私は他人とほとんど会話しないが、いざ言葉を交えるとなると、後々までどんなことを話したのかかなり克明に覚えている。誰に何を言われたのか、高校くらいまでなら6割くらい記憶しているものと思う。
ただし、その記憶は潜在的なもので、とある誰かに言われた言葉が時を経て記憶の薄膜の上に浮かび上がり、一人でハッとすることがある。
純粋に、他意なく、いくつか思い出したので忘れないように書いておく。
ただ、私は書き出すと忘れるので、忘れても構わないことなのかもしれない。
発語を瓶に閉じ込めて発生時の状況や文脈、空気感を保存しておけるのなら、いくらでもしたい。瓶はないので、紙とペンで我慢する。私は紙とペンで漫遊してきた。
「根暗」
私がしっかり勤め上げたクラブに、ほんの一時所属したやつに言われた。当時高校生の私は何も思わなかったが、大学生の時分に思い出して過去からの矢に刺さった。
私は人付き合いが嫌いだった。嫌いというか苦手というか、人が固まっているのが好きではない。あまりしゃべらない。外見と匂わす雰囲気が、いざ犯罪を犯した時に「普段何を考えているのか分からない人でした」と言われるそれである。私も自分が普段何を考えているのか分からない。常に犯罪を犯していることになってしまう。
一人でくるくる回って考えて、時間を潰すことができる。根どころか頭のてっぺんまで暗いと自覚したのはつい最近の事である。
「メールが独り言みたい」
メールなのは、私がガラケーしか使わずメッセージアプリのようなものを一切使用しないからである。私の文章は、そう読める、らしい。商業的な、金の絡む文章では意識的に読者を想定して書くようにしているが(それでも独特の風味がすごいと言われた。内因気質の根の深さに参る)、私的な文章ではとにかく頭の中のワードプロセッサに浮かんだことをかちかち打っているから、独り言と言われればそうなのかもしれない。私が日常生活の中で発語する9割は独り言である。一人で楽しくお話しできる。傍から見なくても危険人物っぽい。奇声を上げるのも得意である。喉仏がぐりぐり動く。色んな声が出せるが、役に立ったことがない。
なお、上記2つは同じやつに言われた。
「夫としてはいやだけど、一緒に子育てするパパとしてはいいと思う」
意味:生物種のオスとしては願い下げだが、その知能だけうちの子供に役立てろ。
到底まともとは言えない性格に鑑みれば、賢明な判断だと思う。ただ、それだと私がただの家付き家庭教師みたいになるではないか。勉強くらいしかまともにできなかったら、そして性格面が終わっていたら、女子にこう言われる。まっとうではある。遠回しに、連れ子のいる女性を幸せにできそう、とのお褒めに与ったのかもしれない。
これも、言われた当初は何も思わなかったが、大学のサークル室で突然思い出し、去勢した方がいいのかと真剣に考えた。
発言主の同級生には、特にこれと言った悪感情は抱いていない。
上記全ての発言は、女子に言われた。男に言われたことはあまり覚えていない。