他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

地下水脈と毛細血管

荷解き、というほど大層な事ではないが、必要なものだけはキャリーから出し終わったので、身辺が落ち着いたと言えば落ち着いた。晴れたり曇ったり、雨が降っていたのに突然快晴になって太陽がプレゼンスを主張し始めたり、ああこの国の天気だなという感じが随所随所に滲み出ている。空気がそこまで乾燥していなかったはずだが、鼻腔がカピカピに乾いて埃やら何やらが張り付き、鼻くそがものすごい頻度で量産されて、ついでに鼻の毛細血管が鼻くその硬い断面に引っかかれてなのか鼻血の乾いた、死んだワインレッドのカスみたいなものも出てくる。たまに鼻をかむと、かなりでかい鼻くそクラスタを得る事ができる。かんでもかんでも、泣いた分だけ次の泣きの機会が用意されてしまうから、とってもストレスである。鼻の穴に、ガソリンスタンドでぐるぐる回っている洗車用のスティック状モップを突き刺して、常に回転させておきたいくらいには鼻内環境が悪い。そんな日本語はない。部屋も今気がついたが、割と不自然な乾燥の仕方をしているので、鼻ついでに喉もやられないようにちょくちょく水を飲んでおく事にしよう。ジュースを飲むと砂糖だか化学調味料だかで口の中が変な感じにざわざわして落ち着かず、酒は飲めないから選択肢として始めっから死んでいて、じゃあ食事の時以外に理由をつけて喉を潤すための手段ってつまりそれはthat is水しかないなという事になるのだが、水を水であると認識して水の味を味わおうとして水を飲むと、突然吐きそうになってこんな液体飲んでられっかと意識がやけくそを起こすから、これはただの行為なのだ生命活動の経過なのだと言い聞かせながら、いや言い聞かせているという自覚さえ抱く暇もないうちにさっさか喉を通過させてしまわなければならない。水はまずいわけでも美味しいわけでもない、ちょうどペーハー7のニュートラルに位置するものだと思っているから、こいつに価値観を押し付けようとする心そのものが誤っているのだ。相互に干渉せず干渉されず、これが水と付き合う上で肝要となる心構えなのであるが、水と付き合うってなんなのだと思い出したから、つまりこういう自覚を抱く前に水とは切り結んですれ違っていなければならない。帰り道にブリトーという名前のついた、どういうものかはぼんやり分かるけれど厳密にはなんなのか分からないものを食べて、これを乗せるかこっちはどうかと聞かれるままイエスエスと言ってベリーホットのソースをぶち込んだら、二の腕くらいあるヘヴィな筒状の物体が来て、ものすごい気持ちと体験の荒波を乗り越えた。