他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

縦横斜めで話ができるので、縦横は尽くせ無いほどではないのでは?

でっかい交差点を渡る時に、めんどくさいので「まっすぐ行ってから横に折れる」という移動コマンドを身体に入力する事を身体が強く拒否し、「斜めに渡ってしまえ」と唆してくる。大変魅力的な提案である。算数で習ったんだか初等数学で習ったんだか、2点間を結ぶ最短の距離は2点を結ぶ直線である。よく分からないほど宇宙的に拡張した超絶数学だとそんなこともなくなってきているのかもしれないが、最短距離は大体そんな感じだ。別に目的地に速く行きたい、行きたくて仕方がなくてうずうずですぅ〜みたいな事もなくて、じゃあそんなちまちましたショートカットの事を細々考えるくらいだったら堂々と怖じずに行けよと思うのだが、思ってしまったらそう思った自分を見る自分を見る自分を……と一切の利益をもたらさない背進が続いてしまうため、考えるのをやめた。斜めに渡っても危険がなさそうな場所、例えば渋谷のスクランブル交差点とか、超田舎の風に吹かれて転がるビニール袋しかいない交差点とか、その手の場所であればすいすい渡る。そこまで断定できない場所では、ちょっと怖じる。いやいや、もしかしたらもしかするんじゃない? 危なくない? と思っている。そんな事を言ってしまえば、横断歩道を渡らない事が危ないし、なんなら外出それ自体がこの上ない危険に身をさらす事になる。歩く核シェルターになれない限りは、危険は教室で自分の後ろに座っているやつくらい近くにいるのである。そう易々とプリントを渡してしまいたくはない。プリントは回さなければならない。寝首をかかれないように、とっても気をつけて振り向くのだ。背中を取られている時点で相当負けている気もしてきた。ここまではどうでもいい枝葉末節で、幹に抱きついて取っ組み稽古を始めると、「『斜め横断』という言葉には、横が一個多くないか?」と、でっかい交差点を斜め横断しようかどうか迷った時に思ったのである。斜めとは、それすなわち、「縦+横」である。数学でベクトルをお勉強した時に、そういえばそんな話をもっと定式化して定量化してやったような気がする。字面だけ取り出すと、「斜め横断」とは縦横横断であり、横が横並びによこよこしている。よこよこなどという言葉は日本語のうちに存在しない。横断の「横」にそこまで強烈な方向性示唆的性格があると思うにはなかなかしんどいが、あ、横がいっぱいあるなと思った。そして、「あ、それは理に適っぺだね」という言葉を使っていきたいなと思った。その意見、理に適っぺだね! かわいい。