他愛がない

めぞうなぎと申します。文字の話です。日記が置いてあります。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

片ぽんぽんぺいん

目が覚めると賑やかな音が聞こえてきて、透明な銀色に部屋が侵されていたので、また雨が降ってやがるなと思った。7月もそろそろ脂が乗ってきて、額を光らせながら地表をじりじりと焼き付けてきてもいいようなものだが、まだ自己主張の強度が戻ってくることはなく、雲の向こうであちらにふらりこちらにふらりと風来坊を続けている。早く本来の責務に、と言ったところで太陽が自身の職能について自覚的であるとはあまり思えないけれど、籍を戻していただきたいところである。信仰しろ。ふんぐるー、ふんぐるー。起き抜けに、あと数ページを残すだけだったなと思い出し、開高健の自伝をカバンからもぞもぞと繰り出し栞の挟んであるところから読み進めると、あと1ページ程度も残っていなかった。たちまちのうちにフィナーレを迎え、楽しい往路が終わってしまった。復路のない旅であるから、まあ、実質終着点のようなものだ。続けて、志賀直哉小僧の神様という小品を知りませんか、知りませんか、そうですか、と言われたのが忘れられずに借りてきた志賀直哉の短編集を一編だけ読んだ。最初に置かれているのが、当の『小僧の神様』だった。さすがの表題作だなと思う。目次に並んでいるタイトルをざっと見るだけで、なんだか面白そうだと思った。読んでみて、あーなるほどなあとなった。黄色い脂の乗った、なんていう形容を酢飯の上に乗せて寿司に仕立てられる気がしなかった。最後にくっついていた、作者はこう書こうかとも思ったけれど、これこれこう思ったからして、このような結末にはせずにここで筆を擱く、なる部分がメタ的で、しかし物語からは変に浮遊していなくて、剥がれたかさぶたのように、同質のものが隣にあるような感覚で、だいぶん珍しい心地がした。今日は、身体が有する感覚が、40分は優に噛み続けた風船ガムのようで、締まりがなくだらだらして、少なくとも一本のぴしっと通ったスジもなくて、行き当たりばったりの靴に踏んづけられて、無目的に場所を変えるような事をした。18時くらいに雨降りが寛解したので、そろそろ食料買い出しに行かなければ立ち行かなくなる事はないが立ち行きたくなくなる事が感ぜられていたのもあり、遠いところのスーパーに行った。顔にふわふわと綿埃のように当たる小さな雨滴が、鬱陶しかった。豚の首肉(骨付)、ちょっといい豚ロースを買った。豚のネックは煮込み用と書いてあったので、カレーでも作ってみようかと思う。美味しいのかしら。