他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

筋を通すために道理は道を開けなさい

中学だか高校だかの音楽の時間で、『エーデルワイス』という素敵極まりない曲を、リコーダーで吹いたか歌ったかした記憶が間違いなくあって、ずっとエーデルワイスという、それ以上分解しようもない厳然とした固有名詞か何かと思っていたのだが、ドイツ語をちらちら見ていると、頭の中で「edelweiss」という綴りが閃いた。最後のエス・ツェットはタイプの仕方が分からないのでここでは誤魔化す。エーデルとワイスだったのだ。edel"高貴な"weiss"白"である。あの曲調を高貴高級と言われると、確かに垢にまみれた手で触ってはいけないような、ある種の無垢さを讃えている。同語反復みたいになったな。ともかく、意味の上ではそのような分解操作を許す構造だと分かったので、つっかえていたとは知らなかった胸のつっかえが一つ取れた気分である。さらに言えば、画像検索によればエーデルワイスという花、らしい。検索エンジンが寄越した画像が、画面一面たまたまそうだっただけかもしれないが、微塵も可愛らしさのない花だった。ぜんっぜん可愛くない。白く固着したアメーバみたいだ。曲から受けるイメージとは全く異なる実態だったので、正体を検索するのは控えて、頭の中で勝手な像を結んだままにしておきたかった気がする。しかし、鱒寿司をぺろりぺろりと剥いでいくように、思い込みの皮を丁寧に剥いでいく事が生きるという事なのかもしれないので、もしかするとかなり生物らしい行動が叶ったのかもしれなかった。昨日はコメダ珈琲の雰囲気に当てられて、自分の中に生じた衝動とその火花をカツパンの下に押し込めたが、一夜明けて思い返してもやはり妥当で適っていると思うので書き残しておくと、コメダ珈琲はコーヒー等のドリンクを注文する時、ベット100円を上乗せすると「たっぷりサイズ」なる特典に与れるらしいのだが、この「たっぷり」という字面を見た時、見た瞬間、私の頭の中に一閃閃いたのは、「えっ、たっぷり種付けじゃないのか」だった。大変次元の低い脳味噌をしているが、たっぷりミルクコーヒーなどの文字列に目線が下るその前に、2つある眼球が「たっぷり種付け」を空目した。空目して、その事実を自覚して、ちょっと周りを見回して、この頭の中にある考えが周囲に漏れ出していないか思わず確認するほどにその虚妄は現実にあった。もう一度メニューに視線を戻すと、そこには普通の、シロノワールセットの案内が横たわっているだけだった。