他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

芋虫のような指

遠藤周作『海と毒薬』を読み終わった。タイトルから勝手に想像していた筋書きとは全く違って、構成も全然違って、無意識のうちに自分が抱いているイメージを絶えず捨て去る作業が付いて回った。で。講談社文庫版を読んだのだが、これは解説がよかった。遠藤周作が書いているのは、神を持たない日本人、解説者に言わせれば良心を持たない日本人である、という。内なる、プライマリな行動尺度(これが神、つまり宗教)があって、それが規定するところの良い行い、それがあって始めて良心という心の働きがありうるのであって、その根っこの部分の物差しを持たない日本人は、そもそも良心というものを持ち得ないのではないか、と。これが大変頭の中に波紋を起こした指摘だった。完全にではないが、私の心の中の働きをすとんと説明されきってしまったような気がした。良心は、反省にも繋がるものだと私は思うのだが、これを読んで、いくつかの事に納得してしまった。反省すれば、行動が改まる確率が上がるのだ。良心の制動があれば、逸脱は減るのである。私が、少なくとも日本の、ぬべぬべした色んなものの動きを見ている時に感じる、透明で絡まったもにゃもにゃしたものは、もしかしてこの小さい文庫本一冊で説明されてしまった気がする。私は今、戸田であり、手術室の壁にもたれてただ一部始終を見ているだけの勝呂なのかもしれない。というか、そうだ。海と毒薬が、規模の大小を変えて、そこここで起こっているのだと思った。では、どうすればよかったのか、どうすればいいのか。その問いに答えるための基盤が、一枚岩が、ないのだ。だから、反省がなくって、改善がなくって、流水量の少ない用水路みたいに、ずるずる運ばれていくだけなのだ。一から自ら作り上げ、しかもそれが共通水準でないのである。そんな手間が、それほどまでの労力をしてまだ本題が始まっていない。ずるずる流す方について、武田砂鉄や小田嶋隆は、よく食らいついて書いているなという発見があった。まさか、取り戻すのではなく、そもそも取った事がなかったとは。