他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

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一日中、降ったり止んだり、晴れたり曇ったり忙しい空模様だった。晴れてるから大丈夫かと思って、郵便局に行ったりスーパーに行ったりしたら、帰りで空の様子がウルトラQのOPくらいぐにゃぐにゃと変化して、垂れてこぼれるだけに見えた様子が一瞬にして水道栓全開のシャワーみたくなった。ざー、とか、ざばー、とか、もはや擬音で表せる振り様ではない。雨が走るようだった。白く蹴立てた跡が、向こうの方まで走り去っていく、あの様子はまさに。傘なんてほとんど意味をなさず、下半身はびっちゃんこになり、抱えていたカバンは大変なことになり、一本物の骨組みがちゃんとした傘でなければ吹き飛んでいたであろう突風もままあった。そこここの軒下に雨宿りする人がいて、傘を持っていようが持っていまいが例外ではなかったが、早く帰りたかったし、雨が走る様子を足並みを揃えて見ていたいなと思って気にせず歩いた。濡れても構わなければ、大雨の中を歩くのは好きである。足元が、本日はゴムのつっかけだったので、そこは少し残念だったが、これはこれで童心に帰った気がして悪くないものである。一瞬晴れたからといって、洗濯物を干して出てこずに本当によかったと思った。直前に、郵便局へ大量のダンボールを持ち込み、受け切れる容量を超過していたので、台車で持って帰っている人が、吹きっ晒しで雨に濡れているのを見た。ダンボールが濡れみずくになって、抜けてしまわないか心配だった。雪見だいふくの見慣れない味が安かったので買った。雪見だいふくは、カントリーマアムと同じくらいちっちゃくなってしまった。ドラえもん型の入れ物がもらえるキャンペーンか何かのCMがあったなとぼんやり覚えているのだが、あれは何年くらいの話だ。一番古い家に住んでいた時くらいの記憶かもしれない。あの家は、物心つくかつかないかくらいの頃に越してしまったから、ぼんやりと、真かどうか定かでない記憶の断片しか残っていないのだけど、今、思い出そうとしてみると、父方のひいじいちゃん、今は父方の祖父の家から見える景色と、ほとんど同じ眺めが前に広がっていたのだと気付いた。山肌が目の前に広がって、森の切れ端がちょこんと上に乗っているような。昔の話は、父母の中が最悪オブ最悪なので聞くに聞けないのだが、もしかすると、そこまで袂を分かっていなかった頃、親父の希望で、あそこの家に決まったのかもしれない。じいちゃんっ子だったらしいし。妙な事を思い出したな。