他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

あるだけで邪魔

すごい寒かった。午前中は、だらだらじとじと雨が降っていて、その名残で一日中きんきんしていたのではなかろうか。窓から、冷気が染み出していた。寝る時につける、木綿の手袋を新しいものにした。同じメーカーの、同じものを買ったはずだったのだが、へろへろになって、中指と薬指のところに穴が空いて、くすんで灰色がかった(なぜ色が変わるのか不思議だが)ようになった前任手袋を見て、本当に同じものだったかしら、と不安になった。隣にあった、サイズがひとつ小さいあちらだったかしら。分からない。手袋は新調したが、肝心のハンドクリームがなくなっていたので、片手落ちになった。そこまで深刻な影響があるかと言われると、まああるっちゃあるのだが、明日外に出た時に、ドラッグストアの前を通って忘れていなければ買ってこよう。連日、なかなかとんでもない感じのようだが、しかし生活するにあたって外出はせねばならない。流石に必要である。時勢が時勢なので、さすがにやめようかなあ、と思わないでもなかったが、年末に帰省する予定である。正直、今はどこにいても危ないといえば危ない。掃除機をかけたい。床をクイックルワイパー的なそれでぴゃーっと拭きたい。せっかくシートを買ってきたのだが。そういえば、ついにマスク在庫がなくなるというので、新しい箱を買ってきていたはいいのだが、着けてみると圧倒的な違和感があった。それはそうである。よく見ていなかったが、子供用マスクだったのだから。なんかちっちぇなと思ったのだ。なんか、被覆面積が圧倒的に足りないなと思ったのだ。なんか、利用可能な体積が少ないなと思ったのだ。なぜなら子供用だったのだ、当然である。途中でドラッグストアに寄り、大人用サイズを買って付け替えた。いやはや、全く。表示はよく見なければいけない。帰省する時に、実家に置いてこよう。サイズの合わない、小さなマスクをすると、なんというか、生命を管理されている感覚がすごくある。利用可能な空気が、これだけしかないのか、という意識が芽生える。すげえ部屋が寒い。あと、さっき洗濯物を干している時に、窓枠にずっと置いてあった、別にそこになくていいし、というか家の中になくても構わない綿棒のケースが落下し、床に綿棒が散乱した状態になった。寝る前にあれを片付けないと、布団が敷けない。今日は生産性の低い日だった。本当に低かった。明日は、まだましな保証があるが。本棚も、どうこうしようと言い続けて幾星霜。