他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

靴窓

イタリアンパプリカ(韓国産)を切った包丁でしめじを切ったら、切り口の一番最初に赤い染みが薄く広がった。血が滲んだのかと思った。手荒れがひどくなった箇所がある。そこからの出血かと。あるいは、先に切った人参の色かと。しかし、人参玉ねぎパプリカの順でカットしているし、人参を切った後に一旦包丁を洗ってから玉ねぎをしばいている。はっきりと色が映る事はありえないわけではないだろうが考えづらい。そこで、あ、これはパプリカの色なんだと思い至った。思い当たるのが遅くはあった。が、しかし、食品のパッケージに「パプリカ色素」と書かれていて、実際にパプリカ色素について思い巡らせた事のある人間がどれだけいるだろうか? スパイスの棚にパプリカパウダーが置かれている事もあり、食紅をいじった経験もあるが、色素の力を、手触りを持って感覚したのは今日が初めてだったかもしれない。それほど、じわっと染みた紅葉みたいな色は印象的だった。パプリカは美味かった、と言いたいところだが、何と言えばいいのか分からない。皮がつんつるてんとして残り、果肉(果肉という表現でいいのか分からないけれど)の部分は、水気があって清涼感らしきものを覚えるが、ピーマン系のあいつらが嫌いな人がそれらを嫌うのであろう理由の一つである青臭さみたいなものがむんとした。否定的な感想は抱かなかったが、肯定的な感想も抱かなかった。ただ、パプリカを食っているなと自省できただけだった。これを自省などという高級な言葉で表していいものかどうか知らないが。今日は集中力がなかった。すっごいなかった。ほとんどの活動時間を、活動せず、頭を抱えてじっとしていた。頭を抱えては象徴的だが、しかしそうであった時間があるのも事実。意識があっちに行ったりこっちに行ったり、浮遊霊みたいだった。意識とか集中力とか自己同一性とかは、地縛霊的であればあるほどよく、諸国漫遊的であればあるほど手に負えない。手を負う事になる。なぜ物事のほぼ全てを一旦別の物事に比喩しなければ叙述できないのかと思うが、これはもう長年患っている病みたいなものだから仕方がない。一度本質からひっぺがしてこちらのフィールドに上がってもらってから返す、みたいな作業みたいな? 分からん。何もしなかったというかできなかった時間、小説でも読んでいればよかったが、後悔は後からするから後悔なのだ。鶏モモ精肉についている不健康そうな黄色の脂を取り除かずに料理すると、貶められているようで気持ちよくなる。