCレモンを買った。いざ落ち着いて、レモン120個分のビタミンC、を受け止めてみると、いやほんまかいな、懐疑の念起こるを妨げられない。ちょっと調べてみたが、成分表示基準とかなんとかにより、レモン一定量あたりに含まれるビタミンCが数字的に扱いやすいのでこんな表記になっているようだ。今あるのが1.5Lペットボトルだけども、それにしたって120個分も入っているのかしら、それとも私が思うよりレモンというのは中身のスカな果物だったかしら、いらんことを考えた。最近の瀬戸内海お菓子は、とりあえずレモン入れとけみたいな思想の怠惰を感じるのであまり好きではない。そういえば、ちょっと前にきびだんごをもらって食べたが、あれっ、乳団子みてぇじゃんと思った。くれた人も乳団子を食べて、これはきびだんごではないのかと思ったそうだから、親等で言えば一くらい近いものなのかもしれない。きな粉餅を食べた。

よくなるどこが

寒さで各所色んなトラブルが起きているらしい。幸い、個人的には大仰な予測をした割に雪は降らなかったし、水道管が破裂したりはしていない。黙々とした、中身が透明な日だったので、書くことがない。本は読んだが、まだ読み終わっていない。煮物をテーマとしたレシピ本をいつか買いたいな、と思っているのだが、忘れていたり、主に足を運ぶ階とは違うところだったりして、手が伸びない。レシピをさっぱり見ない、とんちんかんな料理が手癖になっているから、心のある程度以下の層では、そんなしち面倒臭いことやってられませんよ、という部分があるのかもしれない。さばの文化干しを食べた。魚を食べるのは非常に珍しい。部屋に匂いがつくし、トースターで焼くと上に置いてあるあれこれがあったまって不都合だからだ(最後のは、本当に久しぶりだったので事後思い出し、ぬくくなったりんごを冷蔵庫に避難させた)。腹側の、ハラスみたいな、脂が多い部分はうえっとなった。魚油であっても、きついものはきつい。

hard to beware

疲れたとかそういう状態ではないのだが、元気がなく、書くこともない。水道の水が殺傷的に冷たいことを今述べても仕方がない。起きたら首が痛かった。一日通してそのままだった。昨日の夜、いただけない姿勢で本を読んでいたのがまずかったのか、やはり文庫本は仰臥でも横臥でも読めるので取り回しがよい。さて本当に語ることがないので、晩飯にトマト煮込みを作っていることを記しておしまいにしたいと思う。いつまでもくっちゃべっていては詮方ない。

缶の黴

野坂昭如の小説は、よく分からないが身体に合う。土地の水が合う、とはこういうことではないかと、まあ本が相手ではあるけれども。おもしろくて、感性がこてんぱんにされるのだが、読んだ後しばらく、気持ちがずっしり重たくなる。私がアホで鈍くなっているだけで、そういえば筋自体はうんざりげんなりするほどの生々しさで、腹の中で胃液と取っ組み合いをしている時間なのかもしれない。本当に、こう、がっくりくる質のそれで、将来感覚を例示できる辞典ができたら、厭世の項目にはこれを入れようかと考えてしまう。しかしてそれであってなお読ませる何かがあるのには間違いなく、じゃあそれは何だろね、迷路の出口はまだ分からない。挟まっていた刊報の寄稿者に柳瀬尚樹の名前があって、ああ、柳瀬尚樹も野坂昭如にのぼせたクチで、抗い難いむき出しの妖しさがここにはあるんだろう。

髭と紫煙と遮光グラス

買っていた野坂昭如コレクションを読み始めたのだが、すごい強烈だ。博覧強記な女性器テーマのそれがあったり、あれがあったりこれがあったり、3000円払ってよかったなと思っている。紙と製本が立派でごついので読みにくいのはまあ仕方がない。国書刊行会は、名前に反してというか名前からイメージするのとは距離がある、変な本が多くて、野坂昭如の小説もまあ、表にどんと出る類のそれではない。一人で読むからじわぁと染みる良さを持っている。空気が冷たい、という形容詞ではない、ひゅっと身を縮こめさせるような透明だ。明日は雪が降るかもしれないし、降るだろう。こんな季節に電気代が高いなんて、救いのない時代だ。

キャラメルをきゃらめらない

茶店として出た第一号の店では、きっちゃと読んでいたらしい。他に茶をさと読むのは、まあ言われてみれば、小林一茶、茶道くらいしか知らない。音として気持ちが悪いからなのか、あるいは言語学的に合理的な理由と経緯によるものなのか、喫茶店は喫茶店となった。突発的理由により人と喫茶店で話し込むことになったから、こんなことを思い出して言っているのだけども、なんとなーく話ができる雰囲気は、他で見ない、ような気がする特長である。喫茶店とはそういうものだ、そういうことをしてもよいのだ、と意識に刷り込まれてしまっている、そんな事実があるのかもしれない。実体を伴って人と話すと、ある程度内面で固形化した考えを話してしまって、飽き性な私はそれが何だったかあんまり思い出せないので、書くことがなくなる。登山家の人って、登頂した時、次の山に登りてー、とすでに考えているんだろうか。それとも、2週間くらいは、山のことなんて考えずに、競馬新聞とにらめっこしていたりするんだろうか。

ぎこちぎごち

空気が乾燥しまくっているせいか、手がばきばきになっている。ばきばきは言い過ぎたけれども、そこに至りそうな勢いとなっている。指関節のところが曲げると痛くなりそうな、曲げたくねえなと思う程度に痛んでいる。ついでに、明後日くらいにド級の寒気がやってきて、気温が氷点下になるとラジオで聞いた。寒いのはいやだ。しかし電気代は高いらしい(明細を見ていないのでよく分かってない)。でもエアコンを使うと電気代は高い、これまでの経験則でなんとなくそうだろうという気はしている。それでも電気代がまた値上げするというのだから、暮らしの基盤が、ずぶずぶと沈降しているんだろうなとは思う。あと、連日聞こえてくる内閣周りのニュースがアホ過ぎて、一世紀を待たずして歴史を繰り返そうとしとんかスカタンと言いたい。トゥキュディデスの序文が、悲しいことに現実である限り、怒りを忘れないようにしたい。抱えておくのが一番しんどい感情を手放すと、他の手立てを失う気がする。

きゅきゅきゅっぽ

ワンランク上の手荒れに襲われており、少々の挙動でもちょっと痛い箇所がある。全体的に潤いが足りていないというか、油っけ、肉のもっちゃり感(どう言えばいいか分からないので後半は自分でもちょっとどうかと思う)に乏しい。要するに手が寒気に晒され過ぎ、もうちょっと労ったりましょうということかしら、手袋でも着ければ改善されるだろうか。道を歩く時、手がぷらぷらと吹かれるがままになっているのは確かにかわいそうだ。何よりそれで後々痛い思いをすることになる私がかわいそうだ。しかし、手袋もまた、これと気に入るものがなかったので持っていないアイテムの一つである。あるいはまた、そういえばそんなものもあったな、程度で、探してさえいなかったとも言う。あと一月半は寒気に悩まされると考えるとあって困るものではないけれど、シーズンオフに片足を突っ込み始めているような気もするし、悩ましい。

読んで字のごとく

たまにしか使わない平丸皿があって、今日は茄子をレンチンした。レンジから出して粗熱をとっている時、ぺき、ぺき、とゆっくり割れるような音がした。この皿からしていたかどうか確かではないけれど、他は普段使いつけているものだから急に異変が現れるとは考えにくい。なのできっとこの皿がぺきぺきしていたのだ。陶器がぺきぺきするとは変な話だと思ったところ、皿を洗っている際に、茄子から染み出た紫色の汁が浸透したらしく、好意的に見れば藤蔦模様みたいな亀裂が走っているのが分かった。表面の釉薬的なそれがひび割れているだけなのか、中まで損傷が及んでいるのかは不明だ。使い勝手が良くもなく悪くもなく、良くも悪くも普通に使える皿なので、ギブアップとなると困らないような、たまにしか使わないからこそ困るような。あとは妄念だ。

形だけついてる目

中期・短期的に見てやった方がええで、なことが少し溜まっている。私がはいはい安請け合いしたわけではなくて、知らない間に私がやることになっていたようなものどもであるが、今現在の精神状態が極めてフラットであって、大概のことは良くも悪くもどうでもええわの心境だから、でもカレンダーに当てはめてみると、あんまり悠長ににこにこしていられない。私は仏頂面な方だと推測されるが、にこにこという言葉は好きである。悪い意味で使おうとする方が難しい言葉だろう、これは。にこにこな動画とかレンタカーとかはあるが、まあ瑣事である。とにかく眠たくて、ぽやぽやする。心と頭は連動していない。昔代の哲学は心が何処にあるのかを真剣に考えたわけだが、今もすっぱりずばりな答えは出ていない、んじゃなかったかしら。現実は数秒遅れで認識しているので今知覚している現実は実は現在ではない、みたいな記事を前に見たが、真面目でないので詳らかを覚えていない。せりを売っていたから、緑色だ、という動機で買ってきたが、どう食えばいいのか知らない。七草粥か、ギリギリ天ぷらくらいかなあ。漢字で芹、が限界だ。すごく眠い。