他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

既製品を分解して意図的に再構成する

窓辺に寄ると、自覚する暇さえ与えられずくしゃみが出た。神経系を迸る信号が、待ってはくれなかった。ぱちりと布団の中で目が覚めて、また一日が過ぎてしまったなと窓を見ると、水分混じりの粉が乾いた跡が一面にびっしり付いていた。これらのトレースのうち、どれくらいの割合が花粉なのかは分からないが、佳境はまだまだこれからである。今は季節的に言えば、単行本の3巻くらいだ。主要キャラも出揃って、人物描写も事足りてきて、作品のテーマも熟知されてきたところくらい。ここからアニメ化とメディアミックスを狙ってきているのだ、花粉は。一年に必ず一度はブレイクするのだから(人によっては春夏秋冬いつでも反応してしまう花粉が飛び回っているらしいけれど)、花粉というやつは大した売れっ子である。売れっ子というか、自然植生分と、人間が植えまくった分とがあるのだから、クラウドファンディングみたいなものかもしれない。意に沿わないスタートアップにキャンプファイアしたわけだ。雨が降れば楽なのだが、私は雨が嫌いなので、雨が嫌いというか降っているのは好きだが降っている時に外出しなければいけない用事があると厭な気分になるので、湿り気があればいいのになと思う。晴れと湿り気は両立するに難しい両輪である。意図せず、しかし必要に迫られた出費により、一瞬で5万円ちょっとがなくなってしまった。お金は、入ってくる時は千円単位で数えた方が早いのに、出て行く時は万単位で数えた方が早い。まるで「お前が金を持っている事は罪だ」と言わんばかりであって、罰金のようだ。生きている事を罪だと思い始めるといよいよ終わりの始まりだが(原罪という考え方もあるけれども)、そもそも終わりの端緒こそが我々の財布の紐なのではないかとさえ思えてくる。入り口をオープンにしてもなかなか流入が増えないのに、出口だけはどれだけセコムしても強盗が押し入ってきて奪い去って行く、そんな零細個人銀行があっちで泣いたりこっちで笑ったりしているのではないだろうか。大学前半期に色々捧げたサークルに記事をまた書こうと思って、2時間くらい無心でキーボードを叩いていた。私には自覚した伝えたい事言いたい事主義主張なんてないのだが、今手元にある材料だけで書き終わった分を読み返してみると、自発的に誘い出せないような攻撃性とか、文章のうねりの中でしか出てこないような比喩とか言い回しとかが溢れ出ていて、文章を書いている時だけは生きているのだなと、消極的遡及的に思う。