他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

角砂糖くんも、だいぶ角が取れたね

西尾維新『デリバリールーム』を読んだ。あまりにも西尾維新であり、いつも通りであり、いつも通り普通ではない。帯に「新境地すぎる新境地」とか銘打ってあったが、西尾維新は星みたいなもので、どの地に行っても結局は西尾維新という星を出ていない、多彩な植生と気候に騙される勿れ、西尾維新はどれでもあってどれでもない。主人公が女子中学生妊婦というだけでなかなかのパンチ力だが、中頃くらいからどんどんとんでもない、ある意味ではいつも通りの展開を見せるので、すごく刺激的な本である。作品の中で言われている事が作者の意見だとは限らないが、自身を投影したと思われる文章幾らかがエピローグにあったので、こういう事を思っている「のかもしれないね」という材料になる。ともかく、やはり、ストーリーテラーとしては群を抜いて図抜けて出色である事を再確認した一冊だった。奥付を見たら去年の盛夏に出た本だったので、ちょっとクラっとした。春に買って積んでいたくらいの意識しかなかったけれど。多分、人類最強がヴェネツィアに行くやつも積んであるのだが、あれに関してはどこに積んだかが分からない。まあ、未読はそれとして脇に分けて置いてあるはずなので、どうにかなるだろう。グレタ・トゥーンベリの講演を流すニュースで、blah-blah-blahの部分を、「何とかかんとか」と訳しているのを見た。これに突っかかりたいと思う。環境保護活動blah-blah-blah、みたいな、環境活動を軽んじて見てくる人の言い分をカッコ付きで言っているような箇所だったが、列挙するのであれば、云々かんぬんとかetc.(エトセトラエトセトラ)が適切であると思う。何とかかんとかは、ただの訳語であって、いつでもそれに置き換えれば文旨がばっちり伝わるものではない。forを常にいつでも全部「というのも」と訳さないのと同じである。何とかかんとかの音を取るのであれば、せめてカタカナでナントカカントカとするべきであろうと思う。ちゃんとせんかい、と思ったが、んな事を思ったのは私だけかもしれない。蚊が出るので、次弾装填のためにベープノーマットのカートリッジを買ってきたはいいものの、買い物から帰ってからいなくなった。存在だけで蚊を威圧し存在を押しやるほどのパワフルなグッズには思えないが、これが真の力なのかもしれない。もしかすると、来夏のシーズン品を先んじて買ってきた事になりやしないか。秋に差し掛かっても、スーパーの防虫品売り場には置いてあるんだな。