他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

玉ねぎとハサミ

チンカスの擬人化みたいな生活態度の一日だった。ちょっとだけ、本当にちょっとだけ、発泡スチロールの塊から、丸いユニットを一個だけ、ほじくり出すくらい、たったそれだけくらいは、まともな事をしたけれど、あとは、もう、茫洋の2乗みたいな漢字だった。冷蔵庫の中の食材整理とか、部屋の掃除とか、あったのだが。しようと思った事はしなくて、思ってもいなかったがしようと思い立った事は突然するので、自分で自分を御せないのは大変不便である。克己心とか、そういう問題なのだろうかこれは。克己心にはあまり自信がないが。帰る前に、見られるくらいにはして帰りたい。帰省のために、新幹線の券を買った。正直、母には伝えた手前、どうするか迷ったのだが、毎日これだけコロナが盛り上がりを見せている中で、ほんまに帰るんか? というところもあった。あったが、夏は夏で、今帰るのはちょっと……という理由で見送ったから、このまま放っておくとずるずると帰れなくなりそうだと判断し、帰る事にした。みどりの窓口の窓口の人が(畳語になっているが、場所を大まかに示してからの>窓口というその場所の中の特定の位置を書く、という順番にするとこうなる)、私もそっちに友達がいるんですけど、最近出るようになって大変だって言ってました、という話をしてくれた。あんまり、物を買う時に、売る側の人から必要最低限以上の話をふっかけられる事がないので、ちょっとびっくりしたが、言いたくなった事があればどんどん言えば、もちろんその前に色々適宜フィルターを通してから、いいと思う。このご時世に、余計な話をして飛沫が云々、とか言う奴がいたら、というかいそうなので世も末というか毎日世の末が更新され続けているような世ではあるが、そもそも相手にしないのがよろしい。人生を問題だとすると、そういう雑音は、検算でも下書きでもない、答案の要素に一切ならない、消しかす未満の存在であるからして、考えるだけ解答時間の無駄である。一日を、わたあめ製造マシンに砂糖を入れないまま割り箸をぐるぐるするような消費の仕方をした私が何をやっていたかというと、小林賢太郎の演劇と公演をずっと観ていた。『ノケモノノケモノ』を観た。これは、脱線を本筋に組み込むのが上手いな、と思った。脱線というのは、構成上のコンポーネント的に。全体の中で、雰囲気を害さないように、綺麗に入っている。それから、単独、あれは「ショー」と言っていいのかな、ポツネンを観た。身体の使い方、ものの見方使い方が本当に上手い。もうこれが劇場で観られないのか……と、残りの人生でずっと言っている気がする。