おはよ~。
実は、まだ茄子を調理するのを忘れていてだな。皮がちょっと黄色くなってきているんだ。キッチンに立った瞬間に脳味噌がオートメーションモードに切り替わるの、どうにかした方がいいかもしんない。
いくつか書き忘れていたことがあったはずだけど、時間が経つとどうでもよくなっちゃうな。大体がそうかもしれんけど、覚えておきたいこともあるんやで。何を覚えておきたかったのかは分からんし、忘れたいことほど記憶から落ちないもんだ。
一昨日、何を思ったのかYouTubeで人間椅子を聴いた。よく分からんけど。でも、久しぶりにちょっと「おっ」って思ったよ。『りんごの泪』はすごく和のTOOLって感じがしていい。這うような重低音って、こういうことなんかな。詳しくはないから知らんけど。
譲歩し過ぎだな。譲歩文が好きな自覚はあるが、理由ははっきりしてない。
一昨日の晩飯を思い出した。水入れてレンジで3分チンしたお粥に、インスタント味噌汁の調味味噌と揚げ茄子の実、それだけじゃ味が薄かったのでマツタケのお吸い物(茶色いお椀が書いてあるアレ)を入れて、適当に混ぜて食べたんだった。これ以上ないくらいに終わった味がしたので、もう二度とやらないと心に誓った。ただ食材を切って炒めて調味料をかける手間を加えるだけで、随分と違うものだ。生きる力がなくならないように、自分で飯は作らなければいけない。最近スープ作ってないな。チーズを入れにくいからかもしれない。なんかでっかい個人的な記念日でもあれば、鍋に大量に買ってきたチーズぶち込んでチーズフォンデュでもやればいいのかもしれないけど、鍋に焦げ付いたチーズの後処理の面倒さが既に容易に想像できて、やる気を失わせる。琺瑯の鍋とかでやれば大丈夫なのかな。でも、そこまでしてチーズが絶対に何としてでも断固食べたいのです絶対に譲れませんというほどではないし。胃袋にくるし。一つまみ半くらい乗せるのが丁度いいよ。
キルドヤのおすすめシナリオを載せるぞ~とか言ってたけど、完全に忘れていた。もう文章書いてるのに。需要あんのかな、と思って渋っている。話は変わるが、キルドヤ公式のデスマーチプレイ実況は、まあ、それなりに有用だから暇な人は見てみればいいと思う。最近までゲーム実況の何が面白いのかさっぱり分からんかったが、あれは「やってる人の反応」を楽しむものであって、「人がやってる」事を楽しむものではないんだね。プロゲーマーがやってるとまた話は違うけど。パロディの元ネタ解説とか制作裏話とかがちょこちょこ挟まれているので、私みたいな無益至上主義者は楽しいだろう。
あのゲームは、インフルエンザを押してまで作られているらしい。
休むべき時に休めるような社会が、いつ実現するんでしょうか。
偉そうな提起をしたところで、さいなら。(小さな敬礼)