他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

枢要

美味しいご飯は、生きようとする上で無視できない要素のひとつだと思う。他の欲全てが押し流されても、何か基底のプログラムに埋め込まれたものがあって、どうしても一日に2食は食べるタイプのベースを持つからこう思うのかもしれないが。どん底まで引きずると、美味しくなくても、とりあえず不味くなければ食べる。ふと思い当たったが、不味い食べ物に出会ったのはいつが最後なのか、トラックバックできない。自炊すれば、まず不味いものを作るはずはない。途中で不味くても、ある程度の経験を積んでいるならば、食えるものの範疇に着地させる事ができるからだ。いや、そもそも、材料を並べた時点で決着を想像できるので、最初から負けが見えないとも言える。新しい店を開拓するほど生に意欲的ではないし、ものすごく消極的な姿勢だが、「時の運に背中を押されなければ」行かない。御茶ノ水にあるカレー屋とか、あと……何だ? 近くを数回通りかかって、なぜか記憶に残っていて、その状態でその店に近づいてなお自分の中でパルスが上がり切れば行く。そうでなければ、情報も探さない。御茶ノ水のカレー屋は、めちゃくちゃ汚いがカレー然としたカレーなので美味しい。値段と量の関係も好もしいので、また近くに寄って、腹に余裕がある時は寄りたいと思うものの行く用がないので行かない。鍋にするとほぼほぼ水の味しかせず完全に持て余していた白菜だが、鍋のスープを切らしうどんも切らししたこのタイミングで、ついでに夕食用の米も炊き忘れ、炒め物のカサ増し兼メイン食材としての位置に据える事でどうにか見えるものがあった。玉ねぎ人参といういつものツートップを入れて(キノコ類は買って来るのを忘れたまま忘れ続けている)、適当に切った白菜を早めに加える。芯に近い部分は厚くてぶっといので、最初の工程で入れなければ火が通り切らないのではないかと恐れたため。ここで、冷蔵庫の中に残って忘れ去られているのが最近発見されたニンニクチューブを4cmかもう少し絞り入れる。このせいで、部屋がさっきまでものすごいニンニクの匂いがした。豚肉投入、あとはいつもの塩と焼き入れ醤油でパーっと味付けして、卵をひとつ割り入れて溶き程よく固まったら完成。火が入ってしんなりしても白菜がアホみたいなボリュームを残しているので、十分な食事感がある。ニンニク+塩+醤油の調味汁が白菜に侵入し、表現が難しいが、いい感じにしている。納得いく晩飯だった。