他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

唾液の嚥下にさえ痛みを伴うともなると

昨日から扁桃体と関節、節々が痛くって、これすわどういう事だろうかと頭をひねる前に、きっと風邪の初期症状みたいなものだろうと結論づけた。昨日の夜寝る時、厳密には家に帰る前から、これぞ「ザ・しんどさ」とでも言うべき倦怠感に身体を冒されており、あまりにも元気パワー(そんなパラメータはない)が足りないので、日が変わる前に就寝したという、個人的には非常に珍しい体調不良の今日この頃である。おそらく、人情などカケラも感じない一連の暑さと、それから逃れるための手段であるところのクーラーが誘発する空気の乾燥が招いた喉の乾燥がトリガーとなって、風邪っぽい状態になっているのだろう。意地でも、舌を噛んででも「私は夏バテでぐったりしています」とは言わない。夏バテというワードが持つ語感のダサさがいささかならず気に食わないからである。夏バテめ、夏に見られる諸症状をまとめて形容する便利な言葉として至る所で用いられおってからに、その天狗がごとく伸びた鼻を叩き折ってくれよう! お前なんか、『なつバテっ!』と表記して、ポップなラノベかよく分からんふわふわした漫画みたいな捉え方をしてやる。なんでもかんでも、4文字の言葉が当てはめられている大体の物事は、ひらがなとカタカナに置き換えてみると一瞬「おっ、もしかしてこいつ可愛いんじゃないか?」という感覚を誘発できる傾向があると思う。「げりべんっ!」とか、「としゃぶつっ!」とか、「ごうかんっ!」とか、そういう事である。お下劣な例が多い気がするのは、気のせいだと思いたい自分とそうでもない自分がいて、まあどっちでもいいやと思うので両者仲良く隣り合って椅子に座っておいてもらおう。なお、床に就いたのは日が変わる前だが、「このままだとアタイ、クーラーにダメにされてしまうわ、この人から自立しないと……!」なる危機感を抱いてクーラーをつけずに眠ろうと必死に努めたため、汗みずくになり寝返り大リーガーになりつつも一向に寝られず、結局27時くらいに寝たような寝ていないような、そんな感じになってしまった。でろでろの汗をかいたため、枕もシーツもパジャマも全部洗濯してやった。が、枕カバーを物干し竿に掛け忘れているのに、さっき気が付いた。くんくんしてみると、生臭さはないものの、しっかりした洗剤の匂いが鼻孔をくすぐった。臭くないならいいのである。大家さんに帰省のお土産をお渡ししたところ、買い物して家に帰るとビニール袋が戸口にかけてあり、靴下とハンドタオルが中に入っていた。お礼のようである。恐縮だ。アパレルには全く明るくないのだけれど、POLOっていいブランドなのかな? 荷造りがあるので失礼しますね。

おろろろろ

書いている現在(19:00)、くっそ乗り物酔いしている。超絶高速でかっ飛ばす乗り物の中で、書き物をしたりキーボードを打ったり書面の体裁を一心不乱に整えていたりするからである。自業自得と言わずに、なんと言おうか。気分を散らすために(気分を晴らす、気晴らし、憂さ晴らし、などとは言うが、「気分を散らす」というワーディングで伝えたいニュアンスのまま伝達されるだろうか。現実逃避ともまた違う、意識の焦点を意識して(重複!)ぼかす作業なのだけれど)寝たり目を瞑ったりリラックスした姿勢になったりしているが、一向に効果の「こ」の字も現れない。鐚一文(こういう時に使っていいのかな?)効果なしである。ひこうタイプのポケモンにじめんタイプのわざをぶつけた時くらい、暖簾に腕押しで、内心「うぉえっ、おえっ、うぇぇぇぇぇぇぇ」くらいにげっそりしている。それほどまでに弱体化しながらもキーボードに向かってしまうこの姿勢、美しきかな! 美しいのかな。大人しくしていればいいと思うけれど。さっき喫煙室から出てきたばかりの男性が近くを通り過ぎたので、吐くに拍車(瀉)がかかった。泣きっ面に蜂、ケムに巻いて簀巻きで川に遺棄。うっえええええ。こうしてパワプロで言う紫くらいの体調で乗っていると、この乗り物はこんなにも速かっただろうかと訝しんでしまうほどに速いと思われてくる。景色がぎゅんぎゅんと後方に引き伸ばされていき、その速度の割には揺れが少ない気がする。多少は揺れる。物理法則という、切っても切り離せない比翼連理でラブミーテンダーな相方がいるからだ。科学、科学、科学の進歩を体内からの溯逆で感じる。ああ、くそ、早く目的地に着いてくれ。着いてくれないかとは思うものの、よく考えるとデスティネイションは暑くて天候が荒れている可能性があるので(天気予報を見ていなかった。出たとこ勝負である)、着かなくても、着かない方がいいのかしらと考えてしまい、そんな事があるか、まずはその移動手段から身を下ろし、横になって安静でぐったりしているのが正解だろうとぐるぐるする。うっええええ。隣席の乗客が、席を外すにしては割合長時間席を空けていたので、そしてシートにいくばくかの荷物、なぜか不透明のビニールに入って中身が窺い知れないアイテムを放置したままにしていたので、俺はもしかしてテロリストに横に座られ、今まさに爆弾サマと貴重な同席体験をしているのではないかとハラハラし、あと少しでも席に帰ってこなかったら乗務員を呼んでこの荷物を回収してもらおうとまで妄想が進んだが、普通に帰ってきて普通の人だったので胸を撫で下している(色んな意味で)。ビニールの中身は美味しそうと言っておいたほうがいいのだろう、美味しそうな駅弁だったようだ。正直、現在のコンディションで食べ物のスメルが空気中に漂うのはポイズンガス以外の何物でもないのだが、他人の幸福を妨げる権利は何人にもなかったはずなので、生物としての喜びを噛み締めてほしいものである。ぎゅっとね。

filled with material

実家のエアコンがぶっ壊れている。しばらく時間が経つとフィルターランプが点灯して、全く空気を吐かなくなるか、けったいなぬるい空気がゆるゆると排出される、そんな感じだ。この気候でエアコンの取り付け工事は予定パンッパンで死ぬほど忙しいようだけれど、父が実家に「まだ」存在していた頃に勝手に設置した隣室のエアコンは使用期間が短く健在なため、ドアを開け放して2室連結して空調を効かせている。夜など、弟の体温がアホみたいに高く、横に寝ていると寝られたものではないので、クーラーが必須である。扇風機もあるが、扇風機は要するに送風機なので、送る空気がぬるければこちらの肌に触れる空気もぬるいのである。優しくなければ優しくできないのと一緒である。……。適当に言ったので、一緒かどうかは定かではないけれども、優しければ優しくできそうなのは事実である。今日はポケモンの映画を見て来た。年々タイトルに伝説のポケモンの名前が入らなくなり、なぜか昔の伝説のポケモンが無理やり登場し、新しい劇場版のためにむりやり新規の伝説のポケモンをひねり出すので、ちょっとしんどいのではないかなという感じのするポケモン映画であるが、今年のはまあまあ楽しんで観ることができた。横に弟がいたので口が裂けても口にはしなかったが、ロリコンにはなかなか響くキャラが2人くらいいたのである。ラルゴという名前を聴き取って頭の中で文字に変換した瞬間に、「ラルゴのヴァルゴ!!!!」と絶叫したのは、表に出してはいないので私以外知る由も無い。知らないでいてほしい。ヴァルゴは、確か子宮口とかそんな意味だったと思う。JS3とか4とか多分そんななので、到達するのはそれほど難しくないと思うのだ。まあ、私が思いつくくらいであるから、現世に住む薄い本作家諸兄の多くがこのワーディングに行き着いているはずであって、これから市場に出回る薄い本のタイトルにラルゴのヴァルゴが3冊くらいは含まれていてほしいと願ってしまうのは、脳味噌の思考基本回路がエロ漫画方面に偏ってしまっているせいだろうか。リサも可愛かったと思うよ。ああいうタイプ好きだもの。だから、そう、子供達が純真な気持ちで(大人が子供達に純真な気持ちを想定するのはある意味暴力だと思うのだけれど)スクリーンに目を取られている間、私は必死に「エッチだ……すごいエッチだ……この構図とかすごい股間にくる……エッチ……しんどい……」と堪えていた。久しぶりに見るルギアは、とても肉厚だった。

納豆にメンマを入れて食べたら飲み屋みたいな味がした。

美川ムーバレーに行った。何処か知らない面々は、この施設について調べておくと同時に、「♪みかわ むばれ みかわ むばれ」(うほうほ調)という中々耳に染み付いて離れないタイプのCMも観ておく事をオススメする。オススメしたかったのだが、昔から登場していた納豆原人みたいなキャラクター(CMを観れば分かって見てもらえると思う。美川ムーバレーは、施設側の言い分としては、『地底王国』らしいので、正確を期するなら納豆地底人だろうか)は現地ではなりを潜め、今やイラストを勉強し始めて3年目みたいなアニメ調キャラクター(薄い本的要素を内包する♀含む)が席巻していた。あの土臭い色味がどこかへ行ってしまったのは、大変悲しいことである。そもそもがクッソ辺鄙な場所に位置しているのだから、いらんところで背伸びして客寄せを図らずに、オリジナルの味を前面にゴリッゴリに押し出して欲しかったのだ。まあ、経営状態に一切噛んでいない私がなんやかんや言うのはやめよう。とにかく、機会さえあれば一度行ってみればいい。この暑い季節、探索洞窟の入り口に立った瞬間に、「さっむ」と思うはずである。めっちゃくちゃに寒かった。夏だぞ。夏。洞窟の中は絶えず、やむことなく真摯に寒く、特に謎の扉が存するエリアはトップクラスに寒かった。湿度があまりに高く、天井から壁から床からびっちゃびっちゃ水滴が染み出していた。室内滝にしては規格外にデカい(自然のものらしいが)滝もあり、その周辺は随一にずぶしとだった。ずぶしとというのは、ずぶずぶとしとしとが超絶合体造語である。人生で経験した中でトップクラスに空気がずぶ濡れだった。何年前に行ったのだか忘れてしまったが、昔は入り口で金属板を手渡されてそれを色んなところに当てはめながら手がかりを集めていくシステムだったと思うのだが、今は全く初見のラノベワード満載の冊子を渡されて、えっちらおっちらあらすじをつかんだらひたすら足で手がかりを集める探偵養成所みたいな制度になっていた。上級者コースに挑んだわけだが、まさかの「スカへのミスリーディング」さえあり、生半可な気持ちで一番上の難易度に殴り込むものではないな、と思った。上級は煩瑣すぎて途中でめんどくさくなる。そして、他に挑戦している人と導線がかぶるとネタバレを食らいそうになるので、そこにも気を配らなければならない。暗い。んで、寒い。本当に寒い。洞窟から出た直後の空気の重みは、この季節に味わうものではなかった。帰りに銭湯に寄った。まさかのゴーヤの湯があり、青臭かったけれど、ずっと浸かっていた。

ババラッチ

大腸カメラ検査の日だった。朝から絶食し、2リットルくらいある腸管洗浄液を飲み干した。輸血や点滴のパックを、そのまま巨大にしてペットボトルの飲み口をつけたようなものだとイメージすればよろしい。事前に説明を受けていた通り、ほぼまんまスポーツドリンクの味だった。とは言うものの、味を誤魔化されたところで、私もいい大人なので、「どんな味がしようとも、俺は今下剤をばかすか飲んでいるんだよな……」と意識してしまうと、そのほのかな甘みでさえもはかとなく排気を促すものになる。「腸管洗浄液」とは本当によく言ったもので、どういう原理でそうなるのかさっぱり分からんのだが、飲み干した分が「肛門から」じゃばじゃば出てきた。人生で初めて経験したが、尿道を経由するのと同じ程度、肛門からも水分はじゃばじゃば出るのである。部屋の中をうろうろ歩き回って腸の運動を活性化させながら、次々と訪れる便意に屈してトイレに引きこもっていた。洗浄液とは、何度でも言いたくなるほどに、全くよく言ったものである。回数を重ねるごとに「便カス」(検査説明書にそう書いてあった。人によってはめちゃくちゃに出るらしい。私はそれほど出なかった)が少なくなっていくのが面白かった……と言いたいところだが、前日から大したものを口にしていなかった事に加えひたすらに水分を絞り出す試練に身体がすっかり参ってしまい、検査を受ける前からぐったりしていた。思うところも腹蔵もあるが(出したが)、身体が中から綺麗になるのは気持ちがいい事は間違いない。今まで生きてきた中で、最もアナルファックに向けて身体が準備できていた日だったと思う。検査の前に、なんか正体の分からない薬剤を点滴したし。「これ何の薬ですか?」と聞いても、どういうわけか要領を得た返答を得られなかった。検査着は、着衣でカメラを挿入できるように尻の部分にスリットが入った、極めてエロ漫画的な服装だった。体側で寝転がって、ジェルをぶち込まれて、カメラをぶち込まれた。腸のまっすぐな部分にカメラが侵入するのは特段苦痛でもなんでもないのだが、腸が湾曲する部分にカメラが滑り込む過程は痛かった。「いって」という感じではなく、「う"っ……あ"っ……」と呻くしかない痛みだった。女の子の身体になる事は多分ないと思うので(メスイキは覚えるかもしれないが)こういう事を思うのは的外れだったのかもしれないが、「そりゃ異物挿入は辛いよな……女の子はもっと太いのが入るんだもんな……優しくしても何も変わんねえよ……」と思いながら耐えていた。痛くなくなる薬を打たれていたと思うのだが。自分の腸壁を生まれて初めて見たけれど、エロ漫画的に有機的だった。生々しかった。とても。検査結果としては、害のない痔の一種だったので、差し障りがなくてよかった。検査のせいで下半身がずっくりと重い。だるい。

液状のものしか食べられないので

恐ろしいほどに湿気が身の回りに常駐した日だった。幸い、台風は中国地方を何事もなく、事前に気を立てていた割には本当にあっけなく、通過して行った。一瞬霧雨が降ったり曇ったりはあったが、災禍らしきものは感じなかった。湿気はすごかった。こんなに天気が微妙だったら、皆屋内型の施設に行ったのではなかったか。家族と一緒に『未来のミライ』を観てきた。観てきた。結果としては、やりたい事をやりまくった事、それと合わせて映像表現的には面白い点がいくつもあったのだけれど、設定や話の運びに「???」となるものがいくつもあったので、全体として消化できていない感じが強い。テレビCMは観ていたが、あれから受けるイメージを携えて劇場に行くとまず間違いなく、ぶつかろうと近づいて行った相手が思いの外遠く肩透かしになる結末を迎えると思うので、何も考えずスクリーンの前に座るのがいいのではなかろうか。私は、極めて個人的な意見としては、「こんなもん観てしまったちびっこがおねショタに目覚めたらどうしよう」「細かい点が分かんね〜」の2つである。エンドロールが終わるまで席に座っている派だけれど、カラーズとシャフトの名前をそれらの中に見つけ、やたらアクの強い表現が散見されるなと思ったらそういうことだったのかと合点がいった。あそことか、あそことかな。面白くないわけではないのだが、手放しに賞賛できるほどソツがないわけでもない。もう少し設定を身近に引き寄せて、表現に走り過ぎない方がすんなり飲み込めるものになったんじゃないかなと思うが、そこは個々人が抱く範疇なので、あとは諸兄の所感にお任せする。んで、大腸カメラ検査が明日に控えているので、21時に下剤を2本飲んだのだが、今の所全く便がコンニチワする気配がない。胃の中で微かな騒憂の気配が渦を巻きつつあるのはうっすら感じるのだけれど、「便器、君がいなければ僕は生きていけないんだハニー!」という状態にはなっていない。現状はこれでもいいのかもしれないが、明朝には2Lにも及ぶ大量の下剤を飲み干さねばならない私の身、もう少し局地的な意見を述べれば私の肛門を労り、今夜のうちにうんこデブリをなるべく少なくしておいて欲しいのだが、もしかして下剤が効きにくい体質だったりするのだろうか。万が一「出ません」という事になれば、病院に早めに足を運んで浣腸をぶっこまれなければならないので、できればそのような事態は避けたい。今のうちから、看護師さんに肛門をいじくりまわされる趣向を楽しめるようになるのは少し早いと思うのだ。

パンマン

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今日スーパーで見かけたパンだ。ガラケーのカメラで撮ったので、前時代的な画質でお楽しみいただきたい。というか、私は画質やらそこらに大した教養がないので、味がある白味が入ったなとしか思っていないので、撮影者の意図をそういう風に感じていただきたい。塩なんとかかんとかパンだった。忘れてしまった。で、なにゆえにこのパンのスナップショットを持ってきたのかというと、こいつらの形が「女陰」に似ているなと思ったからである。こう、陰核があって、大陰唇がぺろりと広がっていて、膣口が見える。そのように見えるのである。これがいくつもいくつもいくつもいくつも陳列されているものだから、「ヤダ、ちょっと、恥ずかし……///」という心境になったのは秘密である。しー、ね。しー。分かった? 一番よく映っているパンはモリマンですね。それの右はそうでもないですけれど。今日は朝から、これまた別のところに帰省していた。因縁があるといえばないし、ないといえばある、私の中で咀嚼し切れていない関係性が存在するところである。毎回毎回屈託無く受け入れてくれるが、やはり心の中で居心地悪く悶絶している小さな私がいる。この禍根を根絶する事はよほどの事がない限りありえないのだが、話を伝え聞く限りではその「よほどの事」は滅多な事があっても巡ってきてくれそうにないので、これは向こうずっと背負わなければならないきまり悪さなのだろう。全くそいつについて話を聞かない人間でも、私の知らないところでとにかく生きてはいるんだな、という当たり前の事を感じた。隣戸に、上の階に、目の前の家に、住んでいる人の事を、生活音と夜の点灯と飯の香りでしか知らないけれど、そして向こうもきっとそうなのだろうけれど、知らなくても知られていなくても、のうのうとは言わないが、生きてはいるのだなと思った。犯罪者の親が犯罪者とはおおよその場合限らないが、そう思いたくなる立場の人も少なからず無視できない様相で存在するというのは、ちまちま折に触れて分からされる噛み潰せない事実である。今べったべたに懐いてくる者であっても、オセロであっという間に局面がひっくり返るように、手の平を返したように、離れていく時が来るのかもしれないと思いながら相手をすると、拭いがたい、気持ちよさとほぼ座標を同じくした別の後ろ向きな感情が顔を出す。豪雨の跡を強く残す路傍をさんざ見たけれど、台風よ、お前は本当に来るのか? ぶぶ漬けでも食え。

虚体

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かっこいい。かっこいくない? 語彙を放棄してもいい時期を逃すといつでも変なポーズをとりたくなるので、たまにやってくるこのチャンスをしっかり生かしておくと、かあっこいいなああああああ。死ぬほどかあっこいいなああああああ。また変なツボばっかり突いてくるなあ……。ゴッテゴテに盛りまくったガラケーを振り回すギャルヤマンパに追いかけ回されている時くらい興奮する。身体中がうずうずしてこの衝動を言語に落とし込めない。我慢できずに字幕を探したら普通に当ててあった。どうせなら動画に入れておいてくれてもいいと思うが、まあそれはともかく。今回の歌詞もバッキバキに素晴らしい。譜割が気持ち悪い。鬱Pとマキシマムザ亮君の歌詞に対するスタンスは近いものがあると思っていて、鬱Pが自信満々で書き上げた歌詞を曲と一緒に見せないなんてありえないだろうと思ったので、あってよかった。サビ最後の歌詞が鬱Pらしい。かなり無理な現実的状況のスケジュールの中で仕上げたMVらしいが、これはとてもいいな。今度人が集っている場所の中でひたすら作業し続ける予定があるので、その最中に爆音で流し続けよう。少し前にタワレコで『デザインEP』は予約してきたが、リードトラックがこれなら、もう勝ち確定だろう。隅から隅まで鬱Pのアクでぎっとぎとに違いない。今から楽しみでやれない。ずっとこんなんか。うふふふふふ。ふへへへへへへ。湧き上がる幸福が表情筋を緩ませる。楽しみだな〜。喜んで疲れたので普通の話に戻る。台風が来ている。らしい。実際に上陸されないと実際の行路が分からないのが実に自然現象っぽいが、進路がこれまたひねくれている。斜め右下から来て左の方へと消えていくルートのようだ。弟がずっとパワプロゲームボーイのやつ)をいじっているのでなんかの変化球のようだと思った。雨が降ったと思ったら暴風雨というわけで、自然というやつは本当に摂理なのだ。それはそれとして、しかし、西日本に今直撃するのは全く優しくない。起き上がりかけた肩を掴んで後ろにひっころばせるみたいなものだ。水に流れて水に乗って流れてくるのでは意味がない。台風ね。何回か言っているけれど、ToLoveる1巻最後でララが「台風のバカーーー!!」と言って台風が消し飛ぶエピソード、ああいうのが現実にありえたりしないかな、とか。ケロロ軍曹10周年記念劇場版をテレビで観ていたので、タママインパクトみたいなもので立ち消えになったりしないかな、とか。降っても涼しくなるわけじゃないし。空気を読めよと思うが、そういえば台風って空気じゃないか。えーっと。……。ご自愛ください?

暦の上の赤い丸

特に記憶がない一日である。帰省の最中だが、母に「残りはこんなスケジュールでどうや」と提案され、一向に付す間も無く「まあええんちゃうんか」と答えた。答えたので、大体の過ごし方スケジュールが決まってしまった。何事にも大した予定を設けずに惰性でだらだら過ごし、しかし締切だけは絶対に破らないようなスタンスを取っている私としては、前もってする事が策定されている状態というのはかなり居心地が悪い。だらだらというか、現状を形容する言葉を「虚脱」しか持たないため、この空っぽな状態で、実は結構深刻な締切に対してほとんど有効なアクションを依然として起こしていないのだけれど、まあどうせ最後数日でどうにか帳尻を合わせるのではないかと思いたくて思ってしまっているので、きっとどうにかするのであろう。どうにかしてほしい。この件に関しては、私が人生で首を突っ込んだ案件にしては珍しく深刻な余波が及びうるポテンシャルを秘めている。ヘラヘラ笑って済む問題では、残念ながらないのだ。それにしてもまだ揃っていないものがあったりなかったりするので、なかなか腰を浮かそうという気分にならないのもまた事実だったりする。事実は強い。私の好きな言葉の一つに「既成事実」がある。よく「既成事実欲しいな〜」と独り言を呟いているのだが、これにはさしたる理由はない。「なんとなくエロいから」である。なんとなくとはぼかしたが、比較的生々しい行為の結果まで妄想した末になんとなくエロいと思っているので、意図的に残した余白については思慮を及ぼしていただきたい。いいな〜。既成事実欲しいな〜。俺の与り知らないところで勝手に既成事実が形成されていて、取り返しがつかなくなったところで明かされたいな〜。既成事実欲しいな〜。それくらい暴力的な現実に、「さあ行け」と背中を押し倒されたい。もう逃げられないから、もう逃がさないから、もう逃げないから。ふふふふふふふふふふふ。今年のクリスマスプレゼントには、既成事実をお願いしてみようと思います。さすがのサンタクロース様であらせられても、子供には既成事実を配ってはいないでしょう。子供に配り切れなかった、袋の中に残った夢の絞り滓。どうか私に恵んではくれませんか。既成事実。壁にだらりと垂れた大きな靴下って、よく考えたら、ほら、使用済みのコンドームみたいではありませんか? その中に、障壁を超えて至った結果の結実を、入れといてくれてもいいじゃないですか? 

クーラーも、夏バテ。

今日の表題は、晩御飯を食べながら唐突に思いついたものである。夏の暑さが今年は特に「殺人的」だともっぱらの噂である。それと、実家のクーラーがそろそろ壊れかけていて、機械さえもこの熱気にやられてしまったのではないかしらんという懸念が含まれている。ちょっとだけ。ちょっとだけである。あんまり偉そうな事を大上段に語るほど器の大きな人間ではないのだ、私は。うまくまとまったキャッチコピーを見ると胸の内から湧き上がる嬉しさがあるが、それと正反対に、どうしてそのコピーが会議で通ったのか全く理解が及ばない「???」なものもままある。ごろごろ転がっていて、そういうものを目にするたびに「こういうのを書くような人間にはなるまい」と反面教師とさせていただき申し上げているのだけれど、今日見たものは最近発見した中でもどん底ナンバー1、2を争うほどにダサいものであった。トヨタカローラディーラーに、でっかいバナーがかかっていたのだが、it says、「Vellfire or Not.」だった。……。……。……? は? 折角ヴェルファイアという高級車を扱っておきながら、この処遇はないだろう、と思った。添えられていた副文は、「圧倒するか、圧倒されるか。」だった。こちらも相当「???」なものである。別にヴェルファイアがなくてもベンツとかがある。ヴェルファイアロールスロイスがステゴロで喧嘩したら、間違いなくロールスロイスが勝つだろう。「AとA以外」という選択肢を立てるほど独立独歩のブランドを確立しているわけでもないし、ヴェルファイアを購入する甲斐性があるからといってコミュニティの王になれるわけではない。強いのは事実だけれども、それはあくまで地方予選の話であって、全国大会の話ではないだろうという事だ。とっても突っかかりたくなるコピーだった。で、これはまったく別の話だが、母から「女性の結婚可能年齢が16歳から18歳に引き上げられる」という未来を聞いた。それを聞いた瞬間、私の頭の中をある考えがでんこうせっかピカチュウのように駆け抜けた。エロ漫画に影響が出るーー、と。もし万が一(決定事項らしいが)女の子が18歳にならないと結婚できなくなるのだとすれば、「軽い気持ちで援助交際に手を出したJKが完全にチンポ堕ちして、『おじさんの特濃孕ませザーメン汁ぶちまけるよっ♡ おじさんの赤ちゃん産んでっ♡ できちゃったら結婚しよっ♡』『(もうダメ、腟内、腟内はダメなのに……気持ちよくて頭が回らない……)いぐっ、いぐっ♡ ナカっ♡ あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"っ♡』」というシメに現実味がなくなってしまう。フィクションだと割り切ってはいても、その根っこにある抗いがたいリアリティみたいなものは、なくなってほしくないなあ。

どぅあ〜ぼ

「ダボ」という悪口がある。「このダーボ!」という風に使う。用例になっていない気がするが、ガラが悪い言い方をすれば「舐めくさしとんかこのダボがぁ!」という感じになる。理由は分からないが、好きな言葉の一つである。おそらく「dub」などと同じく、「dど」「bぶ」の音が入っているからだと思う。相手を貶す時に使う言葉ではあるが、いまいち語源についてピンとくるものがない。だって、ダボである。他に思い当たるのは、プラモデルの組み立て時に重要になるダボくらいなのだ。「プラモ部品を組み合わせる時のピン周り野郎!」と罵倒されても、私なら侮蔑されている事を理解できないと思う。むしろ、かすがいと言われているのだろうかと思ってしまいかねない。見当がつかない。私がダボである。それはそれとして、今日の朝ぼーっとしていると、もしかして「ドアホ」が音変化して「ダボ」になったのではないかと思いついた。「doahodabo」との遷移を想定すると、「do」と「aho」のブロックに分けて考えるのがまともっぽい。「o」と「a」はほぼ同じものだし、「ao」=「o」という母音の足し算はままある事だ。ダボが使役される場面にドアホを換装してもさしたる違和感はないので、ダボはドアホの子なのだろうと私の中で決着した。意味合いはともかくとして、ダボという仇名の人と昵懇にすることがあったら、意味もなく頻繁に過剰にダボと呼んでしまいそうだ。ダボ。ダボ~。桃缶食べようぜ、ダボ~。山手線3周しようぜ、ダボ~。人を名前で呼ぶ事があまり好きではないゆえ、本名(そういえば忌み名とかいう慣習もあるのだっけ?)以外の記号を与えられると、無性に嬉しくなる。虚構人物の名前を考えるのが好きなのは、頭の中で分裂した要素を別途ポイントする術として楽しんでいるからかもしれない。分からないけれど。一人でもにょもにょ考えてばかりで結論を脳庫に収めて腐らせる悪癖が抜けないのでたまに外に書き出してみるわけだけれど、忘れた頃に読んでみたら取り付く島もない地図上の絶海幽霊スポットみたいな手触りがするのだろうか。エアコンから排出される空気の匂いみたいなものが、ずっとたゆたっている。メモ帳で適当に書いたら字数が足りなかったので、もうちょっといい加減な事を書く。血便検査がしばらく先に控えているのだけれど、今日厠にて用を足してみたらほとんど血液が見られなかった。「カニ入り茶碗蒸し」と記載されている78円の茶碗蒸しに実際含有されているカニ肉くらいしか入っていなかった。検査当日までに完治していると嫌だから、早く検査を受けたいのだ。いざカメラを突っ込んでみて「あー、特に悪いところないですねー?」って言われたら、恥ずかしくない?

溜息ができるほど貯蓄があるのなら

中四国は暑い。らしい。少なし中国地方は暑かった。外を歩いている時の熱気が東京とは違い、瀬戸内海のせいなんだかなんだか知らないけれど、「もはぁっ」という立ち上り方をする。東京は静的に暑さがそこに佇み、通り過ぎる人々を撫で付けるような暑さをしているが、ここは「もはぁっ」という、大気の溜息のような暑気が、毎秒這いずり回っている。冷房嫌いの母がエアコンをつけるくらいだから、よっぽどである(弟の体温がアホほど高いためそれで暑いというのもある)。熱中症で死亡という事象は、なるほどこの気候の中にあればさもありなんと思わされる。血便が出た旨母に伝えた所、結構深刻に心配し病院に行く事をサジェストされたので、今日は病院に行った。おおよそどんな重い病気でも、まともに受け止めず「ウケる」と言ってしまいそうな私がいる。現実に対して、腰を据えて向き合う覚悟ができないんだかする気がないんだか分からないが、自分の事さえ他人事のようだ。開院とほぼ同時に行ったのだが、結局3時間ほどただ茫洋と待ちぼうけているだけだった。ああいう場所は、予約を取っている人々の方が強いのである。同じくらい無駄な時間を送る事が強要されるのが、携帯ショップである。低価格SIM店舗だとそうでもないかもしれないが、実家近くのdocomoショップは手際の悪い店員に当たると目も当てられない。役所とかでもそうだが、「なんでそんなに時間かかるの……?」と思う事しばしばである。むしろ、待っている間に待機給が出ないかと思ってしまう。住民票を移しに新しい区役所に行った時、事務側を覗き込んで、絶対こんなに人手が必要なわけないだろう冗談じゃあるまいしと感じたが、公務員はああして養われているのやもしれぬ。結局、東京に帰るまでの日時ではその病院の検査を受ける事はできなかったので、別のクリニックで予約を取る事になった。女医さんだったので、尻をほじられる事にならなくてよかったようなよくなかったような心持ちだ。大腸カメラで検査が必要らしいのだけど、3週間向こうまでみっちり予定が詰まっているなんて嘘だろと今でもうっすら思っている。大腸の不調を訴える人って、そんなに多いのだろうか。大腸>中腸>小腸という式を思いついたが、中腸という部位は聞いた事がない。存在……するのか? 触診されたり眼球を覗き込まれたりとされたけれども、それで何か分かるのだろうか。専門術techneとは恐ろしいものだ。いや、もっと恐ろしいのは、大腸カメラを突っ込まれた時に変な気持ちになってしまう可能性だ。触診される羽目になったら、「お尻を弄られるなんてエロ漫画みたいですね……?」と言いたい欲を、うずうずを抑えている。

ホルムクルス

書いている現在は新幹線の真っ只中である。真っ只中という形容を交通機関に搭乗している際に用いるのが正しいかどうかは分からないが、面白いので使う。真っ最中でもいい。山手線真っ最中。JAL真っ最中。素敵ではないか? 何が素敵かという元手はない。ただ、隣接するとちぐはぐしそうな言葉が、やってみると案外座りがいい事に満足しているだけだ。只今完全に乗り物酔い申し上げているのだけれど、乗車からずっとPCを開いて短編を書き続けていたからだと思うし間違いない。自業自得の吐き気である。因果は巡る、自己完結した形で。去年の夏に帰省した時も、そういえば、座席で4本くらい短編を書いた覚えがあるので、私は旅路の途上で手持ち無沙汰になると、文章を書きたくなるのかもしれない。下手に暇潰しのアイテムを持って来ていなくてよかった。今や完全にグラブル専用機と成り果てたスマホは、SIMが無効なためオフラインである。隣に誰が座ってこようと構わないので、とにかく(少なくとも私が)面白い会話劇をつらつらと続ける事に注力していた。注いでいたら酩酊、酎したので、目も当てられないが、書き上げた短編はよく出来た。何かを成し遂げる時には何かしらのダメージを伴っている気がするが、よく考えたらごくありふれて普通な気がする。鼻の穴からスイカを出す痛みが、産み落としには伴うのだ。産み落とすと言うと、「落とす」が気にかかり、産むだけ産んで育児放棄かよ、と被害妄想が捗ってしまうけれど、この場合の「落ちる」は、まだ目に見えぬ「生」という胎内の高次の概念が、実体を伴って現出するという過程を指して「落ちる」と言っているのかもしれない。それか、母体からころりとこぼれるような。落ちるからは、「あっ、」という感じがする。落ちちゃった、あらら、まあ、まあまあまあ。そんな感じ。命、この世に誕生しちゃいましたよ、あら、あらら、まあまあまあまあ、はーっ。恣意性を剥ぎ取って、摂理に全てをお任せしているような。お任せしたら、ある日突然玄関口に来てしまった。印を押す、受領署名をする、受け取る一択の選択問題。考えてくださいと。中身の選択権は差し上げますので、じっくりと考えてお決めくださいね。きらっ☆ 華麗なピースを決めて、配達員はどこかへ行ってしまった。to be or not to be, that is the question.ではないが。あらすべきか、あらさざるべきか。神でもない私たちでさえ、「光あれ」とは言えるのだ。光あれ、して照らせ。心の隅っこのあいつらを。

通販のダンボールを捨てる時に、宛名シールを剥がさないのはよろしくないと思う。

キルミーベイベー』を全話観終わった。いい時間だった。朝6時半にゴミを出しに起きて、だるいので布団に横たわっていたら次に目が覚めたのは12時だった。ウルトラ無駄な時間だった気がするが、最近また少し不眠気味なので、その分が回って来ていると考えればそこまで不合理ではない。キルミーベイベー、面白かった。ただ、部室で同期と一緒に観た商店街ハロウィン仮装大会のエピソードがなかったので、あれは映像媒体限定の特典だったのかもしれない。やすなの大人気なさが素敵なお話である。DVD/ブルーレイ各巻のジャケットもキレキレなので、全部まとまったパックがあったはずなのであれを買ってもいい。そこそこの画質のアニメを4K対応Retinaディスプレイで観る無駄遣い感は爽快だ。ソーニャちゃんが私のストライクゾーンど真ん中に近い。プライムの他のアニメには手を出す気が起きないので(今更『らき☆すた』を観てもいいとは思っている)、ポプテピピックをもう一周してみようかと思っている。昨日くらいに住居の水道設備刷新のため水道業者が我が家に来たのだけれど、このおじさんは今までに何度かお世話になっている人で、今回も例外なく、早く例外を作ってそちらが当たり前になってほしいのだが、やっぱり私の履物に汗を一滴落として帰っていった。3回中3回、私のサンダルの上に汗を滴らせて帰っていくのである。人の足元に体液を落とすフェチなのだろうか。拭えば済む話なのだが、拭ったところで「汗が落ちた」という事実は残るので、私がそのサンダルを履き潰している間、絶える事なく意識の裏側に「おっさんの汗」「おっさんの汗」とリフレインするのだ。ぺた、おっさんの汗、ぺた、おっさんの汗。立会いついでに大家さんが水分をくれたが、水3アクエリ1お茶1という割合だった。どこでどういう買い物をすればこのような分布になるのか、私は分からない。小さい商社みたいなものをやっているっぽいので、お中元か何かをお裾分けしてくれたのだろうか? この時候に水分は有難い。恭しく頂いた。どうでもいいやと思って、ケンタッキーを9ピース買って来た。7ピース目でむつこくなって諦め、残り2ピースは明朝の朝ごはんと相成った。いけるかと思ったらいけなかった。肉だけなら大丈夫だったかもしれないけれど、脂がきつかったのだ。脂はいけない。一緒に黒烏龍茶が付いてきたけど、そういうことじゃないのだ。『生徒会の周年』を買ってきたので、これから読む。葵せきな、今回はあとがきを何ページ書いているのか楽しみである。青春時代に読んだ大切なラノベだ。数年ぶりの新刊は掛け値無しに嬉しい。楽しみ。暑い。

パンツぱっつんぱっつんってプハー(笑)

今日突然実感したのだが、私はそういえばAmazonプライム会員である。知らない間に口座から会費が引き落とされていたから間違いない。正真正銘プレミアムなメンバーのワンオブゼムである。が、しかし、特典は翌日発送くらいしか使ったことがなかった。それ以外に、私のライフスタイル(!)的に望ましいものが見当たらなかったからである。とはいえ、なんとなく啓示を受けたので、会費が落ちているのに使わないのは勿体無いなあと思い、プライムチャンネルを開いてアニメでも観るかと重い腰を上げた。アニメを観るのは目なので上げたのはきっと視座なのだけど、ともかくアニメを観ようと思った。残念ながら、いややっぱり嘘だ、全然残念ではないけれど、私はアニメアニメしたアニメが苦手なので、アニメの際に位置しているゲテモノが観たいなと思った。そう思った矢先に、トップに踊っていたのが『ポプテピピック』であった。これはもう運命、そう運命、ベートーベン、ジャジャジャジャーン、と感銘を受け、シーズンを一気観した。怒涛の奔流がとめどなく駆け巡り理知の壁を突き破り押し流し、ほぼ全ての語彙を持ち去られた後に心に残った残響は、「クソだな」であった。悪い意味ではない。全く、これっぽっちも、微塵も毛頭も悪い意味ではない。逆だ。最高だ。事前にクソだクソだと聞いていたが、なるほど確かにこれはクソである。公式にクソだと公称しているのだから、クソと呼ぶ事に何の憚りもない。そんな自制はクソ喰らえである。脳味噌の普段触「れ」ない所をショベルカーでぐりぐり突き回されているような感覚は、榎本俊二『ゴールデンラッキー』を読んでいる時の脳味噌の挙動に似ている。ゴッキーはパロディの文脈こそ薄いが、ポプテピピック紙一重あるいは同類の直線上に存在するような気がする。アニメなのにいきなり実写映像が垂れ流しになり、視聴者置いてけぼりのいい大人による高速紙芝居が突如始まり、『ポプテピピック』のロゴアニメーションを挟みながら一撃一撃の爆弾が次々と絨毯投下されていく。消化する間も無く飲み込まされて、気がつけばコース料理は終わっている。そうして安堵したくなったところにブチ込まれる「再放送」の追撃であり、2話あたりから頭のファイアウォールが機能しなくなり、手を叩いて声に出して爆笑していた。意味が窺えるものもあればさっぱり分からんちんなものまで、選り取り見取りの状態でも普通は選ばない電波が3本襲いかかり続けて、楽しかった。地上波リアルタイムで観ていなくてよかった。きっとこのタイミングでよかったのだ。同じくプライムチャンネルにあったので、『キルミーベイベー』を観ている。やはり面白い。