他愛がない

めぞうなぎと申します。文字の話です。日記が置いてあります。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

堕とすにはまず胃袋から

ストレスが溜まると、例外なく自傷欲に向かうのだが、痛いのも苦しいのも嫌だし、毎日「明日起きる時には水蒸気になって霧散してないかなぁ」と思う程度に行動力がとろけてどこかに家出してしまったので、身体に悪そうな感じを抱いている食べ物を摂取する事にしている。髪の毛を切らずに伸ばすのも、結局誰にも言えず仕舞いではあったが私としては自傷行為の一種だったのだけれど、風呂上がりにぴちゃぴちゃ落ちてきて迷惑と思う程度の方が上回るので、オススメしない。この自称自傷行為であるところのアンヘルシー食運動は、ヤケ食いではない。ヤケ食いは、なんでヤケ食いするんだろう? 何かしらの説明を加えようとして、何も出てこない。忘れたい事とかあって、それに意識が向かうのを、食べるという行為への注力と、質の悪い満腹感で誤魔化すためにヤケ食いをするのだろうか。ヤケ酒も私はできない。酒が飲めないからである。飲めないので自分の限界が分からないし知らないし、一人で加減を間違えてぶっ倒れそのままお陀仏するのみ嫌だし、翌日以降数日に渡って後遺症を残すのも嫌である。後腐れなく、その場こっきりで通過する苦しみが欲しいのだ。ヤケ食いは、そうだ、身体に悪そうなものを選択的摂取しているわけでは必ずしもないだろう。バァムクゥヘンが好きな人はバァムクゥヘンだけをしこたま食べるだろうし、焼き鳥が好きな人ならひたすらに焼き鳥を食べるだろう。焼き鳥は自傷食に向いている気がする。ただただ鶏皮とボンジリ、トントロ串をルーティンしていれば、油と脂で内臓から不快感が押し上がってくるだろう。油脂からくる身体的・心的不快感と、その曳く尾の長さは極めてダメージが大きい。1日限りの享楽的(退廃的)気分が共に盛り上がっていなければ、そこまで痛めつけることは難しい。油を摂取し続けるというのは、それなりの意思の強度を伴う。意思が弱っているからそちらに逃げているのに、その逃げた先でもまた違う形で逃避対象を要求されるとは非情この上ないが、それはそれ、自分で選んだ道なのであるから黙して拝して受けなければならない。昨日は、モスバーガーで内臓をボコボコにしようかと思って店頭のメニューを見てみたのだけれど、どれも小綺麗でスマートで、刃がボロボロになった彫刻刀みたいなものがなかった。そもそも、ドリンクのデフォルト選択肢から品がよい。これではならぬと、帰路を引き返してマクドナルドを探しえびフィレオをポテトLと爽健美茶を以ってして流し込んだものの、そのあまりにも雑な満足感ゆえに、欲求の充足たりえなかった。ただ、謳い文句と値段の割に極めて微妙なバーガーへの言い知れぬ不信感と、塩の粒が指先に残っただけだった。