他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

赤く流れる三途の川

数日ぶりに洗濯物が安心して干せる気候だった。寝ている間にall is overだった。昨日、夜ご飯に秋刀魚を2尾食べたのだけれど、朝の排便時に便から秋刀魚の匂いがした。辛いものを食べると粘膜が悲鳴を上げるのを感じ、かぼちゃをアホほど食べると色が黄色くなるものであるが、秋刀魚を食べると秋刀魚の匂いがするとはついぞ知らなかった。匂いと栄養は別のものだからそんなに心配するほどではないのだろうけれども、きちんと消化吸収されているのか非常に気にかかる。12時間やそこらで、栄養摂取のプロセスが完了してしまうものなのだろうか。私が人体の仕組み、生命の神秘、実際的な内臓諸器官の働きについて知識が乏しいから、というわけでもあるまい。一日三食摂る場合、それで一日の活動分に加えて骨や筋肉の発達分、新陳代謝分を賄っているわけだ。目の前にある食べ物が、一体何日分の生命エネルギーをもたらすのか、計り知れなくて何となく怖いのだ。何となく。カロリーやジュールで測れる数字ではあるが……。細胞の漫画がヒットしたわけだし、摂食によって稼いだカロリーやジュールでやりくりする身体システム経済漫画とか出てくると面白いかもしれない。出ても多分読まないけど。お菓子でも買おうかなと思ってお菓子屋に行って、結局チョコレート菓子しか買わなかった。コアラのマーチと、チョコラスクと、チョコチップクッキー。チョコレート菓子が好きで、チョコレート菓子以外はあれば食べるが自分からは絶対に食べない。選んで買うなら、とりあえずチョコの文字を探している。ゴディバなどはほとんど食べたことがないが、高いチョコなんか食べてもちょっと味が濃いなくらいにしか感じないので、卑俗な満足感を得るためには準チョコレートで十分なのだ。子供は金箔が好きなのではなく、金の折り紙が好きなのである。費用対効果と、よい高いものへの嗜好は、相容れない考えだと思っている。腕時計とか、そもそも腕に何かついているのが邪魔で目障りなので絶対、ぜぇ〜ったいしないが、好きな人は好きだもの。時間が見たければ、とりあえず動く時計があればよい。機能性以外のプラスアルファを求めるか否かが、嗜癖の有無の分かれ道なのかもしれない。機能性が皆無でも、それを欲しければそれでよいのか。ものとは不思議なもので、なくても事が済むのにあれかしと願ってしまう。心の隙間を埋めるためにものをいっぱい買う人がいるんですよ、との言を見ると、うるせーばーかとは思うが、それはまあ確かにそうかもしれないと肯わざるを得ない。ものはあるだけだから。