他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

見ていない

机横の棚を片付けた。3年くらい放置していた。もらってきたモニターとかの置き場所を作るためだったが、終わった後改めて考えてみると、モニターその他を置いたところで、使う予定がない。iPadさえさっぱり使っていない。iPadは何にどう使えばいいのかさっぱり分からない。身体感覚にぴったり適合しているのがノートバソコンなので、それ以外のデバイスに対して、付き合い方が分からない。置くだけ置いたが、本当に、何に使えばいいのかアイディアが出てこない。モニターとして機能する事を確認するために、Macに繋いで第二ディスプレイとしてみたが、ただ邪魔なだけだったので、黒くのっぺりした画面が横に這い上がってきただけな気がする。なかなかいい値段のするものだったはずで、確かに映りはいいのだが、出入力が一対一で対応していないと気が散る。使いづらいとかではなくて、気が散るが正しいかもしれない。一望の下にだいたい全部がないと、視線が飛んで忘れるのだろう。Windows機がぶら下がっているので、ゲームとかやりたくなったら、選択肢となる、かもしれない。西尾維新『死物語 上』を読んだ。作中にコロナが取り入れられていてびっくりした。こういう事もするんだ、と思った。こういう事も何も、今までドラえもんとかミスドとかプリキュアとかハーゲンダッツとか、現実へのレファレンスが飛ぶような事はあったのだが、社会時勢を持ってくるんだな、と思った。いいとか悪いとかではなく、これが材料になると判断したからだろうという事なのだが。数年後、数十年後、数百年後、コロナが題材として扱われているフィクションは、どういう読まれ方をするのだろう。次の歴史科目教科書改訂では、現代史の部分に、コロナが入ったりするのかしら。それとも、あと数年は印刷されないのか。昨晩、暇だったので、吉田戦車ぷりぷり県』を少し読み返した。本当に面白い漫画だ。いちいちの表情が、いちいちじわじわと感情を励起する。悔しそうな時は本当に悔しそうな顔をするし、バカにする時は他に類を見ない顔をしてバカにしている。存在しない架空の県に対する愛郷心が軸になって、どうやったらこんな漫画になるのか謎である。しかし全体が面白い。一回5分くらいのアニメになったら、私はずっと見るのではないか。キルミーベイベー生徒会役員共が漫画もアニメも好きなのは、一回が短いからだ、多分。過剰な演出無しに、淡々とこの絵が動くだけで転げ回れるはずだ。