他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

二度と観たくなくない顔

カーテンコールは何回まで許されて、カーテンコールに応じるのは何回まで許されるのだろうか。さっき観た公演は双方共に3、4回くらいだった。出演者紹介、ありがとう、真のありがとう、最後のありがとうくらいの構成なのだろう。舞台に上がってカーテンコールを受けて応じた経験がゼロなので分からないが。母校の国語の先生は、そもそも私と気が合う時点でヘンな人だったが、それを差し引いてもヘンな人で、演劇部の顧問だったから、節度ある回数とは何回なのですか、と尋ねてみよう。そもそもアンコール自体が余剰勘定から言って全く不要なものだが、心の表皮を貫いて真皮質を抉り取っていくものに出会った時の、後頭部、頸の後ろでざわざわと血が騒ぐあの感覚を少しでも引き伸ばしたい一心でのそれなのならば、納得する事ができる。ずっと気持ちいいままでいられるのなら、気持ちいいままでいたいからである。しかし、残念ながら毛根の耐久値は無限大ではなく、割とすぐに許容値を超えるので、後ろ髪を引かれる人と引く人はどこかで決別せねばならない。オペラとかクラシックコンサートとか、ピアニストのソロ演奏会とか、そういうハイソな興行では何回するのだろう。そもそもするのだろうか。おかわりはみっともない事だとか思っていないかしら。ともかく、観客が一定の回数で満足するべきなのと同じように、演者の方も節度を弁えてこそのカーテンコールなのだろう。多分。600字の前置きを設けたが、何を言いたいかというと、2日前の暖気を返せという事である。わぁい、あたまのなかもはるだ、と思って上衣を着なくなった途端に2日間の揺り戻しが来ている。引っこ抜いて用済み宣言をしたエアコンのプラグを再びコンセントに挿し直す羽目になった。2月から度々退場の兆しを見せながらも、渋々受け入れられる事に気を良くしたのか、いつまで経っても舞台上からいなくなる気配を見せない。お前が歓待されているのではなく、お前が退場しないとこちらが劇場から出られないから満足させてやるために嫌嫌オベーションしているのだと言ってやりたいが、無形で無意思のそれにかけて届く言葉が見当たらない。衣替えするほど衣を持っていないが、全国で衣替え未遂が発生しているはずだ。早く緞帳が降りればいいのに。水と牛乳だけでスープを作ってパスタを入れた。英国の岩塩を入れれば大体なんでも美味しくなる真理の強度が日に日に増している。起き抜けがまだ寒い。